空の影
「そーい♪」
騎乗形態スライムはスルスルと加速しながら力を溜め、大きく跳躍した。恐怖感こそないものの、物凄い加速Gで顔が歪む。気が付けば俺たちは城壁の遥か上空を超えて、夜の闇に沈む領府の外れに着地した。
「ちょっとキュッてなった」
「なにがー?」
「気にしなくていい。それより、牢屋は……」
「こっちー」
裏通りを抜けて、路地をいくつか通過する。上空からのナビゲーションでもあるのか事前情報か、それとも感覚器が桁違いなのか。ブラザーは迷うことなくスイスイと目的地を目指す。どんどん中心地に近付いているのは、なんとなくわかった。
途中にいくつか飯屋と酒場の灯りは見かけたが、客足は途絶えていて店じまいを始めている風だ。この国は夜の店が営業できるほどの経済規模でもなければ、夜遊びできるほどの経済状況でもない。夜の営業は燃料代が掛かるしな。
それでも領府の大きな通りともなると、歩いている者はいる。街中をスライムが闊歩するには少しひと目が多い。
「ブラザー、姿は隠しといて」
「あい♪」
<ワイルド・スライム>も<インヴィジブル・スライム>ほど完全にではないが、“隠形”スキルで姿を消すことはできる。“隠蔽”が見えなくなるのに対し、“隠形”は視認できないようにするのだが。
麻のシャツとチノパンにローファーという俺の姿は、いくぶん風変わりではあるが人間にしか見えない。はず。怪しまれたら、そのときはそのときだ。
「なあブラザー、街中を進むよりも、屋根の上とか移動した方が手っ取り早かったんじゃないか?」
「うん。でも、うえ、なんかいるー」
「なんかって?」
“領主かダンジョン爵か、どちらの手勢かわかりませんが、見慣れない魔物が領府の警戒に当たっています”
マールたち監視組からも存在は知覚できているが、まだ正確な正体は把握し切れていないそうな。
“わかりました。鐘楼の上にいるのが司令塔の<隠者拗梟>、あちこちで監視しているのが<囀鳴躍雀>ですね”
オウルとスパロー。フクロウとスズメか。可愛い印象はあるが、そんなわけない。
「魔物?」
「はい。体長一メートル半ほどの猛禽と、十五センチほどの小鳥ですね。どちらも戦闘能力はさほど高くないですが、夜目が利き“隠形”が使えます」
ウチで言うと<インヴィジブル・スライム>の役割かな。そんな監視役がいると厄介だな。警報を鳴らされたときに、どこがどう動くかは不明だが。
「ブラザー、そいつら倒せる?」
「ちいさい、ほうは、だいじょぶー。おっきいのは、むずかしー、かな?」
“だい、じょぶッ!”
なんか張り切った感じの声がしたかと思うと、街の中心部あたりで小さくキョーンみたいな悲鳴が上がった。
“<半鳥女妖>ちゃんたちが、急降下で<ハーミットオウル>を仕留めました”
「え、なにそれスゴい」
目の前に小さくモニターが開いて、教会の鐘楼に留まっていたフクロウっぽいのが映る。それが超高速で落ちてきた何かに掻っ攫われてフレームアウトした。襲撃のリプレイらしいけど、飛び散った羽根以外、なんも見えん。もういっぺん、さらにスローでリプレイされたけど、やっぱ視認できん。
“もっとスローにしましょうか?”
「いや、俺には無理だ。よくやってくれたハーピー、ありがとな!」
““えへへー♪””
<ハーピー>たち、揃って自由人な上にいつも飛んでるからあまり姿を見かけることはないんだが、いつも世話になってるな。彼女らも他のみんなも、いつか労わないとと思ってて、そのままだ。
司令塔を喪った<チャーピンスパロー>の方は、逃げ惑いながらウチの<スライム>たちに各個殲滅されているようだ。
「ますたー、ついたー」
ブラザーに言われて我に返る。示された方を物陰から覗き込むと、石塀に囲まれた公的機関らしい殺風景な建物があった。正門前には篝火が焚かれ、手槍を構えた衛兵が立っている。
「あそこが牢?」
“はい。正面の建物は兵営ですね。牢は、そこの地下です”
戦闘職がいっぱいの敵地に踏み込むわけだ。ブラザーはともかく、俺は戦闘向きのスキルを持たない。レベル優位のときだけ有効な【物理攻撃無効】【魔法攻撃無効】の他には、【短距離転移】くらいか。【収納】あるけど、ブラザー任せであんまり使ったことない。武器を奪ったところで寄ってたかってボコボコにされる未来しか見えない。
“メイさん、衛兵たちが正門を抜かれたことに気付きました。一部が、そちらに向かっています”
「ああ、監視の魔物が倒されたからか」
“はい。すみません、鳥たちの使役魔導師は領府の衛兵隊所属だったようです”
「いいよ、結果は変わらん。なんかあったら、ブラザー頼むな」
「あいさー♪」
正門前の門番が、コキッと首を回転されて倒れる。そのまま敷地内に入って、建物に向かう。身構える間もなく衛兵たちは首を捻られ、吹き飛ばされ、あるいは重甲冑ごと臓腑を抉られて倒れ込む。
その光景に抵抗がなくなっている。心のどこかで諦観が生まれていた。もう自分の命令で人間が死んでも、なんとも思わなくなってる。
いまさらだな。ダンジョン爵に据えられた以上は、人類の敵として生きるか、躊躇って死ぬかの二択だ。
「何者だ、貴様ッ! ここが南領府衛兵隊本部と知っての狼藉かッ!」
「……おいブラザー、なんだあいつ」
「ねー?」
建物のなかでは、偉そうな中年男が俺たちを待ち構えていた。盾を持った部下たちに囲まれたそいつは偉そうな長い金髪に偉そうな金のローブをまとい、手には装飾過多な金の魔術短杖を持っている。どんだけ金ピカ好きだよ。
ローブの下に着ているのは周囲の衛兵たちと同じ。胸にいくつも徽章っぽい飾りが付いてるから、偉そうなだけでなく偉いんだろうとは思う。
「もしかして、あいつが衛兵隊長?」
“はい。先ほどお話したテイマーが、そいつです。まさか衛兵隊長とは思いませんでした”
「えー」
戦闘能力を見ようとした【鑑定】は弾かれた。俺よりも格上か。参ったな。【物理攻撃無効】と【魔法攻撃無効】が途端に心許なくなる。泥仕合で済めばいいが最悪、嬲り殺しにされるまで生き続けるエンドレス地獄という可能性もアリ。
スライム偵察部隊が探り出した情報収集の結果を、マールが念話で教えてくれた。金ピカ野郎は領主の弟で、空飛ぶ魔物を使役する元A級冒険者だそうな。名前は、シュムテル。
“そして、二つ名は……”
そこまで伝えたところで、なぜかマールが言い淀む。何か圧倒的な力でも隠しているのかと思ったが、少しだけ方向性が違っていた。
“可愛い子ちゃん”




