インセンシティブ・インセクト
ラウネは<緩歩熊蟲>に向き直る。俺の見ているダンジョン・コアがラウネの視界に切り替わった。十メートルほど先で体液を垂れ流す敵は、体高二メートルの芋虫だ。おまけに足付きで、トラック並みの頑丈さと突進能力を持ってるときた。
「ラウネ、勝算は」
“信じてくだされば、必ず”
それは願望だよね、と思いつつ口を噤んだ。何もせず見てるだけの空気マスターは、邪魔しないよう静かにしてるのが筋だ。
“風滑”
ラウネはスイーッと、滑るように敵へと近付く。相手は身悶えながら六本の足をくねらせ、突進しようと低く身構えた。頭を下げた姿勢は、跳ね飛ばしへの溜めだろう。
攻撃圏に入るか入らないかのところで、繰り出された高速の首振りスイングをラウネはひらりと躱す。前脚に伸ばされたツタは呆気なく引き千切られ、頭部を薙ぎ払った“鞭笞”は弾かれて傷ひとつ付かない。
“ふふっ♪”
ラウネは不敵に笑うけれども、彼女の不利は明白だった。
元々、植物系の魔物は物理攻撃が得意ではない。本来は擬態や偽装で隠れて動かず、毒やツタによる罠を仕掛ける。待ちの戦術で近付いてきた軟標的――人間や獣や昆虫――を捕食する魔物なのだ。<樹木精霊>や<徘徊大茸>など移動能力を持つ植物系の魔物もいるが、存在は稀だし移動効率も悪い。
冒険者が<食肉妖花>を討伐する場合には、重甲冑に身を固めて大質量の武器を打ち込むのがセオリーらしい。
要するに、いま対峙している<ターディグレーダム>の同類だ。硬くて重くて物理攻撃主体のデカブツ。しかも生命力が高く、毒の効きが悪そうな虫。<アルラウネ>側からすると相性が最悪な敵だ。
“菌癒”
ギリギリの距離で掌から噴き広げられたのは、アハーマを回復させた鱗粉のような白い粉。
回復させてどうするんだと思ったが、先ほど使ったものとは色が違う。粉の付着範囲が首回りに限定されていることからしても、何か考えがあるように思えた。
“植物と共生する菌の中には、生き物に無害なものと、有害なものがあるんです”
「説明は後でいいから、身を守ることに集中して」
“植物にとって最も身近な脅威である、虫にだけ有害な菌もあります”
それが、いま撒いた粉か? 殺虫成分が含まれていたとしても、マイクロバスくらいある巨体に効果が出るまでは、おそらくかなりの時間が掛かる。それまで逃げ切れるならいいけど、あまり長引くと未だ健在なダンジョン爵とコア・アバターが何か仕掛けてくるかもしれない。
“効いてきました”
「え……って、うええぇッ⁉︎」
<ターディグレーダム>が、首を傾げるような仕草で嫌がっている。芋虫に毛が生えた程度の短く太い足でなければ、掻いていたんだろうが。その首は、ブツブツと泡立って赤黒い水泡ができ始めていた。明らかにラウネの撒いた毒によるものだ。
「取り込み中に悪いんだけど……あの毒だと、どのくらいで死ぬ?」
“おそらく、死にません。毒素の浸食も、相手の治癒速度の方が上回っています”
ダメじゃん、というツッコミは止めておく。彼女に何か考えがあるなら、ここで俺がモチベーションを下げる意味などない。治癒したとはいえ動けないアハーマと本調子じゃない<ワイルド・スライム>がいるのだ。そう長引かせる気はないだろうと信じる。
実際、ラウネは“風滑”で周囲を旋回しながら隙を窺っている。何度か“菌癒”で毒を噴き掛けたが、その効果には納得しているようだ。デカブツの首回りは泡立って謎の粘液が垂れ落ちているものの、他の開口部からの体液流出は止まっていた。
何度目かの接近を察したのか、あるいはマスターの指示か。後下方の死角から姿勢を低くして滑り込んで行ったラウネに、<ターディグレーダム>が振り向きざま強烈な突進を繰り出してきた。
芋虫のような頭部がラウネの視界いっぱいに広がって、思わず息を呑む。
「……ッ!」
いつまで待っても衝撃は訪れず、ラウネは打突を避けてふわりと舞い上がった。
視界を共有していた俺は“風滑”による飛翔だとわかったが、<ターディグレーダム>はこちらを見失ってキョロキョロと首を振っている。頭上にいるとマスターの指示を受けたか、振り返ろうとするが頭部の可動域を外れている。身体ごと振り向こうとした巨大芋虫の膿み爛れた首筋に、細い棒状のものが次々に突き刺さった。
「ぎゅぅいいいぃ……!」
ラウネから打ち出されたそれは、彼女の身体と繋がっていない投げ槍のような武器だ。先端は辛うじて刺さった程度、だが半ばにあるコブのようなものが膨れ上がって、収縮する。蜂の毒嚢に似た機能で、薬液を送り込んだのがわかった。
“穿孔”
ぼふんと、首回りから飛沫と肉片が飛び散る。よろめきながら数歩進んだ<ターディグレーダム>は、前のめりに崩れ落ちた。
「気を付けろ、さっきも<ワイルド・スライム>の攻撃で内臓を破壊したはずなのに動いたぞ」
“虫系魔物の消化器系は単純ですから、ダメージが即死に繋がりません”
「え」
“神経系が集中しているのは、首の後ろだけでした”
植物にとって天敵なせいか、ラウネは虫に詳しいようだ。首回りへの“菌癒”散布は、注入するため表皮を溶かすのが目的だったか。
“ありがとうございます、マスター。これでもう、悔いはありません”
「ご主人」
声がしてラウネが振り返ると、アハーマと<ワイルド・スライム>が近付いてくるところだった。
ふたりともヒョコヒョコとぎこちない動きだが、“菌癒”が効いたのか自力で立っている。ちょっと前まで瀕死だったとは思えない回復ぶりだ。
「ラウネに、罰を与えるなら。わたしにもお願いする」
“ぼくもー”
そうなるんだろうな、とは思った。そんなもん、具体的には何も考えてもなかったんだが。
「好きにしろ。まずは、最後までやり遂げてからだ」
ラウネと仲間たちは寄り添いながら頷き、わずかに明るい方へと向き直った。そこはダンジョン・コアのある最深部。先刻から姿の見えなくなった、ダンジョン爵とコア・アバターのいる場所だ。
アハーマが一本だけになった短剣を、比較的無事な左手で構える。この期に及んで新たな荒事が待っているとは思いたくないんだが。ラウネに支えられながら、彼女は再び暗殺者の顔になっていた。
「急いだ方が良い。なにか、妙な気配がする」
【作者からのお願い】
「面白かった」「続きが読みたい」と思われた方は
下記にある広告下の【☆☆☆☆☆】で評価していただけますと、執筆の励みになります。




