第十四話 手羽先の香草燻し ~芳しき風とともに~
ツンツンと頬をつつく感触で、私を眠りから覚めました。
とても良い夢を見ていましたよ。
真っ白な花が咲き乱れるお花畑の夢です。空には青い月が浮かんでおりました。
あれは一体どこの景色でしょうか。なんだかとても懐かしい眺めでした。
大きく伸びをしながら見渡すと、川に沿って走っていく人影が見えます。
私を起こしてくれたのは、あの方でしょうか。
頭に大きなタンコブが二つもありますね。
痛くないのでしょうか? 少し心配です。
「頭、大丈夫ですか?」
飛び上がって、余計に早足になってしまいました。
少々、驚かせてしまったようですね。
これは謝罪しなければ。
急いで追いかけると、またも飛び上がって余計に早足に。
これはあれですね。追いかけっこという遊びですか。
「はははは、待て待て~」
なんだか楽しくなってきますね。
夢中になって前の方を追いかけていたのですが、気が付くといつのまにか建物が並ぶ場所に来てました。
森の丸太小屋以来ですね、建造物は。
ここは……塔に付けた羽を回転させて風を作っているようです。
随分と興味深い。研究の余地がありますよ。
おや? この送風機だけ、回転してませんね。
壊れているのかな。うむむ、何か引っかかっているような。
ちょっと力を……………………。
「ヴァックショイ!!!!」
あら、うっかりくしゃみが。
これは失敬。
でもおかげで送風機が回り始めましたよ。
くるくるくると、見てるだけで目が回ります。
ついつい笑顔になりますね。
むむ、私の笑い声がおかしく聞こえました。低くなったり戻ったり……。
この羽に声が当たって反射するせいでしょうか。
ちょっと試してみましょう。羽を力一杯回しながら――。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
なんと楽しい。なるほど、これはこうやって遊ぶための施設なんですね。
気が付くと見知らぬ人たちが大勢、遠巻きにこちらを見てました。
ちょっとはしゃぎ過ぎてしまったようです。
この施設を作った方たちでしょうか。
美味しそうな四足歩行の動物に乗って、堅い殻のようなものを着込んでいますね。
この食べ物に乗るという発想。じつに天才的で素晴らしい。
私も機会があれば、是非挑戦したいものです。
それでは、ちょっとお茶目にご挨拶いたしますか。
「こ゛ん゛に゛ち゛わ゛~」
みなさん、なぜか逃げていきますね。
ははーん、また追いかけっこという遊びですか。
逃げる方が笛をぷぅぷぅ鳴らして、とても愉快です。
「はははは、待て待て待て~」
ほほう、あの四つ足の動物は意外と脚が速いですね。
とても美味しそうです。じゅるり。
ほらほら、がぶりと行きますよ~。
追いかけっこに、またも夢中になってしまいました。
気が付くと、今度は塀で囲まれた場所が見えますね。
なにやら、いい匂いの煙が上がってます。
それに大きな鳥が、いっぱい飛んでます。
ふーむ、飼育している様子ではないようですね。
閃きました。これは煙を使って、あの鳥たちを調理しているのでは。
ちょうど小腹も空いてますし、どれ一羽ご相伴に預かりますか。
首根っこを抑えて、羽をむしりと。
ごりがりごしゅメキィモキュがりごくり。
うまい!!
この手羽先、煙でいい感じに燻されてて凄い味わい深いですね。
特に付け根のところの、脂が乗り切ったお肉が堪りません。
膜の部分もぱりぱりした歯応えで、何枚でもいけます。
脂でくどくなった口の中を、リセットするのに一役買ってくれますし。
香しい手羽先を思うままに頬張る。これはお酒が欲しくなりますね――まさに考え抜かれた逸品です。
うん、うまい! もう一羽頂きましょうかね。
もしゃもしゅグリガリごきゅごっくん。
これもうまい! 身がぎゅぎゅっと引き締まって、食べ応え抜群です。
もしや手羽先食べ放題?!
