衝突する意思
……これなー。
(もう8万5千文字とかなのに、山場はこれからなのを見て)
「ちょっと、い〜い?」
傍らから聞こえた声に、アハーマは殺意と暗器を向ける。
何の気配もなく現れたのは、<ピュア・スライム>だった。粘体の微振動によって、どこからか声が伝わってくる。
「ピュアスライム、ただの、おつかい、だからー、こわさないでね?」
「何者だ」
「ここの、まものー?」
「魔物と話す気はない。失せろ」
地響きが起きて、入ってきた洞窟の入り口が石壁で塞がれる。やはり、発見されたようだ。
いや、この場に来るまで何の気配も接触もなかったことからすると、ダンジョンに入ったときから把握されていたのかもしれない。
「ごめんねー、つよいこ、とめなきゃ、いけないのー」
魔物とも呼べないほどの弱個体を差し出してきたのは、こちらの隙を作るためか。身構えて警戒するが、近付いてくる音も気配も姿もない。
大量の魔物が一斉に掛かってくるのかと思ったのだが。
「止められるものなら、止めてみろ」
「う〜ん……」
アハーマは無視して背を向けたが、なにか迷っているような声が聞こえてくる。<ピュア・スライム>程度ならば襲われたところで対処できる。
「ねー、あのね? もし、もーダメって、おもったら」
その場を離れたアハーマに、場違いな言葉が掛けられる。妙に明るく、楽しげな声。本当にこれが魔物だとしたら、一体どんなダンジョンなのだ。
「こーさん、って、いってね? そしたら、ころさないから」
「笑わせてくれる。帰還者ゼロの魔窟で降伏など、待つものは死より惨たらしい運命しかなかろう」
「ますたー、あまちゃんだってー」
「なに?」
「じぶんで、いってたー。だから、ころさないで、すむなら」
声の主は笑う。
「ころしたくないの」
◇ ◇
アハーマは、いまの会話を忘れることにした。
戦いの前に考慮の材料など不要だ。迷いや躊躇いは死に繋がる。それがダンジョン爵の策略なのだとしたら悪くない手だが、不思議なことに先の言葉は真実であるように思えた。
「ふん」
敵軍に降る暗殺者などいない。任務を果たしてこそのアサシン。そこには利害の多寡も、為すべきことの意味も関係ない。
進む先に、気配が生まれる。魔物が“隠蔽”を解いたか。それがどんどん大きくなる。
“わたしは、<アルラウネ>。我が庭に踏み込む者には、永遠を与えると決めた”
「……今度は、“念話”か」
頭に響く声は、過去にも経験している。高位の魔物が持つ、精神感応のひとつだ。それだけで、面倒な敵だとわかる。
アハーマに<アルラウネ>との戦闘経験はない。そもそも発見されず侵入し脱出するのが暗殺者の任務。動かない魔物など、最初から距離を取って近付かない。
狭いダンジョンで退路を塞がれたことが一度だけあったが、そのときは一点突破で逃れた。戦闘と言えるほどの接触はしていない。
草原にばら撒かれた妙な反応が、アハーマの【索敵】に掛かり始める。反応は人間のものだが、気配からして魔物のように思える。
嫌な予感がした。
成体の<アルラウネ>が持つ能力に“親眷”というものがある。魔導師の【使役契約】スキルに近いが、根本が違う。魔力的な接続で、眷族を変貌させるものだ。それが魔物だった場合は大幅な強化と進化が見られる。問題は、動物や人間を相手に行った場合だ。
ひとならざる物に変えられたおぞましき異形を、アハーマも目にしたことがある。
「……問題ない。本体を潰せば、眷族となった者たちは解放される」
そのとき同行した魔導師は、そう言っていた。その後の彼らが人間に戻れるのかどうかまでは、聞いていないが。
それ以前の話として、<アルラウネ>を倒せるかどうかだ。彼女は【鑑定】スキルを持っていないが、彼我の戦力差を読み取る程度の能力はある。それは能力というより、修羅場を潜った経験からだが。
四半キロメートルほど先に感じられる魔物の反応は、アハーマに勝るとも劣らない。優位があったとしても誤差程度。さらに暗殺者という能力の特殊性は、魔物相手だと足枷にしかならない。
「……いいさ。やるだけ、やってやる」
“残念だけど、毒は効かないわ”
懐で触れた金属筒を開くまでもなく、前方から笑み混じりの声が掛かる。
