第28話 決着をつけよう その3
3話目の更新です。
本日はここまでとなります。
「それで……アンタの望みは何?」
香澄の口から放たれた声は、冬の風に負けないほどの寒気を纏っていた。
誠に向けられる眼光は、厳しさと諦念を合わせ持っていた。
「僕の望みは……不名誉な噂の払しょくだけだ」
「浮気の奴? でも、アンタ女いるんでしょ? ピンクのウィッグの」
「彼女とはお前と別れてから出会ったんだ。浮気じゃない」
「そう言われて信じると思う? そもそもアンタにすぐ新しい彼女ができたことが信じられないんだけど」
「お前が信じるかどうかなんて関係ない。あと、彼女とはそういう関係じゃない」
「じゃあ、どういう関係なわけ?」
「お前には関係ないって言ったんだけど」
「教えてくれないと協力しない」
「勝手な要求ができる立場だと思ってるのか?」
「……」
「……」
しばらくの睨み合いの後……誠は大きく息を吐き出した。
切り札を手にしている以上、立場は誠の方が有利なはずなのに押しきれない。
こういうところは欠点だと自覚してはいるものの、一朝一夕に改めれられるものでもない。
「彼女とは……お前にフラれて死のうと思ってた時にたまたま出会ったんだ」
「それで?」
「相談に乗ってもらって、それから何回か会ってる」
香澄に真実を話す必要はないだろう。
相談したり会ったりしているどころか、実際は同居してえっちする間柄だなんて。
「じゃ、私のおかげで付き合えるようになったものね」
「どこをどう解釈すればそうなるのか、まったく理解できない」
「……でも、そういう関係じゃないのよね。アンタ、何やってるの?」
「そんなことお前に心配してもらう必要はまったくないんだけど!?」
余計な忠告に思わず声を荒げてしまう。
自分とサキとの関係は――あくまで契約による相互扶助。
誠は生気と住居を提供し、サキは快楽を提供する。
取り交わしたのは、ただそれだけ。
でも……
――いやいや、今はそういう話はいいから。
ぶんぶんと首を振って余計な思考を頭から追い出す。
目の前で香澄が面白そうに見つめてくるのがムカつく。
「それはともかく……あの噂がある限り、僕らはおちおち街を歩けもしないんだ。酷いと思わないか?」
誠が浮気者呼ばわりされることは不本意だが、それ以上にサキが寝取り女呼ばわりされることに耐えられない。
「私の知ったことじゃないわ」
「お前な……」
「だいたい……一度広まった噂をなくすなんて無理だと思うけど」
「つべこべ言わずにやれ。できないのなら、この音声データをブチ撒ける」
「バカみたい。できもしない癖によく言う」
「クソッ、やりにくいな」
「お褒めに預かり光栄だわ。それで? 役に立たない切り札を握りしめてるだけのアンタが、私に命令できるつもりなわけ?」
「……やってもらわないと困る。僕にはそういうセコイ方法は思いつかないんだ」
「セコイとはずいぶん言い草ね。私がどれだけ苦労したか……」
「その苦労をもう一回やれって言ってる。元をたどれば全部お前がまいた種だろ」
「……」
「……」
再び睨み合う。
しばしの沈黙ののち――口を開いたのは香澄だった。
躊躇いがちに、戸惑いがちに。
信じられないような、信じたいような、そんな口振り。
「……本当に、それだけでいいの?」
「ああ。他にやってほしいことなんて何もない」
香澄とよりを戻したいわけではない。この女には心底ウンザリしている。
謝ってもらいたいとも思わない。頭を下げて済む段階はとっくの昔に過ぎ去っている。
さりとてクラスメートとの仲を取り持ってほしいわけでもない。
たった一か月とは言え、ロクな証拠もない噂を肴にやりたい放題してくれた連中だ。
今さら謝られても許せるわけがない。そこまでの度量を誠は持ち合わせていない。
彼らの本性が知れたいい機会だったと割り切ることにする。
どうせ春になればクラス替えだ。彼らの顔も名前も記憶から消えるだろう。
「はぁ……アンタ、もう少し強気で立ち回った方がいいわよ」
「うるさいな。そういうのは柄じゃない」
「知ってる」
「お前こそ、あのクソ男とは別れた方がいいぞ」
「何それ、命令?」
「違う。近藤君と付き合うんだろ?」
教室にいれば嫌でも耳に入ってくる。
サッカー部期待のホープと一年生にしてミスコンを制した学園のアイドル。
久しく見られなかったビッグカップルの成立に、誰もが注目している。
それだけに今の香澄にとってスキャンダルは致命的だ。お陰で期せずして交渉の下地が整った。
……まぁ、近藤に感謝しようとまでは思わないが。
「耳が早いわね。私に興味ないって顔してるくせに」
「ひと言多いんだよ。あんな他人様の彼女に手を出すのが趣味みたいな奴とは、ちゃんと関係を清算しておいた方がいいって言ってるの」
「……言われなくても、そのつもりよ」
かつて誠とあの男を天秤にかけてあの男を取った。
今度は近藤とあの男を秤にかけて近藤を取る。
この扱いの差……誠は頭を振った。こんな気持ちはここで捨てる。
「……ねぇ」
香澄が尋ねてくる。
冬の風に晒された黒髪を押さえながら。
「なんだよ?」
「聞かないの?」
「何を?」
