進行する侵攻
「なんだぁ? これは……」
帝国軍特別先遣隊指揮官、タイレン子爵は忌々しげに息を吐いた。
エルマール・ダンジョンに入ってすぐ、王都の冒険者たちが“エルマール・囲い”と呼んでいるらしい安全地帯の町は無人だった。城壁に似た囲いで守られたそこは、何もかも過不足なく設えられたように見えて、生活感は微塵もないのが不気味だった。
整然と並んだ店や家は汚れもなく不自然なほど綺麗で、しんと静まり返っていた。ひとの気配はない。住人が揃って逃げたというような形跡も、無人になった後で荒らされた様子もない。
ここは本当に安全地帯なのか? いや、そもそも……安全なのか?
「敵影、魔物、仕掛け罠、ともに反応ありません」
どうやら、杞憂だったようだ。友軍斥候からの報告を聞いて、タイレンは副官のマイルに進攻を命じる。
「よし、前進」
面倒だが、他に選択肢はない。本国の意向を受けてアーレンダイン王国に入った彼は、東領伯エマル・ハイゼンと北領伯キール・エルマリドに迎えられた。そして、彼らがモノル帝国に領土を明け渡す条件のひとつが、この新興ダンジョンの攻略だったのだ。
「迷宮攻略など、冒険者にやらせれば良いものを……」
「王都陥落で、冒険者ギルドも壊滅状態のようです。王都防衛に駆り出された冒険者たちも、ほとんどが逃げるか死ぬか負傷しています」
「……使い捨ての駒を、早々に使い切ったか」
愚かな国は、滅びるべくして滅びるわけだ。
おまけに帝国では辺境伯に当たる方面伯たちは、揃って売国に走った。本当に、度し難い。
「マイル、本国からの増援はどうなっている?」
「まだ返答は来ていませんが、最低でもひと月は掛かるはずです。次に動かすとしたら、旅団単位の正面戦力ですので」
「……ちッ」
思わず舌打ちはしたものの、妥当な判断かとタイレンは鬱憤を飲み込む。泥を被る先遣隊としては腹立たしいが、いま大部隊を動かしたところで糧秣の無駄だ。
現時点でこちらの明確な敵対勢力は、北東ルスタ王国と内通した南領伯ナリン・コーエンの一派だけ。
西領伯とも手を組んでいたらしいが、王都侵攻を行った西部のダンジョン爵たちの襲撃を受け、西領府は壊滅。西領伯ウルダ・イーカンは消息不明だ。そんな状況では、向こうもまだ正面切って軍は動かせない。かといって帝国が兵を入れて南領に攻め込み、ルスタ王国を呼び込むのは得策ではない。
帝国に隷属した東領伯と北領伯は、暫定的拮抗が続いているいまのうちに不確定要素を潰したいのだろう。それが王都近郊のダンジョンだというのだから、呆れる他ない。
精強な大国である帝国の軍人からすると、ダンジョンを砦代わりに使うなどというアーレンダイン王国の発想そのものが理解不能だ。敵か味方かもハッキリしない、信用に値するのかもわからない、そもそも意思の疎通ができるのかさえ不明な相手だ。
それこそ、魔物を兵にするようなものではないか。
「隊長、それより気になる話が」
マイルから言われて、タイレンは顔を上げる。この男は、貴族としては底辺の准男爵でしかなかったが、妙に勘が良く独自の情報網を持っている。顎で促すと、底の知れない副官は声を落として告げた。
「本国から、我々とは別の部隊が入っていると」
「あ? なんだそれは。軍部の頭越しにか?」
「こちらに敵対する意思はないようですが、裏にいるのが誰かわかるまでは気を付けていた方が良いかと」
面倒な話だと溜め息を吐くタイレンたちの前に、領地軍部隊の指揮官が駆け込んできた。
「た、大変です! 軍馬が怯えて、動こうとしません!」
「知るか。ケツを蹴り上げてでも動かせ」
まるで子供のお守りだなと、タイレンは苛立ちを募らせる。
このダンジョンの等級はB、昇格直後で難易度は額面通りではないだろうが、空間だけは膨大だ。徒歩で攻略など冗談ではない。
帝国軍の特別遠征部隊、とはいえ役割は軍事的・政治的・経済的な橋頭堡の確保。タイレンに同行した兵士も帝国軍の精鋭ではあるが十二名だけだ。彼らを除けば他は領地軍の弱兵。数こそ百を超えるが、手槍と片手剣、革鎧を身に着けただけの歩兵だ。移動用の馬車を持ち込んだが、早くも迷宮内の狭い通路で動けなくなっている。
「部隊の先頭は、階層内の草原に出たそうです」
「帝国軍の斥候は動くな。案内役の冒険者を前に出して、罠と魔物の探索を行わせろ」
「は」
二、三日で中層階の安全地帯に幕営を置き、その後は安全を確保しながら半月ほど掛けて最深部まで攻略する。
「領地軍兵士百七名、草原入り口に布陣しました」
一時間ほどして、ようやく副官からの報告があった。たかが最初の階層、それも攻略前の準備ごときで随分と手間取ったものだが。捨て駒の王国の兵になど、何の期待もしていない。
「よし、行くぞ」
「は」
「我々の役目は、あくまでも督戦だ。王国側領兵の問題に深入りするなよ」
自分たちはダンジョン攻略のために来たのではない。本来の役割はアーレンダイン王国の内部に地歩を築くことだ。侵攻の足掛かりを作る目的の一部として、後顧の憂いを除くというだけ。
無駄な危険や問題を抱える気はない。
タイレンは近く訪れるであろう愚者たちの破滅を嗤いながら、薄暗いダンジョンの奥に馬を進めた。
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