ターン・ザ・タイド
「ひゃー、そと、さむいねー♪」
「そうなー。でも、温泉あれば、もう怖くないなー」
「なー♪」
湯上りでホカホカしたブラザーを抱えながら、俺は第四作戦司令室まで戻る。
温泉の精リーセにはまた来ると挨拶しておいた。あの温泉は、本当に素晴らしかったからな。全身に薬効が染み渡るような泉質で、マイナス三十度の世界で凍死しかけていたのが嘘のようにポカポカだ。疲れたときには入りに来よう。
「お待たせ、って暑ッ⁉︎」
廊下を繋いだ裏口から入ると、モワッと熱気が襲ってきた。
「お帰りなさいメイさん、スライムちゃん」
マールはまだ平気な表情だが、一階にいる彼女の周囲は既に小春日和くらいの温度になってる。俺たちが戻ってくるので、湯冷めしないようにかいったん換気口を閉めてくれたようだ。気遣いは嬉しいが、それでコアの温度が上がるのはマズい。
「マールは無理しないで、コアの冷却優先に考えてな」
“はい、ありがとうございます♪”
俺たちが階段を上がってゆく途中で換気口が開き、階下に風と粉雪が舞い始めた。
二階に上がって窓から外を見ると、何をどうしたやら点々と地面が露出した場所があった。たぶん、マールが転がって溶かしたものなんだろう。どんだけ高温なんだ。
「マール、俺たちは四階層に移動する。こっちは任せて良いか?」
“もちろんです♪”
えらいご機嫌なマールに【連結】を頼んで、湖のある四階層、湖畔の第三作戦司令室に転移してもらう。
室内は無人だったが、外から何やら激しい水音がしていた。
「なんだあの音」
「えるでらー」
コンソールのモニターが開くと、<水蛇>姿のエルデラが湖面を滑ってゆく姿が見えた。背中には十人以上の人影がある。見た感じ子供のようだけど、なにしてんの、それ。
「そりゃあぁー」
「「「ひぃやああぁああああぁ……♪」」」
……いや、なにしとる。お前はリゾート地のバナナボートか。状況はそれどころじゃないんとちゃうんか。ちっこい方の間諜が黒幕不明でどうとやらって話で止まってた。その後は俺もコア加熱問題にかまけて忘れてたからひとのことは言えんが。
「あー、みんな、ずるーい!」
「え? ああ、そういうことね」
画面を見ると、<ワイルド・スライム>やら<ブルー・スライム>やらが水上バイクみたいな感じでエルデラと並走してる。そっちはそっちで二、三人の子供を乗せてて、歓声を上げながら競走なんかしてる。
「行ってきて良いぞ」
「わーい、ありがとますたー♪」
同行してくれてた<ワイルド・スライム>も湖の方に跳ねていって、俺はコンソールに向き直る。
湖の岸辺近くでは、<ピュア・スライム>が幼児とか、赤ちゃんを抱いたお母さんを乗せてチャプチャプとゆっくり航行しているのが見えた。やっぱエルデラと仲間たちは弱者に優しいんだな。
「マール、間諜の子供がいるみたいなんだけどさ」
“はい。把握しています。先ほど、エルデラさんからも追加情報が入りましたから”
湖で無邪気に子供と戯れている<ハイドラス>の姐さん、実は遊んでいるわけではなく間諜の道具として使われている虫を排除しようとしているのだとか。姐さんの背中に乗せられた子供のなかに、例の間諜疑惑の子も混じっていた。無理やり乗せられたのか、あまり嬉しそうな顔はしていないが。
“排除は順調です”
よく見れば水飛沫の周囲には水棲の魔物がいて、水面に近付いた虫を捕食している。ぐんぐん数を減らしているなかに、通信機の役目を持った虫が混じっているはずなのだ。個体の増減数と通信量の関係を定点観測することで虫の特定も可能になる。
「理論上は、だろ? そんな無駄に膨大なデータ処理なんて……」
“いえ、既に特定できました”
「マジで⁉︎ 仕事早えぇ……それもコアの機能が上がった成果?」
“はい♪”
たぶん高性能化というよりも、並列処理が可能になったのが大きい。大きなタスクをこなすと他ができない、という状態は想像以上に非効率なのだ。裏で小さなタスクをこなせれば、全体のタスク処理能力は飛躍的に上がる。