「『何で浮気したのか』とか『何であの先輩なんだ?』とか」
「それ、聞いてどうするんだ?」
懺悔のつもりだろうか。
そんなことを今さら聞かされても、もう遅いのだが。
「……それは」
「聞いてほしいのか?」
香澄は無言で頷いた。
「はぁ……じゃあ聞くよ。何でなんだ?」
誠は折れた。
長い付き合いなのだ。
最後にひと言ぐらい聞いてもいいという気持ちになった。
「アンタが……誠が物足りなかったからよ」
「お前、もう帰れ」
聞けと言っておいてコレ。
この女は本当にクソだ。最悪だ。
「知ってのとおり、私は中学校までずっと虐められていた。だから高校に入る時がチャンスだと思って自分を変えたわ」
「聞いちゃいない。はいはい、お前の高校デビューはずっと傍で見てたよ」
「ええ、私は変わった。努力した。でも……アンタは変わらなかった」
「僕だって色々頑張ってたんだけどな」
「私には……そうは見えなかったわ」
「……お前さ」
「何?」
「努力努力って、お前が努力大好き人間なのは知ってるけど、それを人に押し付けるのは止めといた方がいいぞ」
「……努力の何が悪いの?」
香澄の表情に怒りが混じった。
狂気じみた香澄の努力を間近で見てきた。
香澄は努力を愛する人間であり、努力する人間を愛する人間でもある。
それはわかる。だからこそ――香澄は努力を妄信し過ぎるきらいがあることも、わかる。
「勘違いするな。僕だって努力を否定するのはよくないと思う。でも、お前は『自分は努力したからできた。できないお前は努力が足りない。ダメな奴だ』って言うだろ」
「それは……」
「誰も否定できない『努力』なんて錦の御旗を振りかざしてたら……そりゃ反論はされないだろうけど、裏で反感を買うだけだぞ」
『できない人間は努力が足りない。だからダメ』と決めつけるのは危険だと思った。
努力しない人間の中には単純に怠惰な人間はいるかもしれない。
でも……努力したくても努力できない人間だっているかもしれない。
それは性格的な問題もあるだろうし、環境の問題もあるだろう。他の理由もきっとある。
「僕だって……」
高校に入ってひとり暮らしを始めた誠は、時間もお金も自分の思いどおりには使えなかった。
一方、両親のもとでぬくぬくと暮らしている香澄は、すべてのリソースを自分に割り振ることができた。
時間は誰だって1日24時間しか与えられていない。そうなれば……結果は火を見るよりも明らかだった。
「僕だって……僕だって、ずっと努力してきたんだ」
喉を通って零れ出た声は苦渋に満ちていた。
言いたかった。言えなかった。やっと言えた。
与えられた環境の中で精いっぱい頑張ってきた。
でも……香澄は誠を省みることはなかった。
『ダメな奴』と決め付けられて、捨てられた。
「……近藤君とは、ちゃんと付き合えよ」
「言われなくても、そのつもりよ」
「どうだか。お前のことだから、またほかの男に浮気するんじゃないのか?」
「……言ってくれるわね」
「これでも被害者なんで。そういうの性分なんだってさ。自分だけだとなかなか気づけないらしい」
かつてサキが言っていた。香澄は男に目移りする性分に振り回されて苦労するだろうと。
もう自分とは関係ないと言い聞かせてみても、本人を前にすると物申さずにはいられなかった。
「偉そうに……」
「僕はお前に嫌われても構わないからな。好き放題に言ってやるよ」
「一応……心に留めておくわ」
香澄は顔を歪ませて――頷いた。
そして、また沈黙。
グラウンドから運動部員の声が聞こえてくる。夕闇が迫る頃合いだった。
この屋上だけが世界から取り残されているような、そんな錯覚に飲み込まれそうになる。
「約束、守れよ」
「噂の件ね。すぐには難しいけど、脅されてるから仕方がないわ」
「ああ、切り札を握っているのは僕だ。お前はせいぜい僕のために働け」
ざまぁみろ。
誠は口を歪めて笑った。笑おうとした。
苦々しい味わいが口中に広がっていく。
――馬鹿馬鹿しい。こんなの……何が面白いんだ?
自分を虐げてきた女の優位に立って命令を聞かせることに成功したのに……心は晴れない。
『これは必要なことだった』そう言い聞かせないと、胸の奥から込み上げてくる不快感に耐えられそうになかった。
「……」
「僕が言いたのはそれだけ。なぁ……もうお互いに関わるのはよさないか?」
「……ええ、そうね。それがいいわね」
「じゃ、そういうことで。もう行ってくれ」
寒風吹きすさぶ中、香澄に背を向けた。
これ以上話すことはない。顔も見たくない。拒絶の意思表示だ。
しばしの時が流れ――背中越しに小さな声が聞こえた気がした。
『ありがとう。ごめんなさい』
鉄の扉が閉まる音が響いた。
誠は、振り返らなかった。
バタバタと畳んだ感じになりましたが、香澄絡みのお話はこれにて終了。
後は先輩の顛末とエピローグの予定です。
最初は教室でデータをブチ撒ける展開で考えていたのですが……話を進めていくうちに、誠は香澄を人前で糾弾する性格じゃないよな、と。
1月24日追記
申し訳ございませんが、感想への個別の返答はストップさせていただきます。
いくらなんでもこの量は無理です……




