第27話 決着をつけよう その2
本日2話目の更新です。
『トラブルに巻き込まれたら、必ず物証を残しておきなさい』
海外に赴任することになった両親から耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。
たったひとり日本に残る息子に向けられた、自分の身を守るための教えだった。
両親は誠をどこに出しても恥ずかしくないように育ててくれた。ひとり暮らしも何とかなるだろうと太鼓判を押してくれた。
でも、誠はこれから高校生になるという頃合いだ。世間的に見れば、まだまだ子ども扱いされても文句は言えない。
そんな高校生が厄介なトラブルに巻き込まれた際に、本人の発言にどれほどの証拠能力があるかと問われれば……これは疑わしいと言わざるを得ない。大人の世界では。
だからこそ、両親は口を揃えて誠に語ったのだ。何度も何度も。日本を去る直前まで諭すように教え聞かせてきた。
『揉め事なんて避けるのが一番だ。でも……もし巻き込まれてしまったら、誰にも文句を付けられないような証拠を残すようにしなさい』と。
当時の誠は彼女であった香澄と一緒に志望校に合格し、順風満帆な生活を送っていた。
だから『現代の日本で厄介なトラブルに巻き込まれるなんてそうそうないよ』と笑って聞き流そうとした。
……のだけれど、あまりに真剣な両親の態度に押されて首を縦に振った。
長らく会うことができなくなる両親が抱く不安を思えば、まぁ別に構うまい。大した手間でもない。
その程度の感覚ではあったが誠はアドバイスを胸に留め、何かあったときに物証をいかにして残すのか真面目に考えてみた。
高校生が持っていておかしくないもの。
身近にあってすぐに手を伸ばせる方法。
その他あれやこれやの条件を満たすものとなると、これがなかなか難しい。
いくつもの条件をクリアしたアイデアは――スマートフォンによる録音だった。答えはすぐ手元にあったのだ。
スマホなら今や誰でも持っているものだから怪しまれることはないし、操作だって簡単。科学技術バンザイ。
以来、誠は何かあったらすぐにスマホを立ち上げて録音機能をオンに出来るよう、自発的に癖をつけるように心がけてきた。
そして――香澄の浮気に遭遇したあの日あの時あの場所で、ちょうど誠はスマホを弄っていた。そのまま録音アプリを立ち上げるのは容易だった。
★
誠のスマートフォンからは、香澄たちの悍ましい会話が垂れ流されている。
誠の声もついでに混ざっている。震えた声色を聞いていると、当時の動揺が否応なく思い出される。
あれからもう1か月以上が経過している。長かったような気もするし、短かったような気もする。
サキに出会ってエロエロもといイロイロあって……でも、こうして振り返ると胸の中に言いようのない不快感が広がる。
「正直なところ、あの時はこんなことになるなんて思ってもみなかった」
両親の教えに従って録音したはいいものの、使い道なんて考えもつかなかった。
そもそもショックのあまり自殺しようとしていたくらいだ。サキに出会わなければそのままジエンドだった。
サキュバスの少女とふたりで暮らすようになってからは甘々な日々を過ごし、少しずつ心の傷は癒されていった。
録音データはもはや忌まわしい記憶の塊に過ぎなかった。何度も削除しようとして……でも、できなかった。
『まぁ、放っておいても別にいいか』とスマホの中で眠らせていたデータが意味を持ち始めたのは、3学期の初日からだった。
浮気されてフラれたのは自分のはずなのに、いつの間にやら勝手に浮気したことにされていた。
浮気した本人は被害者ぶって悲劇のヒロインを演じ、クラスメートを味方につけてしまっていた。
状況の推移は理解を超越してしまっていたが、そもそも誠と『浮気』なんてワードを結び付ける人間なんてそうそういない。
証拠こそなかったものの、どう考えても一番怪しいのは香澄だった。
彼女の性格を鑑みれば……万が一誠が浮気したのなら、もっと食って掛かってしかるべきなのだから。
そこまではすぐに思い至り、怒りのあまり教室でこのデータを暴露してやろうかとも考えた。
スマホを固く握りしめて……でも、そこで思いとどまった。
「どうして……あの時に使わなかったの?」
香澄の声は疑問に満ちていた。無理もない。
