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第十八話 温泉宿の女将がじっくりコトコト煮込んだまろやかシチュー



 なんだか体がネバネバするなぁ。


 

 目が覚めると見知らぬ場所でした。

 薄暗かったので夜明け前かと思ったけど、どうも曇り空だったみたいです。


 よく見ればあちこちで、モクモクと黒い煙が上がってます。 

 なるほどこうやって雨雲が生まれてくるんですね。勉強になりました。


 なんだか夢の中で、色々と大事なことを聞いた気がするのですが、あんまりよく覚えてないな……です。

 とりあえず南の方へ行けば良い気がします。


 でもその前に、このネバネバしたのを取ってスッキリしたいところですね。 

 ただ残念なことに、周りには泥っぽい池しかありません。

 で、お風呂を探しまして。



 ありました!

 


 木の柵に囲まれた小洒落た露天風呂です。

 お水がとても綺麗で、可憐なお花もいっぱい咲いてますね。


 おもわずドブンですよ。

 あら、ここは水風呂のようですね。


 澄み切ったお水で、心まで洗われていく気がします。

 プカプカしながら曇り空を見上げていたら、急に声を掛けられまして。


 なぜだか、お婆さんが怒っているみたい。

 よく分からないのですが、どうも勝手に入ってはいけなかったぽいです。


 お風呂から上がると、お婆さんが小さな取っ手付きの桶で水を汲もうとしてます。

 なるほど、お風呂に入る前に、まずはこの手桶で体を綺麗にするのが礼儀なんですね。


 手桶を借りて水を汲んでみました。

 これをどうすれば良いのかな?


 と思っていたらお婆さんが、話しかけてきます。

 もちろん私も馬鹿でありませんから、ちゃんと学習してますよ。

 どうやら私の言語は、ここの方たちには通じてないようなので、ここはジェスチャアで意思疎通を図りましょう。


 私、あなた、言葉分かりませんという意味で首を傾げます。


 するとお婆さんが草のエキスを絞って、私の体についたネバネバに掛けてこすってくれました。

 なんと不思議な事に、ネバネバがあっさりと取れました。

 後ろを向くように指差され、背中の方まで綺麗にして頂きました。


 合点がいきました。この人はこの入浴施設の従業員さんだ。


 ネバネバを取ってくれたお婆さんが、何やら文字が書かれた注意書きを指し示してきます。

 たぶん料金表なんでしょうが、困りましたね。

 今、持ち合わせがないんですよ。


 私、お金、ありませんという意味で首を横に振ります。


 お婆さんは驚いた顔で、私をじっと見つめてきました。

 申し訳ない気持ちでしょぼんとしたら、お腹の虫が代わりに謝ってくれました。


 そしたらお婆さんが笑い出しまして。

 どうやら許して頂けたようです。


 その後は、お風呂に浮かんだネバネバを棒で集めるように手振りで教えてもらったり。

 汚した分は、自分で綺麗にしろという訳かな。


 水風呂を綺麗にしたら、今度はすぐそばの宿泊施設に連れて行ってもらいました。

 ここで労働する対価に、泊めて頂けるお話になったみたい。


 そのお家は、天井から乾燥した草花がいっぱい吊り下がってます。

 とても良い香りで落ち着くね。

 床の塵を集めたり家具を動かしたりで、時間があっという間に過ぎていきました。


 一段落ついたところで、今度はちょっと離れたお風呂に案内して頂くことに。

 グラグラとお湯が湧いてて、とても気持ちよさそうところ。


 早速入ろうかと思ったら、まだ駄目なようで奥の方へ連れて行かれました。

 ここは…………泥がいっぱいだ。


 お婆さんが道具で、泥を掘り返してるや。

 ああ、分かりました。これは泥のお風呂と言うやつですね。

 一度、入ってみたかったんですよ。お肌すべすべになっちゃうかな。


 穴掘り道具を渡してもらったので、せっせと自分用の穴を掘ってみます。

 よし、できた。 


 さあ、埋めて下さい。って何処行くの?


 どうも何か違ったみたい。

 来た道を戻ると、お婆さんが途中で止まって指差してて。



 そこには何と、鍋に盛られたご馳走が!



 お湯にのんびり浸かりながら、お食事できるなんて最高の場所です。

 疲れ切った体にお湯の温もりが、じんわりと染み渡ってきます。

 思わず鼻歌が漏れてしまいましたよ。


 では早速、頂きましょうか。


 うん、美味い!

 熱々の感触が、喉越しを通るさまは格別だね。

 じっくりと煮込まれたせいか、お野菜の旨味が存分に溶け込んで思わず舌鼓ですよ。

 そして口いっぱいに広がるコクと緑の香りが抜けると、僅かな苦味が舌の上に残ります。

 これは大人向けな味わいかな。



 温泉にのんびり浸かりながら、とろとろに煮込まれシチューを食す――身も心も暖まる逸品です。



 思わず全部食べちゃった。

 おいしすぎて食べ過ぎたかなって思ったけど、おばあさんは笑ってたよ。

 何かおかしかったのかな。


 そのあとベッドでぐっすり眠って、起きたら枕もとにお風呂用のタオルがあったんだ。

 うれしくて笑ったら、おばあさんにうるさいって怒られました。

 