“情報を媒介しているのが群妖虫という、エルデラさんの読みは当たりです。あの子との接点は<叢貪小蝿>でした”
資料として画面に映し出されたのは、まあ見た目ふつうのハエだ。サイズと形状も大まかにはハエだが、口の形が少しおかしい。アップで見るとコルク抜きみたいな禍々しい形をしている。
“生物の血とともに体内魔素を吸い、寄生虫被害や感染症を引き起こす害虫ですね”
蚊ではなく、ハエなの? とは思ったが、寄生虫や感染症を運ぶのは元いた世界でも同じか。
“この<ギャングフライ>は小さくても魔物なので、【使役契約】が可能です”
ハエだけに情報収集能力も移動能力も生存能力も、使役の精度も低い。反面、低コストで使役しやすく発見されにくいので、未熟な魔物使いが使い魔として使い捨てるにはもってこいなのだとか。
「なるほど。エルデラから聞いた子供の間諜が、おそらくそれだろうな」
“情報の受け渡し先がどこなのかは、いま<ハーピー>ちゃんたちに追跡してもらっています”
「え? ハエを? 上空から? そんなこと、できるの?」
“はい。彼女たちの視力と魔力感度は、魔物のなかでも群を抜いています。わたしもサポートしていますから、問題ありません”
モニターのひとつに、上空からの映像が映し出された。俺には何も見えなかったが、通常映像から白黒に切り替えられると無数の光る点がモヤのように表示される。
“その小さな光点が<ギャングフライ>ですね。ときおり大きなものが映りますが、それは鳥や他の魔物なので気にしないでください”
「なあ、マール」
この映像を見て、気になることがあった。ここ、見覚えがある。
「送り込んできたのって、王都の生き残りか?」
“可能性は半々ですね。飛んで行く方向は王都ですが、どの勢力かはわかりません”
王城は崩壊して、王と王族の生存は絶望的。王国は無政府状態になりつつあるが、真っ先に占領された王都は治安が維持されているようだ。
政務を司る法務宮は南領の領地軍に占拠されていたが、そこに加わったのがルスタ王国の特務部隊。アーレンダイン王国と北東で国境を接するルスタ王国は、南領伯――そして西部のダンジョン爵たちの襲撃を受け行方不明の西領伯――と接触を持ち、密かに内通していた。
“法務宮です”
崩れかけの建物に、<ギャングフライ>の群れが向かってゆく。それと同時に、地上からの映像に切り替わった。王都に潜伏してくれていた<インヴィジブル・スライム>だと、マールから説明がある。ここまで追跡してくれていた<ハーピー>は、上空を旋回しながら動きがないか探ってくれるようだ。
「どこの勢力であっても、同じことだ。エルマールに手出ししようとしているんなら、早めに潰した方がいい。マール、法務宮に<ワイルド・スライム>を送ってくれ。可能なら俺もだ」
“メイさん……”
「ん?」
“なんだか急に、ダンジョン爵らしい顔になられましたね”
いまだけだけどな。さっきまでぺローンと弛緩し切った顔で温泉に浸かってたし。
それに正直に言えば、アーレンダイン王都もルスタ王国もモノル帝国も、どうなろうと全く興味がない。滅びようが殺し合おうが手を取り合おうが、どうでも良い。俺が大事なのは、自分のダンジョンと仲間たちだけだ。
「ああいう手合いはハッキリ思い知らせてやらないと、何度でも手を出してくる」
ほんの少し前まで、エルマールは吹けば飛ぶような弱小の新規ダンジョンだった。攻め滅ぼされて強者の養分になることが決まったような存在だった。
でも、もう立場が違う。運とマグレと他力本願と棚ボタの総決算ではあるが、結果的にエルマール・ダンジョンはアーレンダイン王国最強のダンジョンに生まれ変わった。潮目は変わったのだ。それを読みきれない者は瀬に残され、あるいは潮流に流される。
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