そしてその言葉は、暗に香澄があの件を仕掛けたことを認める言葉でもあった。
認めたうえで問わざるを得なかったのだろう。理解できないまま放置できないのだ。
誠にとって、このデータは一発逆転の力を秘めた切り札だ。
咎なくして責められたならば、自分を貶めようとするものの正体に気付いたならば、なぜ使わなかったのか。
「何でって言われると……怖かった」
「怖い?」
訝しげな香澄の声に頷いた。
「このデータを教室で公開すれば……多分お前は破滅しただろうな」
「……そうね」
不承不承ではあるが、誠の言葉に香澄は首肯した。
自分がしでかしたこと、自分を取り巻く環境と状況。
すべてを勘案すれば、誠の手のうちにある爆弾の破壊力は容易に想像できる。
香澄が今まで積み上げてきたものなんて、あっという間に木っ端微塵になる。
その可能性が脳裏に浮かんだのか、香澄は自分の身体を抱きしめて震えた。
「怖かった。出鱈目まででっちあげて仕掛けてきたお前を追い詰めて逆に破滅させるってさ、傍から見ればそりゃ気持ちいいのかもしれないけど……それって、駅のホームに突っ立ってるお前の背中を押すのと何も変わらないよな」
自分の発言が、行動が、誰かを破滅させる。
それが堪らなく、怖かった。恐ろしかった。
教室の空気に呑まれて勢い任せで軽挙に走らなくてよかったと、家に帰ってから安堵した。
「勘違いするなよ。別にお前がかわいそうとか、そんなことは全然考えてなかった」
「それは……そうでしょうね」
「僕はただ、自分が人殺しになるなんて嫌だった。それだけだ」
『破滅させる』というのはオブラートに包んだ表現に過ぎない。
年頃の少女の破廉恥な男女関係が明らかにされる。しかも片方は人気者である香澄だ。
そんなスキャンダルを教室でブチ撒ければ、情報はあっという間に拡散される。
ラインやツイッターなど、情報発信の手段には事欠かない時代だ。
すると……どうなるか?
関係ない連中がハゲタカのごとく集まってきて、面白おかしく吹聴すること間違いなし。彼らはネタに飢えている。
蚊帳の外からしたり顔で悪を叩く。自分たちは正義だと思い込んでいるものだから制御が利かない。
そこまでの騒ぎになってしまうと学校側だって黙ってはいない。香澄の家族すら巻き込むことになるだろう。
当の香澄が命を絶つかどうかは推測の域を出ないが……そこまで追い詰められてもおかしくはない。
どれだけ楽観的に考えようとしてみても、最悪の未来予想図を否定しきれなかった。
「バカじゃないの? 自分がボロクソに叩かれる方がマシってこと?」
「言ってろ。僕はお前みたいに他人を平気で陥れるようなことはしたくない」
「イチイチ苛つくわね……でも、そういうところはアンタらしいと思うわ」
「そりゃどうも。で……そうなると、このデータって全然役に立たないんだよな」
ため息をつきながらスマートフォンを弄ぶ。
事態を好転させる切り札ではある。ただし威力がありすぎる。
誠自身に被害が及ぶことはない。だからと言って安易に使える類のものではない。
このデータには、下手をすれば香澄の人生を終了させかねないほどのパワーがある。
たとえ自分を裏切り陥れようとしてきた相手とは言え、そこまですることは躊躇われる。
香澄を破滅させる――あるいは死に追いやる感覚が自分の手に残り続けるなんて、それこそ最悪だ。
とは言え……誠を取り巻く状況は厳しくなる一方で、我慢しても何の解決にもならないことも認めざるを得ない。
だから切り札の存在を香澄にだけ教えて交渉を持ちかけた。思いついた使い道は、せいぜいそれくらいだった。
そもそもこの問題は浮気現場を目撃された香澄が、誠の口を封じるために策を弄したことに端を発している。
浮気した事実は変えようがないし、香澄から誠に『黙っていろ』なんて言えるわけもない。
しかし放置もできない。バラされたら教室どころか校内での立場を失う。親の耳にも入るかもしれない。
二進も三進もいかなくなったからこそ、ここまで思い切った手段に訴えてきたとも考えられる。
ならば話し合いの余地があると知らせれば、香澄が申し出を無下にすることはないと読んだ。
「それで……アンタの望みは何?」
苦々しげに絞り出された香澄の言葉は、昏くて重く、そして冷たかった。




