始まりの村
書くのに手間取って順番前後しちゃった(本来ひとつ前だった)回
後になって、わたしは何度も思い返す。あのとき、あれが始まりだったのだと。
わたしたちのBランクパーティ“供物”が瓦解したこと。わたしが冒険者を引退して故郷の村に帰ったこと。王国が揺らぎ、緩やかな崩壊を始めたことも。エルマール・ダンジョンが……いまや地域名になったエルマールが、異様な発展を遂げたことも。
すべては、あの夜に始まっていたのだ。
あのとき見たエルマール・ダンジョンは、まるで滑稽な悪夢だった。
「……なに、これ」
ようやく見付けた入り口の前で、わたしたちは息を呑んで固まる。そこにあったのは、思ってもみなかった光景だったから。
真夜中近いというのに、魔力灯火と篝火で明るく照らし出されたそこは、ダンジョンの入り口というより貴族のお屋敷のようだった。身の丈の倍近い石壁で囲まれ、華奢なアーチで飾られた正門。ご丁寧にも、飾り文字で歓迎の文言まで掲げられている。
あまりの非現実感に幻惑催眠を疑ったわたしは、自分に効果遮断を掛けてみる。
……効果はない。これは現実だ。
内外で循環する“外在魔素”の流れからして、そこがダンジョンの入り口だということは明白だった。だとしたら問題は、ダンジョン・マスターが何の意図でこんなものを作ったか、だ。
ダンジョンの環境はコアの魔力によって作られる。攻略を受ければ攻め滅ぼされ殺される彼らにとって、何の意味もなく浪費していいものではないのだ。それなのに。
「ダンジョンの入り口を飾って、何の意味があるのよ……?」
門を入った奥には、小さめのお屋敷みたいな建物が整然と並んでいるのが見えた。罠や魔物や湿った洞窟を覚悟して来たというのに、待っていたのは明るく照らされた貴族街みたいに綺麗な町。そこに押し寄せる冒険者たちは、あまりの不可解さにみんな挙動不審になっていた。
笑える光景だ。でもわたしの、Bランク冒険者としての経験が、パーティリーダーとしての責任が、そして何より、魔導師としての勘が告げていた。
――ここは、ヤバい。
「……マイナ、おい!」
「マイナ、どうしたの⁉︎」
仲間たちが話しかけてきていることに、ようやく気付いた。盾持ちの重戦士ハイドと、短弓持ちの斥候エミルカ。その後ろには双剣持ちのグリフがキョロキョロと視線を泳がせている。
「なにしてるんだ、早く行かないと先を越されるぞ」
「待ってハイド」
「何を待つんだよ! エルマールが宝の山だって、言い出したのはお前だろうが⁉︎ ここに来て何をビビッてんだ⁉︎」
わかってない。こいつは。頑丈な盾使いで、優秀な肉壁。顔も身体も使い道はあったが、頭の中身はゴブリンに産毛が生えた程度でしかない。女三人のパーティに入った男など、互いに利用し尽くしたら捨てるだけと割り切っていたのだが。
そのときは、思ったより早く来たようだ。
「ホラ行くぞ! 先行した連中は、もう内部に……」
入り口アーチの先で、何やら騒ぎが起きていた。順番争いか占有権争いか、よくある話だがダンジョンに入ってすぐなんてことはない。
わたしは引き摺られるようにしてエルマールの入り口に向かう。
「なに言ってんだ! しっかりしろ!」
「どうしたの?」
エミルカが声を掛けると、先に入っていた冒険者が振り返る。ギルドで見かけたことがあるような気がする中年男だった。冒険者同士の揉め事に口を挟めば、余計な口を挟むなと怒鳴りつけられるのが常なのだが。こちらを見た男の顔には、なぜか困惑と疲労と絶望と、恐怖。
まただ。思っていたのと違う。自分のなかで違和感が大きくなる。これは。良くない。
「こいつ、“放浪”って古いパーティの前衛だ。名前はカイア。昨日ダンジョン開放すぐのエルマールに向かったまま、戻らなかったんだけどよ。なんでか、ここに立って、わけわかんねえこと言いやがって……」
わたしが魔導師とわかったせいか、いきなり救いでも求めるように饒舌になった。身振りを交えながら傍の男を指す。
そちらも同じく、どこにでもいるような中年冒険者だ。鳴かず飛ばずで夢破れた万年中堅下位、傷を舐め合う負け犬のお仲間同士といったところか。
