闡明
アハーマは【闇潜】で影に潜みながら静かに息を殺す。
何か来る。とてつもない魔力が、ダンジョン最深部で高まってゆく。<ワイルド・スライム>もまた、敵陣を挟んだ対面で同じように姿を隠して様子を窺っているのだろう。
いつの間にやらふたりの間に繋がっていた“紐帯”が、クスクスと楽しげな笑いを波動として送ってくる。
大したものだと、アハーマは微笑みを浮かべる。あの余裕。あの度量。
いままで生きてきたなかで、あれほどの仲間を持ったことはない。ラウネも、ワイルド氏も。仲間と呼ぶには語弊もあるが、ダンジョン爵とマールもだ。
「さて、始めようか」
密集陣形を維持した<虚無蟷螂>の後方。マリアーナのダンジョン・マスター、クジョーが声を掛けてくる。こちらの位置を把握しているのか、把握していようがいまいが関係ないと思っているのか。おそらく後者だと、アハーマは気を引き締める。
「出でよ、<緩歩熊蟲>!」
コア分身体のマリアーナが背後に声を掛けると、奥から巨体がのっそりと姿を現す。
王国軍特務部隊として国内外の勢力や魔物に精通しているアハーマでも、知識だけで実物を見たことはなかった。百年以上前の文献には残っているものの、現在では存在すら疑問視されていたはずだ。
“あはーま、うじー。あれ、なにー?”
いつの間にやら<ワイルド・スライム>が隣でヒョイヒョイと跳ねていた。
「緩歩動物というのは……簡単に言えば、太古の虫だ。動きは鈍いが、全属性に異常なほどの耐性がある」
“あれ、むし?”
「少なくとも書物には、そう書いてあったな。わたしも実物を見るのは初めてだ」
幼体は、姿が熊に似ているから<水熊>と呼ばれていたようだが。成体か変異体か、目の前の巨大な化け物には、熊に似た要素など皆無だった。
足から頭――らしき感覚器と開口部の集合――までの高さは二メートルほど。体長は十ニムを超えて、体重は同じ体積の鉄ほどもあると聞く。その体積が、まるで脚の生えた芋虫だった。六本の太い脚を蠕動させながら進んでくる姿は、まるで滑稽な悪夢だ。
“いっぺん、ばーんて、いっとく?”
「そうだな。だが注意するのだ。相手は、硬いぞ」
“おっけー”
アハーマの隣から<ワイルド・スライム>の姿は消え、<ターディグレーダム>の鼻先で火花が飛び散った。
カマキリの密集陣形を飛び越えての攻撃。甲冑に剣でも叩き付けたような金属音が響き、巨体が唸りを上げて震えると青白い魔力光が散った。
続いてアハーマの斬撃が横腹に打ち込まれるが、それも手応えすらなく弾き返された。わずかな時間差を置いて、十数体の<虚無蟷螂>が崩れ落ちる。一直線に<ターディグレーダム>へと向かった彼女の軌跡を描くように、倒れたカマキリの首がコロコロと転がった。
“ダメだったー♪”
ふたりが元いた地点に戻ると、<ワイルド・スライム>がなぜか嬉しそうに告げる。苦笑するアハーマも、自分の心に火が着いたのがわかった。
マリアーナ・ダンジョンは、エルマールを代表してここにきた彼女たちに喧嘩を売ったのだ。倒せるものなら倒してみろと。それには応えなくてはいけない。なにがあっても。
「すまないが、ワイルド氏。あの外殻では、わたしの短剣が持たない」
“がってん、あはーま、うじ! きでんは、かまきりを、おねがい、する!”
「任された。だが、そちらに勝算はあるのか?」
当然だという意思表示で、<ワイルド・スライム>全身を上下に震わせる。
“めー、はなー、くちー、しりー”
<ワイルド・スライム>が<炎熱妖狐>を溶かし殺したのはアハーマも見た。その溶解液を、<ターディグレーダム>の開口部に注入すると言っているのだ。
アハーマが差し出した拳に、<ワイルド・スライム>が伸ばした粘糸で触れる。
「武運を」
“ぶうん、を!”
ふたりの姿は消えた。細く長く鋭く限界まで伸ばされた<ワイルド・スライム>の身体は<ターディグレーダム>の先端に開いた口腔に突き刺さるが、角度が浅く穿刺棘歯に弾かれる。一部を噛み千切られたが、組織を有毒化して切り離した。
<ワイルド・スライム>は、いったん距離を取って再突入の隙を探る。周囲では<バナティ・マンティス>が目にも止まらぬ動きで次々に張り倒され、刺し貫かれ、首を掻き切られてゆく。
アハーマの奮闘ぶりを目の当たりにして、<ワイルド・スライム>は改めて気合を入れ直した。
“おっしゃー!”
