血に沈む花
“菌癒”
鮮血を迸らせるアハーマの胸に、顔に、全身に。ラウネは治癒効果のある金色の粉を吹き掛ける。青白い魔力光が瞬くものの、焦るラウネにはあまりにもどかしい。
“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”
効果が現れるのを待たず大量に投与されたアハーマは、ビクンと身を震わせながら身悶えしてもがいた。
「し、死ぬッ」
「だめ」
“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”“菌癒”
「ちち違うゲホよせラウネッ! やめろ、もう治った、やりすぎだ息が、できんッ! ゲふォッ!」
死者でも蘇生しそうな大量の治癒魔粉に塗れて、四つん這いのアハーマはゲホゲホと咳き込む。全身が金色に染まってあちこち青白く発光し、涙目でおかしな顔になっている。
無事を確認したラウネはアハーマを抱き締めると、自分の背後に置いて男たちに向き直った。
“葉鎧”
地面に突き立った無数の巨大な葉は強固な茎に支えられ、アハーマの周囲を囲って鉄壁の守りを完成させる。安全どころの話ではなく、どこにも行けず外も見えない。まるで装甲付きの鉄格子だ。
分厚い葉の向こうでラウネが背を向け、立ち去ろうとする気配があった。
「……おい、待てラウネ。いくらなんでも、これはなかろう」
「だめ」
「もう大丈夫だと言っているだろう。わたしも、お前と……」
「だめ」
ラウネの声が低くなる。優しい声音ではあるが、強固な拒絶の意思が含まれていた。
「……許さない」
アハーマが勝手に死ぬことも。自分が傷付けた相手への報復を邪魔することも。そして、その姿を見ることもだ。なぜなら。
いまの自分は、きっと。ひどく醜い姿になってしまうだろうから。
“鞭笞”
ラウネの手からツタが伸び、絡まって巻き付き手甲のように固まる。
“風滑”
ふわりと足が地面から浮き、青白い光とともにラウネの身体を音もなく加速させる。
無表情のまま草原を突っ切り、男たちに迫る彼女は殺気の塊だった。
「隊長、移動しますよ。声を出さずに」
マイルは上官タイレンの上に覆いかぶさるようにして、声を掛ける。
「……あの、……化け物、は」
「一匹仕留めたが、選別をしくじったみたいですよ」
それも、致命的にだ。手で触れられそうなほど濃く強烈な殺意が、視界を塞がれた草むらのなかでもハッキリと感じ取れる。
マイルは頼みの綱となった対魔砲を抱えた。なんとか手持ちできる大きさまで小型化した、攻撃魔道具だ。射出される魔弾は敵の体内に喰い込んで“体内魔素”を浸食し、急速に衰弱させる。体内の魔圧が高いほど効果も高いと聞いたが、いまのところ二体とも死んだ様子はない。
再装填を済ませて、副官マイルは息を吐く。貴重で高価な魔弾は二発きり。次で最後だ。そもそも、生きるか死ぬかの賭けに使う武器だ。
その意味では自分たちはもう死んでいるわけだと、マイルは自嘲する。
「……俺は無理だ、……マイル。……お前だけ、でも」
「逃げろ、ですか? そいつはありがたいですが、とうてい逃しちゃくれないでしょうね」
振り抜かれた“鞭笞”が、遮蔽にしていた馬の死体をバラバラに切り刻んで吹き飛ばした。音が斬撃の後から追いかけてくるのを感じて、思わず背筋が凍る。
「<食肉妖花>なんて、楽に屠れる雑魚魔物の代名詞だってのに……ありゃあ、まるで猛り狂った龍だ」
無数の魔物を薙ぎ払い切り刻んできた魔力硬化鞭までも、あの妖花に真っ向から打ち負けた。自信どころか生還の望みさえ砕かれ、生きる気力まで根こそぎ奪われた。
「魔物のなかには手を出しちゃいけない相手がいるってのは、聞いたことがあったんですがね。それがまさかこんなところにいるだなんて、誰も思わんでしょうよ」
「……よく、しゃべるな」
面白そうな声で、タイレンが囁く。声を潜めているのではない。もう声帯を震わす程度の声しか出せないのだ。彼は長くない。
「しゃべり続けてないとね、ビビッて泣き叫びそうなんですよ」
マイルは笑う。長くないのは自分も同じ。どうせ死ぬなら。腹を据える。覚悟を決める。
男たちの周りに淡い霞のようなものが現れていた。妙な臭いのする、黒い霧。感知はしたものの、効果は不明。【鑑定】には“混沌”とだけ出たが、詳細はレベル差で弾かれた。逃げることも振り払うこともできない。動けない以上、息を止めても無意味だ。それは静かに降り注ぎ周囲を覆ってゆく。
「とことん追い込んでくるな。仕留めたはずの女は、龍の逆鱗だったか」
「……ぁ、あ……」
霧を浴びたタイレンに異変が起きた。押さえようと伸ばしたマイルの手先からも、感覚が消え始めた。目眩がして、視界が暗くなる。
「……魔毒性花粉、か」
一般に戦闘能力も移動能力も低い植物系の魔物だが、ほぼ唯一の脅威が強力な毒だ。特に草花系のそれは視覚を、聴覚を、嗅覚を奪い、代わりに耐え難い痛痒と精神的苦痛を植え付ける。
浸食する闇の奥から、不定形の悪夢を出現させるのだ。死を、恐怖を、絶望を形にしたような。本人にしか知覚できない何かが、ゾワゾワとおぞましい音を立てて広がってゆく。
「あ、ああああぁ……ッ⁉︎」
「隊長、静かに!」
最初に神経が限界を超えたのは、重傷を負っていたタイレンだった。全身の出血が酷すぎて意識が朦朧としていた彼は、傍らに這い寄るものを感じて必死に抗う。
それが現実ではないと、頭は理解している。これは魔物の揺さぶりなのだと。身体も戦いへの備えがある。だが無意識下で心が耐えられなくなった。
死を待つだけだった男が、起き上がろうともがき出す。
「……俺を、……殺しに、来たのか」
「隊長?」
悪夢でも見せられているのだろうと、マイルは理解した。
常に何事にも冷静、悪く言えば無関心なタイレンは、繊細さとは程遠い男だ。そんな上官の心に忍び寄るものが何なのか、マイルには想像もつかない。
周囲の気配を探っていたマイルが振り返ると、驚いたことにタイレンは剣を杖に立ち上がろうとしていた。
「待ッ……」
“穿孔”
頭の奥に、そんな声が聞こえた。
目の前にあったタイレンの上半身が揺れて、血飛沫と肉片が飛び散る。胸甲ごと背中まで刺し貫いた<アルラウネ>のツタが、うねりながら上半身を千切り飛ばす。残った下半身は震えながらマイルに寄り掛かって、どろりとした臓腑をブチ撒けた。
マイルは上官の半身を振り払う。対魔砲を抱え込み、最後の勝負に出る。分が悪いどころの話ではない。イカサマ博打に有り金を突っ込むようなものだ。
「あと、ひとり。そこに、いるのね」
冷えた声で、妖の花が囁くのが聞こえた。
遥か遠くで、べちゃりと湿った音がした。タイレンの上半身がようやく着地した音だと理解して、敵の非力さに期待するのはやめた。
すべての期待を捨てる。生き残ることも。差し違える希望も。最後に一矢報いさえすれば、それでいい。
なぜか、おかしな笑いが込み上げてくるのがわかった。
「……ああ。ここにいる。……ここで、お前を待ってる」
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