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敗走と転進

「モルガが陥落した」


 マリアーナ・ダンジョンのマスター、クジョーはエイダリア・ダンジョンのマスターであるアイルに告げた。

 王都に侵攻中のふたりは、それぞれのダンジョン最深部でコアを前に指揮を執っているところだ。

 前衛を務めるアイルは大型で強力な<ヒュージゴーレム>をコントロールするので余裕がない。


「聞こえなかった、もう一度」

「モルガ・ダンジョンが完全踏破(クリア)された」

「……なにッ⁉︎」


 いつも素っ気ないアイルにしては珍しく動揺らしきものを見せる。あるいは、単なる苛立ちか。

 クジョーとアイルが王都を攻略する間、エルマールを落とす。それがモルガ・ダンジョンのマスター、イーサムに課せられた使命だった。イーサムが馬鹿でもモルガ・ダンジョンはBランク上位。地力の勝負ならば、Cランクになったばかりの新人ダンジョン爵(エルマール)に遅れを取ることなどない。そう思っていたのだが。

 魔物の主力を外に出したことで手薄になっていた本拠地に、逆侵攻を受けるとは。

 エルマールに侵攻したモルガ・ダンジョンの魔物たちも、統制を失い行き場を失くして殲滅されるのも時間の問題だ。

 エルマールのダンジョン生命力(DHP)が跳ね上がったところを見ると、あるいは既にそうなったか。


「クジョー、モルガ・ダンジョンに攻め込んできたのは、王国軍か?」

「おそらく違う。モルガを落とせるほどの軍勢が動けば、察知はできた」

「だが現実に」

「だから、軍ではないと言っている。エルマールから北上する魔力反応はなかった。モルガを攻略できるほどの戦力なら、あり得る」


 クジョーの言葉を、アイルが沈黙で肯定する。それが魔物であれ人間であれ、()()()落とせるほどの戦力なら。魔力を隠蔽するくらいの実力は当然、あると考えた方が良い。つまりは、だ。


「最も厄介な相手に、喉元まで入り込まれたわけだな」


 アイルの声音が、いつもの無愛想なものに戻る。

 次は自分たちだと察したふたりは、手持ちの戦力をダンジョン内に配置し直す。王都に侵攻するとはいえ、自陣をまったくの(から)になどしない。主力ではないが、数にして半分。戦力換算で三割ほどは残している。

 それはモルガも同じだったはずだが。


「マリアーナ」


 クジョーは自分のコア分身体(アバター)を呼ぶ。傍らに姿を現わしたのは、静かな微笑みを浮かべた美女。彼女は他人を遠ざけるクジョーの性質を受け入れ、ふだんは姿を消していた。


「モルガを潰したのは、Aランクの小規模パーティか、単独行動(ソロ)のSランクだ。所在の情報は得られるか」

「もう得ております、マスター」


 コアの球面に、右往左往する冒険者たちの姿が映る。

 クジョーの意図を読み、必要なものを推測して、マリアーナは既に魔物を冒険者ギルドに潜入させていた。いま送られてきているのは、“隠蔽”状態でギルドマスターの私室天井に張り付いた低レベルの魔物、<泥塵粘球(ソイル・スライム)>の視覚だ。


「混乱状態の彼らは、必死に上位冒険者を呼び出してますから情報収集も楽でした」

「……ふん。よくやった」


 めったにないクジョーの称賛に、マリアーナは微笑みを保ったまま頭を下げ、ひそかに吐息を漏らす。


「結果は」

「Aランクの冒険者パーティは、マスターたちが指揮されている前線にすべて投入済みです。王国唯一のSランクパーティは、隣国との緩衝地帯に張り付いたまま戻っていません」


 いま王都にいない上位冒険者は、ソロのSランクがふたりと、Aランクが四人。Bランク上位が七人。

 どれもギルドの依頼を受けて、東領か南陵、あるいは隣国に滞在中だという。


王国中西部(モルガ)には、いないか」

「はい。ですが、ひとつ気になることが」


 マリアーナがコアに触れると、冒険者ギルドから映像が切り替わった。

 映し出された別の執務室。右往左往する男たちが見えている。身形(みなり)からして貴族のようだ。王宮か法務宮だろうと、クジョーは推察する。


「冒険者ではありませんが、王家御用達(ごようたし)のSランク暗殺者(アサシン)が行方不明だと」

「直前の行動は」

「極秘事項らしく、誰も口には出しません。書面もなく、命令内容も伏せられています。ただ、消息を絶った時期は、エルマール・ダンジョンが異常な急成長を遂げた、すぐ後です」


「そいつだな。調べさせろ」


 クジョーは王都の制圧よりも、そちらに興味を持ち始めていた。王都も王宮も、老醜(ろうしゅう)(さら)す死にかけの害虫だ。不快な虫けらをどれだけ踏み潰したところで、報復以上の意味はない。

 それよりも、新たな玩具を見つけ出す方が遥かに得られるものは多いはずだ。

 ふと視線を感じてクジョーが横を見ると、マリアーナが両手を組んでうっとりした目を向けていた。


「なんだ」

「いいえ、失礼いたしました」


 マリアーナは静かに頭を下げると、黒衣ごと闇に溶けた。


「――マスターの喜びこそ、我が喜び」


 誰にも届かない、小さな囁きだけを残して。

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