 タオルを首に巻いてたら、似合うってほめられたよ。


 僕も何かお礼したいな。

 そうだ、おばあさんお花が好きだから、ここに来るとちゅうに咲いてたあの大きな花を取ってきて上げよっと。



   △▼△▼△



 ノックの音で急いで扉を開けた老婆が対面したのは、呑気な顔の小鬼ゴブリンの行商人ゴブチャックだった。



「婆ちゃん、にもつを届けにきたごブ」

「なんだい、アンタかい」

「たのまれてた小むぎ粉の大ぶくろに、塩の小ぶくろ。紙たばに火うち石、あとはバターの大つぼとロウソクも注文どおりごブ」


 テーブルに背負い袋から取り出した品を次々と並べつつ、ゴブリンは家の中に溢れかえる甘酸っぱい香りに鼻をひくつかせた。


「なんだかいい匂いがするごブ。ところで、かぜ薬はできたゴブ?」

「まだだよ。こっちはそれどころじゃなかったんだよ、アンタ。それより、ここに来る途中に誰かに出会わなかったかい? 熊の毛皮を着込んで首にカーテンを巻いた大男とか」

「そんなゆかいな男は見なかったごブ」

「まったく何処に行っちまったんだろうね、あの子は」

「婆ちゃん、またなにかと見間違ったごブ? ちゃんとこれ持ってきてあげたごブ」


 背負い袋の底をゴソゴソと探っていたゴブチャックは、蝋引き紙の包みを取り出す。

 ガッカリ顔の老婆は上の空で包みを開き、中の品を鼻の上にひょいと乗っける。


「これでアンタの間抜けな顔も良く見えるよ。ありがとうさ、ゴブチャック」

「どういたしましてごブ」


 先日、うっかりお尻で踏み潰した眼鏡の代わりがやっと届いた老婆は、 明瞭になった視界で毒づく。

 

「仕方ないね。あの子が心配だけど、先に薬の仕込みをやっつけるかね」

「もうちょっとかかるごブ? キグロー副団長、かなり急いでたごブ」

「今は団長殿だよ。しかしエルソールに竜狂いの薔薇の粉末をすべて渡したのが裏目に出るとはねぇ。アレを少し入れるだけで効能が全然違うんだよ」


 元北方辺境騎士団副団長で現東方辺境騎士団団長のキグローの手紙の中身は、現在、暴れ風あかしまの荒野に住まう人馬族ケンタウロスや東方辺境騎士団に悪質な風邪が流行っており、至急その窮地への助力を嘆願する内容であった。


 王都の方でも同じような風邪が流行っており、騎士団へ医師を派遣する余裕もないらしい。

 沼の魔女の薬はゴブリンの行商人を通じて、その素晴らしい効き目は亜人たちに広まっており、亜人の事情に詳しいキグローからも何かの折に頼りにされてきたのだが。


「竜狂いの薔薇の粉末が無い以上、ぎりぎりまで煮詰めて効能を上げるしかないね。最低でも三日はかかるよ」

「そのばらの粉って、どこにいけば手にはいるごブ?」

「薔薇を狙うってんなら止しときな。あれは近寄ったら最後、竜でさえ骨抜きになって養分にされちまう化け物だよ。アンタが恐れてた沼蜘蛛の十倍は恐ろしい相手さ」

「蜘蛛なら、誰かがたおしてくれたごブ」

「そうなのかい? うん、まさかね……」


 そこでまたも誰かが扉を叩いたので、老婆は急いで駆け寄って戸を開く。


「まったく何処まで散歩に行ってんだい! 杏のパイが焦げちまうよって、アンタらかい」


 扉の向こうにいたのは、ゴブチャックに雇われている人馬族ケンタウロスのケンとタロウの二人組だった。


「ボス、大変。コッチ来てくれ」

「なにかあったごブ?」

「池、薔薇咲いてる」

「何言ってんだい。あそこに薔薇なんて植えてないよ」


 裏に回った二人は、驚きの余り口を大きく開いたまま呼吸を止める。

 そこに広がっていたのは、魔女の薬草園の池に無理やり押し込まれた巨大な竜狂いの薔薇というあり得ない眺めだった。


「ばばばば婆ちゃん、ゴブチャックはここで死ぬごブ?」

「大丈夫だよ、薔薇は暖かい水じゃないと生きられないのさ。コイツはもうとっくに死んじまってるよ」

 

 ぐったりと伸び切った蔓や根を調べながら、上ずった声で老婆が答える。

 

「だれがやったごブ? すごい力もちごブ」


 横から覗き込んだゴブチャックが、無理やり引き千切られたらしい部分を指差して感嘆の声を上げた。



「…………そうだねぇ。こいつはきっと愉快な男の仕業だよ」



 事情を察した老婆は、変わった客人の置き土産に大笑いしながらゴブチャックの背中をバンバン叩く。

 あの熱湯が平気なら、薔薇の魅了香もへっちゃらだろう。沼蜘蛛を退治したのも、きっと――。


「さあて、アンタら手伝っておくれ。急いで薬をつくるよ」 

「めんどうごブ」

「手伝ったら杏のパイを食べさせてやるよ」

「俺、手伝う」

「これ、運べばいいのか?」

「ゴブチャックの分も残しておくごブ!」


 その年、王国の村や町で未曽有の大流行の兆しを見せていた悪質な風邪は、ゴブリンの行商人たちが持ち込んだ薬であっけなく終息を迎えた。

 当初この流行り病は亜人のせいだという根も葉もない噂が流れていたが、格安すぎる値段で薬をばら撒くゴブリンたちの姿に、その流言はあっさりと霧散した。


 これによって助かった患者の数は、数千人を超えると推測される。 



 素晴らしい効き目をみせた薬の名は、魔女の妙薬とだけ伝わっており、その作成者の名前は明らかになっていない。




小鬼族ゴブリン

 頭部に瘤のような丸みを帯びた角を持つ小柄な種族。成人しても人族の子供ほどの背丈しか無い。

 基本的に人懐っこく、好奇心旺盛であまり物怖じしないが、反面騙されやすいという欠点もある。

 取り引きや交換が大好きなため商人の職を選ぶゴブリンが多いが、はっきり言って商才を持つ者は少ない。

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