胸奥の憤怒
“「覚悟!」”
【疾駆】スキルを発動させたアハーマは一瞬で距離を詰め、魔物の群れに斬り込んでゆく。遅れることなく追従していた<ワイルド・スライム>も、斬撃を打ち出そうとした瞬間いきなり方向転換して飛び退く。
“「!」”
危うく逃れたアハーマと<ワイルド・スライム>の鼻先で、地中から光の槍が飛び出して壁を作る。<光媒質蚯蚓>の攻撃だ。それは反撃する間もなく一斉に地中へと消えた。
「ワイルド氏!」
“だい、じょぶッ!”
慌てて騎士キャラがすっぽ抜けているが、無事ではあるようだ。突き殺そうとする敵の気配を察し、ふたりとも攻撃は回避した。代わりに移動を妨げられ、突進の勢いは止まる。多勢に無勢で速度を失うことは死を意味する。
悪くない判断だと、アハーマは心のなかでダンジョン爵の評価を改めた。
「いったん距離を取る」
“わかったー!”
押し込まれかけていた敵は、その隙に魔物の群れを前進させて展開を終えている。もう一度、正面から突っ込んでいったところで突破は難しいだろう。
周囲は岩の柱が点在するだけの平坦な荒れ地だ。直径一キロメートルもないその環境で、逃げ隠れする場所は少ない。最深部へ向かう道は幅五、六メートルの隘路だけ。そこを抜けられないように、甲殻を持った蟷螂を配置している。
互い違いに陣形を組んだ<虚無蟷螂>が前肢の鎌を振り上げ、その隙間で<首狩蟷螂>が突進の隙を窺う。重装歩兵の密集陣形と騎兵突撃を小さく再構成したような戦術。“人間が操る魔物”という強みを活かした、斬新な発想と運用だった。
「良かろう。我らは騎士。ならば速度で」
“かきまわーす!”
密集陣形を無視して、アハーマと<ワイルド・スライム>はフロアいっぱいに旋回を始める。遮蔽を縫い岩場を飛び回って、速度を上げながら側背へと回り込む。環境すべてを利用する。
“あはーま、うじ! きつねがりは、せっしゃが!”
「うむ! ミミズには注意されよ!」
“がってん、しょうち!”
追尾してくる熱源が近付いたと同時に、岩の柱を抜けたふたりは交差するように両側へと分かれた。
アハーマは【闇潜】スキルを、<ワイルド・スライム>は“隠蔽”能力を発動させて<炎熱妖狐>の視界から消えた。
目標を見失って速度を落としたキツネの首に、小さな粘液がポタリと落ちた。
◇ ◇
「<フレイム・フォックス>、そのまま左翼後方に追い込みなさい」
「ケエェエェ……ッン!」
参謀であるコア・分身体、マリアーナの命令に返ってきたのは甲高い悲鳴だった。
見ると左翼前方の薄暗がりで、自らの炎に塗れて煙を上げる禽獣の姿があった。
火属性の魔物であるフレイム・フォックスが、自分の炎熱でダメージを受けるはずはない。焼けているのではなく、溶解されている。<ワイルド・スライム>とかいう敵の魔物が放った攻撃か。
異常事態に目を向けさせるのは陽動だと気付いて、右翼側に振り向く。左翼に薄く右翼に厚く布陣していた蟷螂の陣形に乱れが出ていた。
「<泥塵粘球>、右翼警戒」
気配と姿を消した最低レベルの<ソイル・スライム>を密集配置してある。戦力としては無価値に近いそれを置いたのは、敵が近付いた瞬間に魔力暴走を起こさせるためだ。飛び散る泥塵は鋭い破砕片となって敵に降り掛かる。与えられるダメージは最低限だが、わずかでも傷を作れれば毒による麻痺と細菌感染を起こせる。
このダンジョンでは常勝だった定石通りに動かしているのだが、奇妙な違和感が消えない。事実、いまも<ソイル・スライム>が弾ける様子はない。
「無理だ、マリアーナ。あいつらは引っ掛からない」
耳元で響くマスター・クジョーの声に、マリアーナは失態を認めるしかない。いや、最初からずっと失態続きな事実を、だ。
いまも鉄壁の密集陣形を配置ながら左翼後方にわずかな隙を見せ、回り込んできたところに<エーテルワーム>の刺殺罠を仕掛けていたのだが。
追い込む直前に二体の敵は姿を消し、追い立てる役は喰われ、本命の右翼は翻弄されている。ふたつも格上のマリアーナ側が、完全に裏を掻かれた。
「エルマール……ほんの半月ほどで、なんという戦力を育てたの」
マリアーナは驚愕と嫉妬に震える。
最多の完全踏破数で知られるエルマールは、万年最低クラスの初心者向けダンジョンだったはずだ。王城の叙爵式で見たエルマールのダンジョン・マスターも、冴えない顔でボンヤリした表情の中年男だった。読み取った能力値に特筆すべきスキルも数値もなかった。魔力こそ高めだったが、それも“Eクラス・ダンジョンのマスターにしては”という注釈付き。自分たちの脅威にまで育つなど、考えてもいなかった。
「……ッ⁉︎」
左翼後方で跳ね上がった<光媒質蚯蚓>の刺殺罠がグニャリと歪む。うっすら光る粘液を飛び散らせながら、バラバラに千切れて振り撒かれた。土属性の魔力で硬化した<エーテルワーム>の“光槍”を防げた冒険者など過去にひとりもいなかったというのに。
それ以前に、避けられた冒険者もだ。
「マリアーナ、主従や虚実を考えるな。陽動ではない。そいつらは互いを等価として連携している」
マスター・クジョーの言葉を裏付けるように、右翼で前進位置にいた<首狩蟷螂>の首が次々に刎ねられる。三十体近い<虚無蟷螂>を後回しにしたのは、脅威ではないという自信の現れか。
「マスター、わたしは間違いを」
「悔やむな。振り返るな。俺たちにとって過去など、牢獄でしかない」
ダンジョン爵の権限で、最後の魔物を起動させる。彼の取っておき。死出の旅路に仕える従者だ。それが自分でないことに、マリアーナは狂おしいほど嫉妬していた。
ずっと傍らにありながら、マリアーナには主人が遠くに感じられた。いつでも、そうだ。寄り添えば寄り添うほど。触れ合えば触れ合うほど。彼の心は、遠ざかってゆくような気がしていた。
そんな彼女の考えを読み取ったのか、マスター・クジョーはアバターを振り返って笑った。
「なんて顔をしている。お前も、最期のときを楽しめ」
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