境界の教戒
いくつか起伏を上り下りして街道を南下してゆくと、緩やかな丘に出た。稜線まで低速で進んだ騎乗形態スライムが静かに滑走を停止する。
理由は訊くまでもなく、俺の目でも見て取れた。
「あー」
「ますたー、どうしよっかー」
丘を下った先には、マールの言っていた大きな河がある。その両岸に分かれて、ふたつの勢力が睨み合っていた。
モノル帝国の懲罰部隊が南領の一部を制圧しているという話は、以前マールから聞いていた。帝国軍の主力は南端クーラック・ダンジョンに向かっているということも。
ということは、北側が帝国軍で、南側が南領の領地軍か。よく見えんけど。
対岸までは全長七、八十メートルの簡素な石橋が掛かっている。南領の入り口であるそこを要衝として奪い合っていたのだろう。既に大勢は決したようで、対岸に橋頭堡が築かれている。小規模な戦闘が続いてはいるものの、撤退のための遅延戦闘という感じだ。
帝国軍の後詰か増援か、橋の手前側には荷馬車が七両。兵士が御者台で移動に備えているが、荷台には何も積んでいない。兵の移動にも使うのだろうが、見たところ兵の数より多い。おそらく主目的は収奪用だ。
「マール、見えてるか」
“はい。支援攻撃が必要ですか?”
「それは不要だ。それより、南領に入った帝国軍兵力は全部でどのくらいいる?」
“概算で二千、いま半分ほどがダンジョンの攻略に当たっています。約四百が南領府周辺に”
「……残り三割が、あれか」
“はい。その場所から先の街道上にも、何箇所か検問を組んでいます”
領地軍は劣勢。自領内に検問を組まれたということは、かなりの侵攻を許しているのだろう。南領軍は王都でずいぶん数を減らしたようだしな。
帝国軍も東領と北領の領地軍を引き連れてきた先遣隊が壊滅しているが、数としての損耗は少ない。南領に回した収奪用が本隊か。兵力二千、それも輸送部隊を含むとしたら意外に少ないな。だが滅びかけのアーレンダイン王国には、大兵力を投入するほどの利益がない。それを考えれば妥当な数とも言える。
ただでさえ軍というのは、戦わなくても大量に消費し続けるのだ。きっとモノル帝国は――同様に北東部に侵攻中のルスタ王国も――この地から得られるものでは既に損益が見合わない。モノル帝国が狙っているのは南端クーラック・ダンジョンで産出される穀物。ルスタ王国は、東端ルクソファン・ダンジョンにある金鉱山。……だろうと、俺は踏んでいる。
けれども、そのどちらも素材の状態では信じられないほど嵩張る。穀物は容積的に。鉱物は重量的に。搬出に手間と時間と人手、大量の輸送力が必要になる。あの七両の馬車でどれほどの穀物が運べるのか知らんが。気の長い話だ。
ダンジョンのある南領南端と帝国領は地図上では隣接しているものの、移動は山脈で阻まれている。険しい山道を抜けるには馬車は使えず、スムーズな物資の移送は街道をいっぺん中央領まで戻って西に向かうしかない。ダンジョンから中央領まで二百二、三十キロメートル。そこから帝国までも同じくらいだったはず。
たかが穀物のために往復五百キロ近い収奪キャラバンを組むのか? さすがに、それ割に合わなくないか?
