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使者

 上空を旋回していた<ハーピー>の少女が降りてくると、カルミアは腰の剣を鞘ごと抜いた。


「やあ」


 柄を先にして右手で差し出すと、首を傾げられた。他国軍に対しては、それが敵意なしとの意思表示だが、魔物である彼女が理解してくれるかどうかは不明だ。

 差し出した剣は邪魔だとばかりに振り払われてしまったが、言葉は通じているように見える。不審に思われるのは想定内だし、兵士の礼法が理解されないのも予想していた。不信感があるのも当然だ。


「王国軍近衛部隊、カルミア兵士長だ」

「……かるみあ」

「そう。君のマスターと話したいんだけれども、訊いてみてもらえないだろうか」

「ますたー」

「うん。マスターと、お話、したい」


 眉を(ひそ)めて考え込んでいるが、わかっているのかいないのか。小さな子供と話しているような気分だ。

 <ハーピー>は、翼の生えた魔物。胴体と頭は、女の子の姿をしている。さらに言えば太腿と二の腕もだけれども、そこは意識しないようにする。

 性格は奔放だが知能はそれなりに高く、学派によっては亜人に分類されることもあると聞いた。


「いいよ」

「ありがとう……って、おい」


 ひょいと翼を広げると、ダンジョンの入り口から内部に飛び去ってしまった。


「案内、してくれないと俺は襲われたりしないのかな」


 懸念はあるが、ここにいてもしょうがない。危険があるのは承知の上だ。


「失礼する」


 カルミアがエルマール・ダンジョンに足を踏み入れたのは、十数年前。近衛に志願するため十五歳で王都を訪れたときだ。田舎貴族の末弟で路銀もろくに持たされず、北領の端にある実家から王都まで辿り着いたはいいが、手持ちは尽きていた。兵営に入れるまで食い繋ごうと、浅層で魔物狩りをして素材を集めた。

 その後は無事に近衛部隊に配属され、いくつか功績を上げて兵士長に昇進した。上位貴族の上役に命じられるまま任務をこなし、いまに至る。

 何度か軍のダンジョン討伐に同行したことはあったが、初心者向けの簡易()クラスでしかないエルマールを再訪する機会はなかった。

 ダンジョン内部を見渡してみたが、かつての記憶が蘇ってはこない。


「……何なんだ、これは」


 城壁に似た囲いを入ってすぐ、目の前にあったのは小さな集落だ。どこかの町を模したのか、何らかの理由で町を作ったのか。用途が不明ながらも、家や店が整然と並んでいる。建物は王都の平民街にあるものより小綺麗で造りもしっかりしている。それが立ち並ぶ通りは薄暗く無人なので、ひどく不気味な印象しかないが。


「こっちー」


 奥の方から<ハーピー>の声が聞こえてくる。どうやら忘れられてはいなかったようだ。


「なあ、何階層まで行けばいいのかな? 悪いが、少し急いでいるんだ」

「こっちー」


 聞いてない。言葉が通じるのと、意思が通じるのは違うようだ。カルミアは足早に<ハーピー>の後を追う。

 姿が見えないまま声を頼りに進むと、広々とした草原に出た。丈の長い草が風にそよぎ、穏やかに晴れた空が広がっている。

 中位以上のダンジョン内ではよくある、“外在魔素(マナ)”によって作られた擬似的な空、擬似的な風だ。


「……こっち……」


 <ハーピー>の声が遠くで聞こえるものの、カルミアは進む速度を落とし警戒を強めた。

 周囲に点在する魔力の揺らぎ。奥には恐ろしいほどの密度を持った“体内魔素(オド)”の塊がある。それが何なのかは不明だが。どんなに上位のダンジョンであっても、たかが三階層に居ていいような存在ではない。


「……っちー……」


 故郷の北領にもあったような、静かで長閑な光景。そのただなかで、カルミアは進むべきか迷う。自分を呼ぶ少女の声が、死を呼ぶ亡霊のように思えてくる。

 罠に掛けるつもりであれば、もっと早く簡単にできたのではないかと(いぶか)しむ。


「ここに留まったところで、どうにもならんか」

「その通りだ」


 ビクッと、身体が勝手に反応する。振り返りざま抜き放とうとした剣は、柄頭に当てた指先ひとつで止められてしまった。


「落ち着け」


 それは、目の前にいた。直前まで、何の気配も感じなかったというのに。全身から嫌な汗が噴き出してくるのを、カルミアはどうしようもなく感じていた。

 よく似た姿で、並んでいるふたりの女性。人の姿をしているが、ただの女性がこんな場所にいるはずがない。

 相手は脱力して武器もなく、さほどの魔力も感じない。それなのに隙はなく、身構える様子もない。階層の奥に存在していた魔力の塊は、いつの間にか消えていた。

 だとしたら、目の前のふたりがそれか。魔物か、魔物に近い何か。


「……ふ」


 カルミアは肩の力を抜き、剣から手を離した。田舎貴族の末弟が兵士長に登り詰めるまで、それなりに修羅場は潜ってきたつもりだったが。それだけに自分の限界もわかっていた。

 彼女たちには、勝ち負け以前の問題として歯牙にも掛けてもらえないだろうということが。


「貴殿らのマスターに面会を求めたい。わたしは王国軍近衛部隊、カルミア兵士長」


 案の定、ふたりの女性は無反応のままカルミアを見た。見据えられてはいるが、その視線からは何の興味も感じられない。会わせるかどうか以前に、用件は何かと問うているのだろう。

 無力な兵士長は、小さく息を吐いて訪問の真意を告げる。


「法務宮からの使者として、王亡き後の話を」

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