幕間その二 会議
王宮の奥まった一室で、宰相は苛立たしげに声を上げた。
「風猿神だと! ふざけているのか、この報告書は!」
「ふむふむ、現地の亜人が信仰している神の一種のようじゃな。非常に興味深いのう」
「魔術士殿は暢気で良いですな。わしはむしろ関わり合いになりたくないですぞ」
長い顎ひげをしごく老人に、勲章をぶら下げた恰幅の良い中年男性が嫌そうな口調で答える。
「しかし北方に続き東方までこの有り様とは、困ったもんですな」
「他人事ではないぞ、騎士団長! 次に狙われるのは、王都の可能性もある」
「そんな化け物相手にどうしろと。それにどのみち、ウチの連中は半分以上がまだ寝込んだままですぞ。まったく何だってこんな時期に、風邪が流行るんだが」
「そういえば薬価高騰の件はどうなっておるのかね? 財務大臣。王宮にも高くて買えないと苦情が殺到しておるぞ」
名指しされた痩せぎすな初老の男性は、難しい顔でぼそぼそと呟く。
「その件は……薬師組合に掛け合いましたが、沼に杭を打つような手応えです。やはり……王宮にかなりの不信感をもっておるようで」
「ふむ、先王の失策がここまで響いてくるとはのう。まあ、無実の薬師を裁判なしで投獄などしていては、この国に医師が居つくはずもないしのう」
「他人事のようですな、魔術士殿は。わしとしては、可愛い部下達がさっさと治ってくれないと困りますぞ」
「何か対策は取ったのかね? 大臣」
「交渉は続けていきますが……取り敢えず、風邪の出どころは亜人との噂を流しておきました。これでしばらくは……民の怒りはそちらへ向くかと」
財務大臣の発言に、王都騎士団団長と王宮筆頭魔術士の二人は目を合わせて苦い顔をする。
「根本的な解決にはなっておらんが、まあ良いだろう。話を化け物に戻そう」
宰相の脇に控えていた書記が、その言葉で一枚の書面を差し出す。
「最初の事件は十四日前、北嶺鉱山での焔の悪鬼の目撃例だ。これは現地の亜人の証言を拾った小鬼どもが報告してきたものなので、信憑性がかなり欠ける情報だ。次はその三日後、北方辺境騎士団の駐屯所が飛竜の群れの襲撃により壊滅。これに正体不明の魔物が関わっていたとの目撃証言がある。そして昨日は風猿神とかいう魔物が、東の防壁を破壊したとの報告だ。結果として北方辺境騎士団は維持が不可能なため解散。防壁の修理費用として、金貨四百枚の申請が上がって来ておる」
書類を淡々と読み上げた宰相に、騎士団長はやれやれといった顔で言葉を返す。
「聞いてみると、散々ですな。ただ騎士の名誉にために言わせて貰いますが、キグロー団長はよくやってくれてますぞ。確かにアイツの先々で事件は起こっておりますが、それを責めるというのは筋違いで――」
「それは分かっている。問題はそこではない」
「ふむ、宰相殿の心配は、もしかするとそれらの魔物たちが、同一の存在ではないかという可能性じゃな」
「その通りだ、魔術士殿。私はこれが――」
そこでいったん言葉を区切った宰相は、テーブルの面々を見渡した
「"魔王"の復活ではないかと睨んでいる」
最初に声を上げたのは騎士団長であった。
「そんな馬鹿な。与太話ですぞ、魔王なんてものは」
「建国の祖の伝承を否定するのかね?」
「悪魔を倒した勇者の下りですな。あれは只のお伽噺ですぞ。真面目に取るのもバカバカしい」
「そうは言うがな、団長。考えてもみたまえ、この短期間で余りにも事件が起こりすぎている。突然の飛竜の大量襲来や、例年よりも多い茸蟻の発生など。誰かが背後で糸を引いておるという予測も、あながちではないと思えんか?」
「いや確かに騒ぎは起こりましたし施設への損害は甚大です。だが、今のところ死傷者は零ですぞ。仮に魔王の仕業だとしても、あまりにも間抜け過ぎではござらんか?」
「それこそじわじわと恐怖を与えて、我々の心を弱らせるのが狙いではないかな。そう考えればこの悪質な流行り病さえも、奴が一枚噛んでるやもしれん」
「いい加減にしてくだされ、宰相殿。そんなことまで言い出せば、キリがありませんぞ」
真面目な顔の宰相と呆れた口調の騎士団長のやり取りに、魔術士の老人が口を挟む。
「まあ落ち着きなされ、団長殿。結論を出す時は急いては駄目ですのう。宰相殿の仰りたいことは、要は油断できぬ何かがこの国をうろつき回っているという事実じゃろうて。考えてみるのじゃ。いくら手強い魔物といっても、単体でこれほどまでの被害を与えておるのは流石に異常じゃ」
