クーラックス・クラック
「……おい、マジか」
ダンジョン・スキルの【連結】によりエルマールと繋げられた、クーラック・ダンジョンの最深部。コア本体の前で、俺は思わず頭を抱えていた。いくつも開かれたモニターの端に、困った顔の紐ビキニ姐さんが小さく映っている。いま俺の目はそこに行かない。視線が向くのは、画面に映し出されるクーラックの内部風景だけだ。
延々と続く長閑な田園風景。木洩れ陽の差す森と、水面をきらめかせる川と、群れ飛ぶ鳥と虫と。風にそよぎ黄金色に輝く一面の麦の穂と。
それは美しいさ。見事だし素晴らしい景色だとは思う、けどさ。
「冗談だろ」
“いいえ、残念ながらメイさんの懸念通りです”
こいつら、何の防衛手段も用意していない。足りないとか不完全とかじゃない。完全に、無防備なのだ。
機能制御端末に表示されたクーラック・ダンジョンの階層は十。延べ床面積は千数百平方キロメートル。いまや雪ダルマ式に膨れ上がった最上位クラスのエルマールも、上位クラスに上がった頃はそのくらいだった。とはいえ沖縄本島くらいあるのだ。中位クラスとしては十分に広い。
クーラックの問題は、その全てが食糧生産に特化していること。地形や気温や水源などの環境も、虫や鳥の魔物さえも生産と管理の手段でしかない。
「おいカラス。お前のご主人様は、どうかしてるぞ」
実務担当として俺たちに同行した<吟遊詩人大鴉>が、それを聞いて憤慨した顔をする。
「ま、マスターは、悪くないシ! いままでは、ちゃんと上手く行ってたシ!」
だから、それがどうかしてるって言ってんだよ。
よく考えたら……いや、ホントは考えるまでもないんだけど。ダンジョンの実務処理をカラスが担当してるって聞いたときに疑うべきだったんだ。こんなアホみたいな状況をマスターが放置してたって、頭おかしいとしか思えない。
そもそも、このダンジョン、フロア構成がただの箱だ。各階層は、申し訳程度の森林があるだけの平地。そこに畑と灌漑用水があるだけ。それが十階層、スロープでつながってる。迷う要素ゼロ、魔物や罠による妨害もゼロって、そんなもんダンジョンじゃねえし。なんで生き延びてこられたんだ?
「マール、このダンジョンが前に完全踏破されたのは?」
“百七十年ほど前ですね。その間に、領主である南領伯は何度も代替わりしていますが……おおむね関係は良好に維持していたそうです”
それはそうだろ。カネも払わずに食料が湧いてくる魔法の穀倉地帯だ。その主を蔑ろにする意味などない。あるいは、過去の領主とダンジョン爵は本当の意味でWin-Winを維持していたのかもしれんけどな。
こんな歪なダンジョンが維持できていたのは、領主である歴代の南領伯と関係が過剰に密だったからだろう。破綻した理由も同じだ。お花畑なダンジョン・マスターは内部勢力――今回で言えば領主の弟である衛兵隊長――の裏切りを想定もしていない。だから、万一の場合に恐ろしく脆弱なのだ。当たり前だ。何の備えもないのだから。
「……バカじゃねえのか」
「ねー?」
ボソッと呟いた声に、現実主義者のブラザーが同意する。実際、他の感想がない。
そして、このザマだ。攻め込まれないよう息を止めて耐えるしかない現状。そんなもん、死ぬのが早いか遅いかだけの自殺行為だ。
「マール、クーラックのコア分身体は、まだ休眠中か?」
“はい”
「叩き起こせ。もう防壁は解除しても良い。というか、さっさと解除しろ」
俺は溜め息を吐く。
「ますたー、いき、くるしい?」
「いや、それは全然」
ダンジョンが窒息死しかけていると言っても、ダンジョン生命力とダンジョン魔力だけの問題だ。クーラックに足を踏み入れてすぐ、妙に空気がキレイなのはわかった。森林浴っぽい、酸素が多い感じ。正確に言うと少しニュアンスが違う。このダンジョン、たぶん二酸化炭素を排出するものが少ない。
「さて、一階層のブラザーたち、準備はいいかな?」
「いつでもー♪」
俺は並行化した<ワイルド・スライム>の精鋭を七体と監視カメラ役の<インヴィジブル・スライム>を三体、入り口前に送り込んである。
何の遮蔽もない平坦なクーラック・ダンジョンで唯一、入り口近くだけは幅が十メートルほどの通路になっている。ここなら敵が百でも二百でも問題ないと、ブラザーたちは断言してくれた。
「だいじょぶー、よわそう、だし?」
「さすがブラザーたち、余裕すな」
実際、俺の見た感想も同じだ。ダンジョン内の状況を知っているらしい敵は緩み切っていて、士気も装備も練度もお粗末なものだった。
「みんなー、かべ、きえるよー」
「「「「あいさー♪」」」」
いきなり壁が消えたことで戸惑った兵士たちだが、クーラックのコアが力尽きたとでも思ったのか歓声を上げて雪崩れ込んでくる。そこからは、流れ作業だった。見た目はぷにぷにで強さは鬼神のような<ワイルド・スライム>たちに、兵は次々と薙ぎ払われ、へし折られ、吹き飛ばされ、粉砕されてゆく。
「マール、クーラックのコアは」
“覚醒状態です。機能にも問題ありません。そちらに送りましょうか”
「そうだな。ダンジョン爵も、こっちに戻そう」
自分のダンジョンは自分で管理させる。今後はエルマールの庇護下に置く。特に隷属も献上も求めないが、指示には従ってもらうし自立もしてもらう。どんだけ食糧生産しようと勝手だけれども、考えなしにバラ撒くのも止めさせる。世情が荒れてるなかで、そんなことしても争いの火種になるだけだ。
「つうて、俺は農協みたいな真似をする気もないんだよな。ここの作物を捌くには……」
ふと俺が目をやると、賢いブラザーはひょいと揺れる。どこかと交信した感じで、すぐに俺に向き直る。
「かーまいけるさん、えるまーる、ついてるー」
「サンキュー」
カーマイケルさんは、南領府のクズどもから財産を奪われ、命も家族も奪われそうになった商会の主人だ。能力は未知数ながら、役目にはうってつけの人材だろう。
彼にはエルマール・ダンジョンの三階層にある安全地帯に商会を作ってもらう。俺たちにとっても彼にとっても、ここから始まる。
「……報復の時間だ」
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