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大魚の影

「そっかー……」


 流民のなかに間諜が混じっていると聞かされて、俺はリアクションに困る。


「意外に驚いとらんの。さては、お主のことじゃ。その程度のことは、織り込み済みじゃな?」

「いや。正直に言うと、さほど興味がない」

「正直すぎじゃろがい!」


 呆れ半分でツッコまれた。

 たしかに言い訳というか、言い様はあったな。忙しくてそれどころじゃなかった、とか。エルデラ先生を信用してた、とか。あえて考えないようにしていた、とかな。

 不器用な人間にとってはノーガードも戦略のひとつだ。とはいえ、知ってしまった以上は何もせんわけにもいかん。


「間諜が混じってるとして、数はどのくらい?」

「ふたりじゃな。あとは、それに乗せられた阿呆が何人かおる」


 湖で流民のサポートをしてくれてる<ブルー・スライム>は、“神獣の御使(みつかい)”という立ち位置で老若男女から頼りにされ可愛がられている。と同時に、彼らはエルデラの耳目にもなっていた。

 ブルーなブラザーに加えて、気配も姿も感知されない<インヴィジブル・スライム>が配置されて、コソコソ話まで拾ってくれている。情報を取りまとめてエルデラに伝える役目は、もちろん<ワイルド・スライム>のブラザーたち。


「すごいー?」

「うん、スゴいよ。いつもながら、ホントにスゴい」


 もう俺は要らないんじゃないのかな、と言いかけて止めた。誰にでも覗き込んではいけない深淵というのはあるのだ。俺の深淵、ムッチャ浅そうだが。


「ひとりは、こいつじゃな」


 エルデラは、機能制御端末(コンソール)の画面に映っている男を指した。三十代か四十代か、日焼けして痩せた身体にボロボロの野良着。見た目には、ほぼ特徴がない量産型の中年農民だ。百人とかいる流民のなかに混ざってしまうと、たぶん俺には見分けがつかない。


「排除する必要はある?」

「害をなす要因は、もう排除しとる。何度か<周回蜜蜂(ラウンドビー)>を放っておったがの」

「ラウンドビー?」

「ちっこい虫の魔物じゃ。腹に通信筒を巻いて、運ばせよる」


 おうふ。よく知らんけど、元いた世界で例えると伝書鳩を仕留めた感じか。

 捕まえた虫の方はもう処分してしまったようだが、通信筒は確保してくれてた。こっちの世界の流儀なのか、小さな木の板を丸めた木簡みたいなもの。それが、ふたつあった。

 傷で文字を刻んでいるようだが、俺には読めん。この世界の文字も普段は自動翻訳っぽく頭には入ってくるのに……暗号化しているせいだろうか。マールに見てもらおうかと思ったが、エルデラが解読済みだという。


「最初のは、単なる数字じゃな。男四十七、女三十二、子供二十九、赤子六、スライム二十二、水龍一」

「すらいむ、かず、まちがってるねー?」

「それは仕方がなかろう。そして次のは、兵を送るのは難しいと書いとる。水辺を越えて先には行けんと」

「へいたい、ながれてきたからねー」

「ん?」

「ほれ、三階層からこっちに寄越した兵隊がおったじゃろ。石組みの漁場(いさりば)で揚がった大魚の腹から、喰い千切られた腕やら革鎧の欠片(かけら)が出て騒ぎになっとったそうじゃ」


 えー。

 兵士が喰われるのはちょっとだけ見たけど、ここの魚って、皮鎧を喰い千切るのか。そこまでくると魔物なのではないですかね。


「通信は、その二回だけ?」

「そうじゃ。<ラウンドビー>は日持ちせんからのう」


 さっきも名前の出た<ラウンドビー>について、マールがコンソールの画面に映してくれた。体長七センチ(ソーニム)ほどの蜂の魔物で、性質は大人しく帰巣本能が強い。長距離移動しながら蜜を集める習性を利用して密偵や間諜が通信用に使う。

 ラウンドビーは巣の働き蜂が作る特殊な餌しか食えない。なので、巣から長く離しておくと餓死してしまうそうな。


「筒を運ぶ虫を失ってからは、大人しくしとるようじゃ。諦めたのか助けを待っとるのか……いずれにせよ、あの場所じゃ出来ることもないがの」

「へえ……」

「もうひとりは……ああ、こやつじゃな」


 切り替わった画面に、えらく小柄な人物が映っていた。炊き出しの列に並んだ、もじゃもじゃの毛玉みたいな子供。身に纏っているのはボロ切れ以下の、ほとんど端切れのような布だ。栄養が足りないのか背中を丸めてるせいか、身長は大人の股下くらいまでしかない。


「え? 間諜、なの? こんな……小さい子が?」

「そうじゃ。どこぞと魔力で通信しとる。いまのところ最も警戒すべきは、こやつじゃ」


 チラリと、こちらに視線をやって顔を(そむ)けた。


「見た目に騙されると痛い目に遭うぞ? いまは逃げ場のない場所に()るから、この程度だがの。こやつ、<インヴィジブル・スライム>さえも感知して身を隠し、器用に距離を取りよるんじゃ」

「えー……それ、ホントに人間?」


 なにせ<インヴィジブル・スライム>、半透明どころか完全に透明。どこぞの光学迷彩並みに視認不能で、止まっていれば気配も魔力も消すのだ。エルマール・ダンジョンで最強のアハーマやラウネでさえ、存在を察知するのは至難の技らしいのだが。


「ウチの見たところ、ただの人間じゃ。逃げ隠れ感知する能力以外は、そう高くないしのう」

「でも魔力による通信とか、<インヴィジブル・スライム>を察知とか、ただの人間ができるもんなのか」

「できん」


 できないんじゃん。それじゃ、このモジャモジャはなんか特殊な出自か能力を持ってるってことじゃん。

 そんな俺の感情を読んで、エルデラは溜め息を吐いた。


魔物使い(テイマー)(たぐい)ではないかの。どちらが主従かは知らんが……おそらく、どこかに厄介な本体が()る」

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