咲き誇る死に花
全長一メートル半の対魔砲を後ろ手に持ち、マイルは静かに息を整える。
降り注ぐ黒い霧は既に視覚と聴覚を奪い精神を蝕み始めていた。肌の下を無数の線虫が蠢くような感触も、背後から聞き覚えのある声で啜り泣く気配も。
現実ではない。植物系魔物の魔毒性花粉による幻惑だ。わかってはいても神経は軋みを上げ、戦闘前の集中力はゴリゴリと削られる。
冒険者時代のマイルは、無数の魔物を殺してきた。ただ殺すのではなく、魔力硬化鞭で視覚を潰し、攻撃能力を折り、移動能力を砕いて、身悶えする身体を切り刻むのだ。生皮剥ぎなどと称されるようになったのは、魔物の凄惨な殺し方からだ。
“魔物暴流”により爵位を奪われた、褫爵家嫡男の報復。
「ただの八つ当たりだってことは、自分でもわかっていたさ」
「いい」
呟いた<アルラウネ>の声は、平坦だった。少女にしか見えない妖花の魔物は、マイルに視線を向けて小さく首を振る。それでようやく、自分が思いを口に出していたことがわかった。
「わたしも、同じ。同胞を守れなかった自分の無能を棚に上げて、敵として当然の行動をとったあなたたちに殺意を向けている。ただ殺すだけでは終わらない。正当化しようとは思わない。これは、ただの八つ当たり」
濃度を増してゆく黒い霧のなかに、少女の姿は掻き消された。
「……だから、それでいい」
咄嗟に転がって斬撃を避ける。それは傍らの地面を掘り起こして、遥か彼方まで吹き抜ける。土はえぐれて巻き上げられ、草の残骸とともにバラバラと降り注ぐ。
“穿孔”
遅れて聞こえた声は、タイレンを真っぷたつにした攻撃だ。草のなかに隠れて距離を取ろうとするが、馬より速い魔物の浮遊機動から逃れられるはずもない。
かつて上がったレベルのほぼ全てを魔力硬化鞭での攻撃に注ぎ込んだツケが、いまになって回ってきたわけだ。肝心の鞭を同じ鞭使いに壊され、残された能力はわずかな防御と感知だけだ。
“鞭笞”
「【鋼腕】ッ」
魔力による硬化抵抗を上げた左腕で受け止める。斬撃というには重過ぎる一撃で、下腕が呆気なくへし折られた。結果を分けたのは能力やレベルの差ではなく、そこに込められた感情の多寡だ。灼熱の業火を感じさせる<アルラウネ>と向き合いながら、マイルの心は重く暗く冷え始めていた。
「……腕くらい、くれてやる」
折れた腕に痛みはない。痺れているだけ。どう見ても末期的症状だが、いまさら変わりはしない。
左の肘を支持架にして、マイルは対魔砲を抱え込む。右の指先を動かして感覚を保ちながら、アルラウネが間合いに入るのを待つ。逃げも隠れもできないと踏んだか、妖花の魔物は宙に浮くような移動をやめ二本の足で近付いてくる。
必死に息を整え、途切れそうな意識を繋ぎ止める。距離を置いて撃てば躱される。砲身を突き出しては逸らされる。自分の身体を、対魔砲の一部にするのだ。死が逃れられないなら。この化け物だけでも。
最期の、道連れにする。
「マイル」
背中に寄り添うように、囁きが聞こえた。ずっと会いたかった女の、ずっと聞きたかった声だ。
死に掛けの男は振り返らず、意識を前だけに向ける。暗く沈んでゆく視界の奥に、歩み寄る<アルラウネ>の足が見えていた。
あと七メートル。まだだ。必中の射程までは、あともう少し。
「マイル」
女の声は、近付きもせず遠ざかりもせず、男の背に何度も語りかける。頭のなかで警鐘が鳴り響く。意識するなと。それは罠だと。そんなものは存在しないのだと。
女の顔が浮かぶ。自分が不在の領都で“魔物暴流”に巻き込まれて死んだ、最愛の女の顔が。
「……ッ」
気付けば目の前にまで、<アルラウネ>は迫っていた。手が届くほど近く、両手を下げたままでマイル を見下ろしている。その目に怒りはなく、怪訝そうな表情で何かを言っている。マイルの耳に、その声は聞こえない。
指先が対魔砲の魔弾発動針を叩き、発射の反動でマイルは仰向けに転がる。息が詰まり、目の前が暗くなる。外しようもない距離、逃れようもない角度で打ち出されたであろう魔弾がもたらした結果は。
もうマイルの目には見えない。痛みも苦しみもない。何も見えず聞こえず、何ひとつ感じられない。
あの魔物に一矢を報いたのだと、信じたかった。家族も家門も誇りも夢も、何もかもを奪った魔物たちに加えてきた報復の。これが最期の一撃だったのだと。
「マイル」
女の声が聞こえた。耳にではなく、心の奥深くに。女は囁く。優しい声で笑う。
「……帰ろう、わたしたちの家に」
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