むむ、鳥たちが逃げ出しましたよ。
随分と生きのいい料理たちですね。
「はははは、待て待て待て待て~」
一番大きいやつを飛びついたら、そこでちょっとしたサプライズが。
私を乗せたまま、鳥が飛び始めたんです。
これが食べ物に乗って移動するということですか。
確かにこの感覚は楽しいですね。
地上がどんどん離れていきます。
とても素晴らしい眺め。
このまま、どこまでも飛んでいきたいですね。
△▼△▼△
オークの奴隷収容村の村長ゾルバッシュは、口をぽかんと開けたままトロールが飛竜に跨って東の空へ消えていく姿を見送った。
こんな予想外の展開になるとは、夢にも思っていなかった。
町外れで黒小人族の親方ゴリドを助けたゾルバッシュは、収容村からの脱走計画を大幅に変えることとした。
ゴリドは北嶺の山中を抜ける穴の中を、大量の水と一緒に流されてきたのだという。
その穴を利用できれば、飛竜や追跡隊に見つかることなく安全に逃げ果せることができるはずだ。
次に騎士団の駐屯所をどうにかする方法だが、薬師のエルソール先生が素晴らしいアイテムを提供してくれた。
東の沼地には、稀に竜狂いの薔薇と呼ばれる植物が根を下ろす。
見た目は華やかな大輪の花弁を持ち、その蜜の匂いは竜でも狂うほどの香りを発すると言われている。
だがその大きさは人家の軒を軽く超えるほどに育ち、甘い香りで引き寄せた獲物を蔦で絡め取って養分に変える恐ろしい食人植物でもあった。
名前通り危険な植物ではあるが、その根の粉末は万病に効果があると同時に、あらゆる動物を惹き付ける興奮剤となる。
入手には多大な危険を伴うため、同じ重さの金貨と取引されるほどの貴重な品だった。
「ぶひぃ。良いのですか? 若先生」
「この薬はお師匠様から、困った人を助けるために使って欲しいと託されました。今がその時だと」
「ぶひ! しかし、それではガヤン殿の奥方の病を治す手立てが――」
「それだったら大丈夫だ。ゴリドの旦那に聞いたんだが今、北の峠に大蠍が棲みついてるんだとさ」
「ぶひひ、それは大事なのでは?」
「若先生の話だと大蠍の尻尾の毒が、実は心の臓の病によく効くらしい。これでやっと女房を楽にしてやれるぜ」
「ぶひ、それは良かった。ここから脱出できたあかつきには、微力ながら大蠍退治に是非お力添えさせていただきます」
「ああ、飛竜と素手でやりあってきたアンタらだ。頼りにしてるぜ。脱出には俺も出来うる限り協力させてもらう」
鬼人族のガヤンは、言葉通りの素晴らしい活躍を見せてくれた。
北嶺の山々へ逃げる際に、途中であの化け物に出くわす可能性がある。
それならいっそ、作戦に組み込むべきだとゾルバッシュは考えた。
まず足の速いガヤンが、何とかしてトロールをこの村までおびき寄せる。
ゾルバッシュは騎士団の駐屯所へ出向き、そのことを知らせ騎士たちが村へ来るように仕向ける。
少し手薄になった駐屯所では、妻や娘のメイド部隊で数ヶ所に同時に火を点けボヤ騒ぎを起こす。
煙が上がったら、あとはそこに予め渡しておいた竜狂いの薔薇の根の粉末を投げ入れるだけだ。
その結果は恐ろしいものとなった。
長らくこの北大峨の麓で暮らし、常日頃から飛竜を見慣れていたゾルバッシュでさえも目を疑うほどの数が押し寄せたのだ。
猫にマタタビの如く興奮した竜たちで、駐屯所は大混乱へと陥った。
そのタイミングで村に偵察に出向いていた副団長が、死に物狂いで馬を走らせて戻ってくる。
そして副団長の背後には、猛り叫ぶトロール。
そうなるように仕向けたとはいえ、あまりの恐ろしさにゾルバッシュは声を失った。
阿鼻叫喚な状況のもとへ、さらに化け物が加わった。