言われるまでもなく、わかってはいた。それはそうだろう。植物系の魔物のなかでも<アルラウネ>の毒は難物として知られる。人間ごときが打ち込み撒き散らす毒物に苦戦する相手ではない。
<アルラウネ>や<樹木精霊>、<徘徊大茸>など大型の植物系魔物に対する定石は火で弱らせ、大質量で押し切るものだ。以前アハーマが見た<アルラウネ>討伐は、魔導師による上級の火炎魔法と戦斧による連携で達成されていた。どちらも重戦士の大盾で守られた、七人規模の最精鋭パーティ。いまの彼女には望むべくもない。
単身で軽装、速度重視の攻撃は軽く、秘匿用の装備で攻撃圏も短い。アハーマの主武装は双剣。不利を承知の上で、どう戦うかの問題になる。
低木や茂みを縫って移動すると、敵の姿が見えてきた。身の丈は二メートルを超え、大きく枝葉を広げた完全な成体だ。ふだん身を包んでいるであろう花弁は開かれ、人型の裸身は青白い魔力光を放っている。
臨戦態勢。
「……ちぃッ!」
気配を察知して横っ飛びに逃れた頭上を、斬撃のような光が通り過ぎる。
たしか、“鞭笞”だったか。アハーマは【鑑定】持ちの魔導師から聞いた<アルラウネ>の情報を思い出す。
周囲に張り巡らせたツタを鞭のように叩きつけてくる攻撃だ。その威力は重戦士の金属盾や甲冑すらひしゃげさせ、生身の肉体など容易く切り裂かれる。
両手に構えた短剣が、いまはひどく頼りない。
“全力で、お相手するわ。わたしが、守るべきもののために”
「それが、魔物の台詞か!」
真っ直ぐに突っ込んでゆくアハーマに、礫のようなものが打ち込まれる。
“投擲”だ。自らの種子や果実、周囲の石や砂利などを驚くほどの速度と威力で発射してくる遠距離攻撃。数をまとめて時間差を付け、点ではなく面として打ち込まれるそれは、視認してからでは逃れられない。
地面に転がり何とか避けるが、突進の勢いを殺された。ここから押し込まれればアハーマには後がない。
「……人外ランクを、舐めるなよ」
立ち上がって、彼女は笑う。ほんの数日前まで簡易クラスだったエルマール・ダンジョンに、上位ランカーの攻略を受けた経験はないはず。初見であれば、対応に慣れていない相手にはわずかな隙が生まれる。そこに、わずかな可能性に賭ける。
「“死の風”の名が伊達ではないことを、教えてやる」
最後の切り札、【疾駆】スキルを発動。限界まで速度を上げ“鞭笞”を掻い潜る。小さく鋭く機動を変え“投擲”を避ける。魔物相手に、どこまで通用するか。
彼女は迷いを捨てる。身の安全も。生還する望みも。すべてを捨てて、ようやく五分だ。
「はああぁッ!」
神速と怖れられた加速。自分の間合いに踏み込みさえすれば、彼女に殺せない相手などいない。
凄まじい勢いで振り抜かれる短剣。体重の軽さも攻撃圏の狭さも、己が不利など物ともせず、弾かれても防がれても怒涛の勢いで間断なく打ち込まれる。
全身を使ってあらゆる角度から繰り出される双剣は、嵐のような斬撃となって全ての敵を斬り伏せてきた。
「はあああああああぁッ!」
ギリギリで躱し、逸らし、弾き、避ける。足を止め呼吸を止めて全力で打ち合いながら、アハーマは時間まで止まったような錯覚に陥る。
周囲から、景色も物音も消える。この世界に、ふたりしかいないような感覚。
気持ちが繋がる。心が共鳴する。いまは誰よりも、近くに感じている。ふたりは抱き締め合うように斬撃をぶつけ、愛しみ合うように殺意を交換する。
“生きている”
「黙れ!」
“生きているって、感じるの”
「ふざけるな、わたしは!」
“ずっと、求めていた。すべてを預けられる主人。命を賭けられる場所。そして――”
火花が散り、血飛沫が舞う。青白い魔力光が、細かな粒子となってキラキラと宙に踊る。
いつしか、アハーマは笑っている自分に気付く。重なるように聞こえる笑いは、<アルラウネ>のものだ。
「ああ、そうだ……わたしがッ!」
“最期の望み。命を燃やし尽くせる、敵”
触れるほど近く、互いに見つめ合いながら。<アルラウネ>とアハーマは最後の一撃を放った。
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