「なるほど。よく考えてみれば、その通りですな……」
「私が言いたいのはまさにそれですな。魔術士殿は話が早くて助かる。つまり魔王の詳しい定義などは、今はどうでも良い。肝心なのは、その名に見合う脅威があると知らしめる点に尽きる」
「一体、何のためにです? 魔王などと言い出しては、徒に民を怯えさせるだけですぞ」
「民の警戒心を高めるのも、大事なことだ」
ちらりと財務大臣に目をやった宰相は、軽く咳払いをして言葉を続ける。
「本年度の税収はどうかね? 大臣」
「税収……ですか。今年の春小麦の収穫量はかなり落ちてます。全盛期の五割にも行かんでしょう」
「防壁の修繕費、金貨四百枚は捻出できそうかね?」
「とても……とまでではないですが、かなり厳しいです」
再度、テーブルをぐるりと見渡した宰相は、自信に満ちた声を発した。
「そこで私は魔王税を徴収しようと発案したい」
「なんですと!」
「正確には魔王対策税だな。脅威が身近に迫っていると知れば、民も急いで私財を差し出すに違いない」
「やれやれ、それが狙いですかのう」
「確かに先立つものがないと、戦が厳しいのは重々承知しております。だが弱みに付け込むような真似は気が引けますぞ」
「そうも言っておられる状況ではないのだよ、団長」
確かに今の王国の財政状況は、あまりにも厳しい。
押し黙る騎士団長を横目に、魔術士の老人が声を上げた。
「根っこを変えねば、扇で火を吹き消そうとするようなものじゃ。一時は消えたように見えるが、後々大きく燃え盛ってくるだけじゃぞ」
「では魔術士殿は、何か良い扇をお持ちですか?」
「ふむ。先日、弟子から連絡が来てのう。ついに不死鳥の巣を見つけたそうじゃ」
「なんと、それは吉報ですな。では捕獲の準備の方も?」
「うむ。つつがなしと言っておった」
頷き合う宰相と老人の姿に、騎士団長も慌てて発言する。
「わしの方も一つ妙案がありますぞ」
「聞かせて貰えるかね」
テーブルの上に地図を広げた騎士団長は、報告のあった場所を指し示していく。
「最初はここで、次はここ。昨日はここですな。そしてこっちへ行ったらしいと。ご覧の通り宰相殿の仮定が正しいとして、この化け物が同一の存在ならば、此奴はぐるりと王国の外縁にそって動いております」
「なるほど、言われてみれば」
「そして此奴の狙いが騎士団ならば、次は確実にここを狙ってくると言えるでしょうな」
騎士団長の太い指が、地図の南西に描かれた山をトントンと叩く。
「確かにその"魔王"とやらは、まともにやりあえば恐ろしい相手だと言えますな。だがこの場所なら、我々が直接手を下す必要はありません。奴を上手く誘い込めば良いだけの話ですぞ、あの穴に」
「毒を制するには、より強い毒という訳か」
「宜しければ、この件は南方辺境騎士団に話を通しておきますぞ」
「では大臣は魔王税の詳しい取り決めを私と別室で。魔術士殿は不死鳥の捕獲作戦の継続を、団長には魔王の動向の監視をお願いしよう。本日の会議はここまでとする」
皆が去った会議室には、人影が二つ残っていた。
騎士団長が地図を指さしながら、魔術士の老人へ話しかける。
「この方角だと、化け物の次の道筋は魔獣の密林ですな。そう言えば、この場所も先王の失策でしたな。おっと失敬、あなたには余り良い思い出では無かったですな」
「ふむ、彼の地は今もわしが放った魔獣に守られておる。何人たりとも通ることは無理じゃのう。流石の化け物も避けるはずじゃて」
「だと良いのですが」
「そんなことより、まだ増税する気か、あの業突宰相は。王が伏せっておられる隙に、やりたい放題じゃのう」
「そうですな、民はもう疲れ切っておりますぞ。嘆かわしいことです」
「せめて王子らにもう少し覇気があればのう。そう言えば、末姫がお主の騎士団へ入ったそうじゃな」
「ええ、サラーサ姫なら元気でやっておられますぞ。髪をお切りになって、言葉遣いも別人のようですっかり見違えましたぞ。ま、昔の愛らしい御姿を知る身にとっては、かなり扱いづらいというのも本音ですがね」
「頼もしい話じゃのう。この国を変えるのは、あのようなお方かもしれんな」
男たちは顔を見合わせて、僅かな希望に少しだけ笑顔を浮かべた。




