飽食
「南領伯ナリン・コーエンだな」
領主館の執務室で、俺は領主を見下ろす。地下牢でも目にしてはいたものの、なにも記憶に残ってはいない。改めて見ても、憔悴し切った初老の男という印象だけだ。それが略奪された領主館で独りきり、<ピュア・スライム>の集団に取り押さえられ、床に転がされている。かつて王国南部を領地とした大貴族だろうに、哀れなもんだ。
領主の横に投げ出されている短剣は、ペーパーナイフに毛が生えたような代物。俺を襲おうとしたわけではなく、自殺を図ったようだ。
「くっ、殺せ……!」
やめろ。オッサンのくっコロとか、誰得だよ。
俺は<ピュア・スライム>たちに領主を放すよう伝える。短剣は邪魔なのでブラザーに預かってもらった。
「死にたきゃ勝手に死ね。だが、その前に聞いておきたいことがある」
「……南領は、……終わりだ」
「当たり前だろ。とっくに終わってんだよ。南領どころか、この国そのものがな」
ナリン・コーエンは顔を上げるが、俺を見る目には何の感情も籠もっていない。精神的ストレスによる虚脱状態なのかもしれんが、どこか他人事のような態度に苛立つ。
「中央領の状況を知らないのか? 王都は陥落、王と王族は死んで、王城は崩壊。それ以前に、国内全域がルスタ王国とモノル帝国と領地軍とダンジョンの魔物たちでグッチャグチャだ」
「……あの愚王が、招いたことだ」
「国を売った国賊が偉そうに言うな。お前も為政者なら同罪だろうが」
「貴様に何がわかる!」
なんだそりゃ。勝手に召喚された異世界人には当然わからんし、わかろうとも思わん。
自分の撒いたクソを引っ被ったからって、被害者ヅラとかふざけんな。
「俺にわかることがあるとしたら、能無しどもが滅びるべくして滅ぶってことくらいだ。望み通りの結末だろ?」
「先王陛下と、我が父エルラ・コーエンによる“オファノン盟約”が破られなければ、このような事態にはならなかったのだ!」
「……は?」
オファノン盟約。領主の言葉をそのまま拾うと、“領内の皆が一丸となって、王国から飢えた民をなくす、画期的で慈愛に満ちた誓い”だそうな。
怪しいなんてもんじゃない。“契約”ではないあたりが、特に臭い。食糧の話なのにカネと結び付かないとか、あり得ない。
「マール、こいつの口ぶりからしてこれ、書面になってないよな」
“はい。ダンジョン爵との契約があったとして、上位貴族に履行義務はないですから”
「単なる口約束かと思ったら、それ以前の……あ⁉︎」
そこでいきなり、猛烈に嫌な予感がした。前にマールから、聞いたような気がする。あれは初めて王都に行ったときだったか。王国の経済状況を尋ねた俺に、彼女はたしか、こう言ったのだ。
「半世紀前に農業改革が行われて以来、収穫が安定して平民にも富裕層が出始めています。ここ十数年ほど、王国で餓死者は出ていません。貧富の差も、社会不安を生むほどではないです」
そんなもんかと聞き流してた。おおかた転移・転生者による技術改革かなんかだと思ってた。四輪農法とか。作物の品種改良とか。魔法による開墾とか灌漑とか。植物系魔物による農業生産の拡大とか。てっきり、そんなもんだろうと……いや思うだろ、ふつう?
誰がこんな気狂いじみた一方的搾取を、片務的労苦と無償提供を想像するよ。できるできない以前に、受け入れる方がどうかしてる。
「その馬鹿げた“盟約”とやらは、先王と先代領主の強制か。それとも」
「ギルベアの発案だ」
「やっぱ、あいつ頭おかしいわ……」
こうなったのは自業自得だ。盟約にどんな意図と経緯があろうと、そこに満ちているのは慈愛じゃない。
王国南端のクーラック・ダンジョンが国内最大の穀倉地帯という時点で、疑って掛かるべきだった。知ったところで他人事だから、干渉する気なんて微塵もなかっただろうけどな。
「ギルベア」
俺は目の前にモニターを開いて、クーラックのダンジョン・マスターを呼び出す。
いかにも朴訥な、田舎の農夫でございますというような顔の中年男。その隣にいるコア分身体のクーラックも、同じように飾り気のない穏やかそうな中年の女。ふたりは半世紀前から、この国を支え、育み、豊かにし続けてきた。少なくとも本人たちは、そう思っている。無私の誠意と、底抜けの善意と、類稀なる能力とで。こいつらは地獄への道を舗装するどころか、線路網まで敷いてきたのだ。
「ギルベア。アーレンダイン王国の崩壊は、お前が招いた結果だ。クーラック・ダンジョンと南領が襲われたのもな」
「……」
返答はない。反応もない。理解できないのかもしれない。穏やかな表情で不思議そうに首を傾げるギルベアを目にしていると、なぜかゾッとするような感覚があった。
本物の狂気は。案外こんな穏やかな表層を見せるのだろうと思ってしまう。
「わたしたちは、国と民を思って力を尽くしました」
ギルベアの声が、モニター越しに響く。空虚な言葉だが、おそらく他意も含意もない。こいつは文字通り、心底そう思っているのだ。
「少なくとも、お前たちが届けたいと思ってる“民”には届いてないぞ」
「え?」
「南領でさえ、飢饉が発生してる。領府からも流民が出ている。ダンジョンからは食い尽くせないほどの食料が生産されているのにだ。どう考えたって、おかしいだろうが」
ダンジョンのなかに籠ったまま、外の事情には無関心だったか。誰か注進に及ぶ者さえいなかったのか。この裸の王様に。
「違うシ! ご主人様は、みんなを幸せに……」
「本当にみんなを幸せにしたければ、飢えてもいない者に施しをするべきじゃなかった」
「……でも」
「始まりが誠意からだとしても、敵を養っていたのはお前たちだ。国を傾け、民から生きる力を奪ったのもだ」
その間にも、マールから俺に状況が伝えられる。<半鳥女妖>による上空監視と、<スライム>たちによる現地確認。事態は動いている。当然ながら、どんどん悪い方へと。
「もう終わりだ。お前たちが行った半世紀の愚行の結果、この国の人間は自分の足で立つこともできない」
「そんなのないシ! じゃあアチシたち、どうしたらいいシ……⁉︎」
「俺の知ったことか」
この期に及んで動こうともしないダンジョン・マスターを、俺は醒めた目で見る。心は、完全に冷え切っていた。
床に転がされた南領伯も、呆然として固まったままだ。
「確実に言えるのは、弱者から……お前たちの言う“民”から死んでくってことだけだ」
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