“隠蔽”と“転移”で背後に回り、<ターディグレーダム>の排出孔から身体を突き入れると、体腔内に“溶解”を噴出させた。
ビクンと痙攣するような動きを見せて、巨体が身を捩らせる。
「ワイルド氏、無事か」
“もっちろーん!”
転げ回って暴れる<ターディグレーダム>は、横倒しになると動かなくなった。
身体の前にある開口部から赤黒い粘液を、後ろにある開口部からは青黒い泡を吹き始めている。
「あれは?」
“まえから、どく、うしろから、よーかい”
「すごいな。“緩歩動物の守りは城より堅牢”と聞いていたが」
<ワイルド・スライム>の溶解液は<ターディグレーダム>の腹を溶かして食い破り、ドロドロの体液を溢れさせる。
“しんだ?”
「そのようだな。あのデカブツの魔力反応は、もう消えかけだ」
残るはダンジョン爵とコア・アバターだけ。ふたりとも、頼みの魔物たちが壊滅した後も逃げずに留まっている。いまさら逃げる場所もないのだろうが、何の反応もないのは不可解だった。
彼らは、魔力こそ高いが戦闘能力を持たない。防御能力も、BからCランク冒険者程度の攻撃を無効化できる程度だ。嬲り殺しにするほど恨みはない。
「降伏しろ。苦しまないように」
“あはーま、うじぇッ”
何か巨大で固く重いものに弾き飛ばされて、アハーマは壁に叩き付けられる。
壁。彼女は困惑して、首を振る。立っていた場所から壁まで、数十メートルはあったはずなのに。
「な」
痺れていた感覚が戻ると、腕と脚が動かなくなっていた。肘から先が折れて骨が飛び出し、膝から下が逆側に曲がっている。アハーマにも<ワイルド・スライム>にも、治癒回復能力はない。戦闘不能なのは一目瞭然だった。
“にげ、て”
仲間だけでも逃がそうとしたアハーマの頭に、当の本人から念話が送られてくる。
額から垂れ落ちる血でぼやけた視界の先、薄暗がりのなかで押し潰されている<ワイルド・スライム>の姿があった。
圧し掛かっているのは、死んだはずの<ターディグレーダム>。その巨体に開いた穴も、溢れ出した体液も、口から垂れ落ちる赤黒い毒粘液もそのまま。尻から吹き出す青黒い溶解泡など、下肢まで広がって脚も溶け落ちているのだが。
わずかに残った魔力反応が、いつまでも消えない。それどころか、少しずつ回復し始めている。
「……化け物が」
まだ片腕と片脚は動く。不死と称される<ターディグレーダム>にとどめを刺すことはできなくとも。
「ダンジョン・コアを潰せば同じことだ」
踏み出そうとした足がもつれ、ひしゃげた側を地面に打ち付けてしまう。危惧していた痛みはなかった。痺れたような感覚が続くだけだ。アハーマは、それで察する。
自分にはもう、残された時間はないと。
「……何度も、見てきた。……痛みを感じなくなった、負傷者は。もう、死期が……近付いている」
アハーマは意識を保つため、独り言を続ける。話し続けている間は、生きていられるからと。
残った片足を必死に動かし、片手で短剣を抱え込んで。奥に見えている光へと向かう。そこにマリアーナのダンジョン・コアがある。
「……それを砕けば、……我々の、勝ちだ」
“あはーま、ぅ”
「……待っていろ、ワイルド氏。わたしも、すぐ逝く。……必ず、本懐を遂げ、……約束の地で、再び見える」
死ぬ気で手足を動かしているのに、光は一向に近付いてこない。それどころか、周囲は闇に包まれ始めていた。痛みを感じなくなった後、死にゆく者は視力を失う。
もう時間はないと、アハーマは不自由な歩みをさらに早めた。
「……ぐぅッ!」
光を見失い、気付けば倒れていた。手足の感覚はない。立ち上がることもできない。どちらが上かもわからない。
自分は死ぬのだと、アハーマは現実を受け入れる。
「まあ、いい。……薄汚れた日陰暮らしを強いられてきた、……わたしは。エルマールでの出会いで、……救われた」
その声に、応える者はない。静寂が押し寄せてきて、身体が震え始めた。ひどく、寒い。
もう一度、ラウネに会いたかった。そう思ったとき、脳裏に光が瞬いた。
「……倦み荒み淀んでいた人生に、……光が、差したんだ。……いつどこで死のうと、もう悔いは……」
「駄目よ」
おかしなことに、耳元で声がした。
誰かと、訊くまでもない。甘い香りと、暖かな温もり。濃密で柔らかな魔力。互いの生を全うすると誓い合った、最愛の敵だ。
「……あなたを殺すのは、わたしだけ」
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