どうなるかと物陰に隠れ固唾を呑んで見ていたゾルバッシュを前に、トロールは猛然と飛竜へ襲いかかった。
もうこの時点で事態はゾルバッシュの手から離れ、遥か彼方へ飛んでいく。
硬い鱗をもろともせず、竜の翼を引き千切り貪るトロール。
瞬く間に半壊していた駐屯所は、飛竜の屠殺場へと早変わりした。
建物をなぎ倒しながら逃げ惑う飛竜たちを、トロールが追いかけ回しては次から次へと翼を毟っていく。
それは飛竜に永らく虐げられてきたオークたちにとって、胸がすく光景でもあった。
「なんてこった。ここは地獄か」
「ぶひぃ、ゴリドさん。首尾はどうですか?」
「ああ。全員、無事洞窟まで避難が終わったぜ。あとはお前さんらだけだ」
「サラ様は?」
「都合よく気絶してくれたから、そのまま寝かしておいたぞ」
「ごっちゃんです。では我々も退散しましょう」
この直後、飛竜の群れのボスにトロールが飛びかかり、そのまま二匹は地平線へと消える結果と終わった。
それから先は北嶺鉱山の働き手にオークたちが加わったり、ガヤンが家族と涙の再会が出来たり、エルソール先生が故郷の妹たちに大量の黒鋼の鏃をお土産に持って帰れたりと、色々あったがそれらはまた別のお話。
△▼△▼△
水風車の中で目覚めたサラを出迎えてくれたのは、傍にあった置き手紙だけであった。
胸騒ぎを覚えながら、女騎士は震える手で封を開く。
収容村の生活に耐えかねて、恐ろしい化け物や飛竜を呼び寄せて、その隙に脱走する計画であったこと。
騒ぎに巻き込みたくないため、あえてここの風車に細工してサラを引き止めたこと。
そして今まで色々と助けてくれたことへの感謝が、手紙には綴られていた。
それと文章の最後に、団長を井戸へ閉じ込めておいたので、助けて手柄にでもして下さいと添えられていた。
手紙を読み終えたサラは、静かに風を送り続ける風車を見上げながら、少し寂しそうに呟いた。
「さようなら……素晴らしい筋肉たち。またいずれどこかでお会いましょう」
王国が誇る北方辺境騎士団駐屯所は、飛竜と化け物の大襲来を受け壊滅状態となった。
建物はすべて破壊しつくされ、外塀も綺麗になぎ倒されて瓦礫の山のみが残された酷い有り様だ。
そして財政難の折、再建は難しいと判断され、北方騎士団は解散を余儀なくされる事態となる。
もっともその辞令には飛竜の大量死亡が報告されたことで、騎士団の維持が当面は不要になったいう判断も含まれてはいたが。
団長であったゴーマンは部下を見捨て一人井戸へ逃げ込んだ行動が問題視され、騎士職剥奪ののち王都追放の命が下される。
副団長のキグローは的確な避難指示によりあれほどの被害の中、死者が一人も出なかった功を認められ、東方辺境騎士団団長への転属が命じられた。
騎士サラは団長を見つけ出した手柄という名目で、王都騎士団への入団が決まった。
彼女は元より、決まっていた王都騎士団への編入を蹴って強引に辺境騎士団の新卒枠に潜り込んだため、この辞令は当然ともいえる。
無人となったオーク奴隷収容村だが、住人はすべて飛竜の犠牲になったとされた。
ただ今回の事件以降、村一帯に飛竜が全く近付かなくなったので、後に観光名所として有名となる。
水風車がのどかに回る光景に、あの日の惨劇の影はどこにも見当たらない。
なお東の空へ消えたとされた飛竜のボスは、しばらく後に生息が確認された。
背中の鱗がところどころ失われた姿から、その飛竜は"銀斑"と呼ばれ、水風車村の"飛竜のねぐら"観察ツアーの人気者となった。
白銀の威容を誇ったその飛竜は終生、決して人里に近寄らなかったと聞き及ぶ。




