インベスティゲイターズ
王都の中心にある法務宮のなかは喧騒に満ちていた。
伝令役の下級官吏たちは、法務宮の上階と地上階を延々と往復し続ける。意思決定を行う上級執務室と、情報をまとめる階下の下級執務室。ふだんは接点などほとんどないふたつの執務室間を、いまはひとと情報がひっきりなしに行き来している。
「通信魔珠は、まだ届かんのか」
「血みどろの前線から奪ってくる以外にない。できるもんならやってみろ」
駆け回る官吏たちの目は血走り、汗だくの顔色は青褪めている。かろうじて喚き散らす者がいないのは、それぞれに立場と派閥を背負っている責任からでしかない。疲労の限界など、とっくに超えていた。恐怖や絶望など、感じる余裕もなかった。もはや諦観ですらない。
彼らの心は、既に死んでいた。
「閣下、エルマール・ダンジョンが独立の意思を表明しました」
「なにッ⁉︎」
上級執務室の長、宰相アーハイム公爵にもたらされた凶報を聞いて、周囲の者たちは最悪には更に底があるのだという事実を痛感する。
「確実な情報か」
「は。放映魔法陣による周知が済んでいます。それと……」
冒険者ギルドに流された後であれば、もう情報統制は無意味だ。
密かに天を仰ぐ宰相の耳元で、伝令役として訪れた中級官吏がボソッと追加情報を告げる。
「宣言したのが、アハーマらしいと」
王国軍の特務部隊所属で、“死の風”と恐れられた最強の暗殺者。何を考えての行動かは不明だが、アハーマは市井の人間に顔も名も知られてはいないはずだ。
「名乗ったわけではなかろう?」
「冒険者ギルドに配してあった官吏からの情報です。宣言内容は騒ぎになりましたが、誰が宣言したか気にしていた者はおりません」
「であれば、それは後でいい。いまは処理すべき問題が多すぎる」
「は」
中級官吏は頭を下げて退出する。いまの優先順位は、法務宮の防衛、貴族街の防衛、王都の防衛。ダンジョン爵への対応は、その後だ。
叛逆の意思あり、となればエルマールに討伐部隊を向かわせ強制封鎖を行うべきなのだが、いまの王都はエイダリア・ダンジョンからの侵攻を受けているところだ。相手は最強のAクラス・ダンジョン、王城陥落の可能性すらある状況でエルマールに差し向ける戦力はない。あったところで勝算がない。
「エルマール・ダンジョンは、どうなっている」
傍らの中級官吏が書類をいくつか調べながら答える。
「内部に入った者は誰ひとり戻らず、いまだ詳細は不明ですが……モルガ・ダンジョンの戦力が侵攻を行ったことは確認されています」
その後、モルガ・ダンジョンは完全踏破された。攻め込んだつもりが、返り討ちにあったわけだ。
モルガは王国でもトップの一角である恐慌クラスだ。底辺の簡易クラスを――その頃エルマールは最低でも困難クラスになっていただろうが――落とせないなど考えもしなかったのだろう。
「モルガ・ダンジョンを落とした後、マリアーナ・ダンジョンの最深部まで侵攻、現在ダンジョン爵クジョーの率いる防衛部隊と交戦中です」
エルマールのダンジョン爵メイヘムは、異常だ。メイヘムはDクラスのケイアン・ダンジョンと魔導契約を結び、コア魔力を賭けた勝負を行ったことが判明している。
その結果、ケイアンは急速に魔力を奪われて冒険者にクリアされている。
「閣下」
「……」
格上のDクラスを潰し、さらに格上のBクラスを潰して、さらにもうひとつのBクラス・ダンジョンに攻め入るか。
あの男は、明白な王国の脅威だ。他のダンジョン爵と手を組まれなかったのは不幸中の幸いとも言える。
エルマールのマスターは新人ダンジョン爵。たった数日で警告クラスまで上がったダンジョンなど前代未聞だ。潰されるのが既定事項なEクラスから、生き延びられるだけでも奇跡だというのに。尋常ではない異能か技術か強運か協力者か、あるいはその全てを持っていることは明白だった。
「貴族街の防衛状況は」
「通用門が突破されましたが、マリアーナの魔物どもが統制を失い膠着状態です」
自陣の最深部にまで踏み込んできたエルマールの襲撃戦力に、ダンジョン・マスターが掛かり切りになっているせいか。立ち直るまでに時間が掛かる。そのままダンジョン爵同士で喰い合ってくれれば、反撃のきっかけになるかもしれないのだが。
宰相アーハイムはそれが儚い夢だと思い知っていた。仮にエルマールとマリアーナが潰し合ったとしても、残るはエイダリアの侵攻部隊。<厖大虚人>を筆頭とする大型で堅牢な魔物ばかりだ。しょせん対人戦力でしかない衛兵には、対処能力がない。
「エイダリアのダンジョン爵から、降伏勧告です」
「勧告、だと? 笑わせるな」
上から目線の物言いに、宰相は苦々しい顔で吐き捨てる。ひととして扱われないダンジョン爵の分際で、何様のつもりだ。だが伝令の下級官吏は立ち去ろうとしない。
「どうした。こちらが呑めない条件でも付けてきたか」
「は、はい。それが……」
下級官吏は、しばし口籠った後で顔を上げた。
「王位禅譲を、要求しています」
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