「わけわかんないことって?」
だがカイアというらしい元・行方不明者は、ニコニコと締まりのない笑いを浮かべたまま、何も話そうとはしない。
「なあ、カイア……」
「よく来たな、若いの。ここはセーフゾーンだ。魔物はいない」
お仲間の中年男が身体に触れたとたん、カイアは両手を広げて大袈裟な歓迎の挨拶を語り始める。なぜか背筋がゾワッとした。違和感が、確信に変わる。
「おい」
「何か欲しいものがあれば、店に行ってみるといい。宿に泊まれば、体力や魔力は回復する」
「どうしちまったんだよ、お前……」
「知りたいことがあれば、長老を訪ねるんだな」
人懐っこい笑みを浮かべているように見えるが、男の目は死んでいる。身振りはゆったり穏やかに見せているものの、指先に震えと強張りがある。
かつてわたしの師匠だった“性悪魔女”から【使役契約】を掛けられたときに似ている。どれだけ必死に抵抗しても自分の意思と行動を奪われ続け、怒りと絶望で気が狂いそうになったものだ。
あのとき、わたしと師匠の間には十倍近いレベル差があった。人間相手のテイムなど、それでようやく掛かる、はずなのだが。
「他の連中はどうしたんだ」
話すだけ話すと、カイアは口をつぐむ。ニコニコした笑顔で。死んだような目で。
「どうしちまったんだよ!」
冒険者仲間の怒鳴り声にも、まったく何の反応も見せない。いや、反応することもできないのか。
「マイナ」
駆けてきたグリフが、焦った声でわたしを呼ぶ。
「ハイドとエミルカが先に向かった」
「ふたりで?」
「奥でお宝が見付かったって。それを聞いて我慢できなくなったんだろ」
「……それを言ってたのは誰」
「あのふたりだ」
グリフが指したのは、恋人同士のように見える冒険者風の男女ふたり。
近付くと楽しげに笑いかけてくるが、それ自体に違和感があった。冒険者のような格好をしているが、武器は持っていない。こちらを見る目にも感情がこもっていない。そもそも冒険者は赤の他人に笑いかけたりしない。
特にダンジョン内では、絶対にだ。
「聞いたか? 奥で、お宝が見付かったらしいぞ?」
男の方がわたしに話しかけてくる。その後はこちらに、“どう思う?”とでもいうような身振り。
女の方は何もしゃべらず、笑顔で頷いているだけだ。
「……それで?」
「ああ、この奥だ。あれは売ったら金貨三十枚にはなるな」
噛み合わない会話。答えを促すような身振り。
冷静になって周囲に視線を投げると、同じように立っていた人間から話を聞いた冒険者が、奥に駆け出すのが見えた。
「さっきと同じだ」
わたしの背後で、グリフがボソッと囁く。豪胆な彼女には珍しく、その声は震えていた。
「こいつら、一語一句、さっきと同じだ」
この操り人形どもの目的が何なのか。誰が何のために置いたのかを理解したのだろう。
「ああ、俺たちが何で行かないか不思議か? ……ここだけの話だけどな。俺たちは、もう手に入れたんだ」
わたしは、男を見る。冷えた頭で、男の先にいるダンジョン・マスターの意図を見据える。
なかなか上手い扇動だ。その手で何人の冒険者を取り込んだのか。これまでも、これからも。
「悪く思うなよ、早い者勝ちだ」
「行きましょ、ジャシュ。王都でパーッと楽しまないと!」
ひどい棒読みで笑う女の声を聞きながら、わたしは踵を返す。グリフの呼ぶ声は聞こえたが、振り返る気にもなれなかった。
同じように扇動する者たちの声が、町のあちこちで聞こえていた。それに乗せられて奥に走る冒険者たち。押し合い足を引っ張り合い、あちこちで争いが起きている。
もうたくさんだ。エルマールのダンジョン・マスターは、頭がおかしい。こんなところにいたら、きっとわたしもおかしくなってしまう。
「マイナ!」
「解散よ、グリフ。あなたも生き延びたければ、ここからは手を引きなさい」
グリフがどうなったのか、わたしは知らない。でもハイドとエミルカは他の冒険者たちと同じく、エルマール・ダンジョンから二度と戻ってはこなかった。
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