「あいつら、何したいんだろ」
俺の呟きが聞こえたのか、<ワイルド・スライム>が“知らんがな”とばかりにプルプルと頭の先を振る。
「ますたー」
「うん」
「ばーんて、するー?」
「そうだなあ……」
こちらの目的は、被占領地と侵略軍の状況調査だ。利害の絡まない敵は、無理に殺さなくてもいい。ここは無難に何事もなく、通過できればそれでいい。ブラザーにそう伝えると、両軍の集中する橋を無視して水上を渡河する方針を提案してきた。
「いいな。それでお願い」
「あいさー♪」
するすると加速しながら丘を回り込み、少し離れた河面に滑り出す。周囲にひと気はなく、こちらに気付く者もいないだろう。
河幅は五、六十メートル。流れはそう早くないが、けっこう水深がある感じ。すいーっと水面を進むブラザーが、ひょいひょいと橋の下あたりを指す。
「なんかいるー」
「え? なにそれ? 魔物?」
「たぶん、りーせの、なかまー」
ああ、エルマールダンジョンに【迷宮構築】した極寒の二十四階層。リーセは、そこの天然温泉で出会った女精霊だ。彼女は熱泉の精だったけど、わりかしスタンダードな感じの河の精霊もいるわけね。
こちらに悪意がなければ敵対はしないと聞いた。通過するだけなので見逃してもらおう。
「ブラザー、そいつがこっちに向かってくるようなら教えて」
「だいじょぶー」
なんか忙しいみたい、と言われてキョロキョロしてみるが、特に河の精霊が忙しくなるような状況は見当たらず。むしろ騒がしいのは橋の上とその袂だけで、河面は静かなものだ。
「みずに、おちた、おとこ、さらってるー?」
「ガチ肉食系⁉︎」
幸か不幸か俺は気に入られなかったようで、こちらへの接触はなし。そのまま対岸に渡って、街道から少し逸れた位置を南下する。
周囲は小規模な森林が点在する草原。俺たちのエルマール・ダンジョンがある中央部よりも気温と湿度が高く、草の匂いが強い。植生が豊かで、生き物の気配が濃いような気はする。
「まな、おおいねー」
「ああ、これ“外在魔素”濃度の違いなのか」
“メイさん、ちょっと良いですか”
マールからの念話通信が入る。コアの性能が向上したせいか、音声も感度も通信距離も上がった。できることの幅も増えてマルチタスクな分身体になった。
「いいよ。こちらは順調、河を越えたところだ」
“はい。上空から見えています。その先、三十キロメートルほどのところに山賊の集落があるので、可能であれば迂回してください”
聞き慣れないワードだ。山賊って、集落を作るの? アジトとか砦とかじゃなく?
「それ、どのくらいの規模?」
“集落は大小五十四戸、住民は確認できる限りで八十九名います”
「多ッ⁉︎」
“住民全員が盗賊ではありません。元は南領で食い詰めた棄民の集落でしたが、盗賊はそこを根城にしています”
「それじゃ盗賊は何人くらい?」
“ハッキリしているだけで、四十七名です”
「やっぱ多ッ⁉︎」
“その数が一度に行動することはないです。通常は三人から七人程度で”
「でも、盗賊なんだよね。そんな人数が食えるほどの獲物なんて、南領にいるとは思えないんだけど」
そんなの、王都だって無理だろ。仮に盗賊四十七人が食いつなげるくらいの被害が出てたら、官憲なり冒険者なりが討伐に出るだろうし。
“ふだんは住民たちと同じく、農業や狩猟採集で暮らしています。農閑期や懐が寂しいときなどに盗賊業を行うようですね。半農半猟半盗賊、といった集団です”
「なにそれ、ちょっと楽しそうじゃん」
もちろん他人事としてみれば、だ。関わる気はないし、エルマール・ダンジョンに被害が及ぶなら殺しちゃうけど。ここは七十キロほど離れているから問題ないだろう。
「三十クロニム先、ってことは、南領府からは近いのか」
“領府から盗賊集落までは十クロニムほどです”
「じゃあ、迂回だな。それは南領の問題だ」
もやっと、胸の奥に違和感が残る。なんだっけこれ。どっかで聞いた気がするぞ。そのときも同じように俺とは関係ないと聞き流したはずだけど。
「なあマール。その集落の話は、前にもしたか」
“いいえ、わたしは一度も。ですが、エルマールに逃れてきた流民たちから、お聞きになったのかもしれません”
そっちかー。そうだろな。どこで誰から聞いたか覚えてないけど。聞いたからどうという話でもないし。実際いまも関わる気ないし。全然ないし。ホントだし。
“ルーインたちが、逃げてきた場所です”
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