第26話 決着をつけよう その1
少しお休みを頂いておりました。
本日は3話更新の予定です。
これが1話目。
「誠……」
切なげに濡れるアメジストの瞳で見つめられると、胸が締め付けられそうな心持ちになる。
ごくありふれた平日の朝の一幕。すっかり慣れてしまった、しかし特別な時間。
向かい合っているのは、クリスマスイブ以来の同居人であるサキ。
胸と腰だけ黒ラバーで覆った桃色髪の美少女。その正体はえっちな悪魔ことサキュバスだ。
いつまでたっても見飽きることのない彼女のそんな表情を見せられると、この上なく後ろ髪を引かれる。
何なら学校を休んで今すぐ寝室に……と行きたいところだけど、今日ばかりは欲望に身を任せることはできない。
「サキさん?」
「えっと……その、やるんでしょ?」
サキの口から漏れた言葉は、要領を得ない途切れ途切れなものだった。
知ってか知らずか、たどたどしく紡がれたソレは何とも蠱惑的なものとなってしまっている。
しかも、上目遣いでそんな態度を取られると……控えめに言って物凄く可愛い。
「まぁ、そのつもり。話してみるよ」
「……大丈夫?」
サキには今日これから学校に行ってすることについて話してある。
その上で、何を言おうとしているのかも理解できる。
『えっちしよ?』というお誘いではない。
「アイツは……性格は悪いけどバカじゃない。無視されるってことはないんじゃないかな」
「本当に?」
「ほんとほんと。なんだかんだ言って付き合いも長いしね」
『付き合いが長い』のくだりで眼前のサキの顔に殺気らしきものが浮かんだ……気がした。
失言だったかと後悔したが、一度口にした言葉を引っ込めることはできない。
ギョッとした誠の顔を見たサキは自分の表情の変化に気付いたか、ゴホゴホと咳き込んで誤魔化そうとしている。
誠もサキも『もう遅い』わけだが……顔を見合わせて笑った。この件に関してはお互いさまということで手打ちだ。
「えっと、こういう時ってライターだっけ?」
「ライター?」
突拍子もないことをサキが口走り始めた。
どうしてこの状況でそんなものが必要になるのか?
誠は思わず眉を寄せて問い返した。
「ほら、この前のドラマでやってた! 出かけるときにカチカチって……」
「……ドラマ?」
「そう。ほら、変な髪型した人がたくさん出てくる昔話みたいな奴」
「えっと……時代劇?」
「それそれ! 『控えおろう』とか何とか」
――最近は時代劇に凝ってるのか。
昔話と時代劇を一緒くたにするのはどうかと思うが、言いたいことはわかった。
厄除けや縁起担ぎのために『行ってらっしゃい』と切り火で送り出されるアレだ。
つまり誠を気遣ってくれているのだ。ちょっと(?)ズレているのはご愛敬といったところ。
「あれは火打ち石だね。ライターだと意味ないんじゃないかな?」
「そうなの? 火がつけばいいんじゃないんだ」
「火打ち石を使うこと自体が重要なんだと思うよ」
火がつきさえすればと言うのなら、ガスバーナーや火炎放射器でもいいことになるのではなかろうか。
伝統やら風習にはそれなりの理由があり、おいそれと現代的にアップデートする必要はないと思った。
「その石ってウチにはないの?」
「う~ん、さすがに火打ち石なんて持ってないなぁ」
念のために用意しておく?
そう問いかけると、大きく首を縦に振られた。
「……じゃあ、考えておきます」
「うん。それじゃ、いってらっしゃい!」
笑顔で背中を押されて、誠は家を後にする。目指すはもちろん学校だ。
ちょっとだけシリアスで、でも深刻になり過ぎない絶妙の塩梅。
魔除け厄除けの効果はなかったけれど、肩の力はいい感じに抜けた。
★
学校は概ねいつものとおりだった。
香澄の取り巻きを始めとしたクラスメートからは総スカンを食らった。
……ガン無視される程度ならどうということもないし、噂に踊らされる連中と関わるのも煩わしい。
唯人は相変わらず馴れ馴れしい。こっちはこっちで通常運転だった。
「おっ、今日は何かキリッとしてるな」
「別に普通だし」
否、唯人は少し違っていた。誠が昨晩のうちに頼みごとをしておいたせいだ。
違いと言えばそれくらいだ。表向きは何も変わらない、何気ない日々のひと欠片に過ぎない。
実際は……教室の中で、もうひとり平静を装っている者がいるのだが。
おそらく誰にとっても幸運なことに、こちらは誰にも気づかれていない模様。
微妙な緊張感を孕んだ時間はあれよあれよと過ぎ、昼休みを経て、すべての授業が恙なく終わりを迎えた。
チャイムと共に三々五々に散りゆく生徒たちを横目に、誠は席を立った。
「誠、これ」
唯人から手渡されたのは――飾り気のない鍵だった。
「これが?」
「おう、屋上の鍵だ」
「本当に手に入ったのか……」
「まぁな。驚いたか」
『邪魔の入らないところで話し合いをしたい』そう伝えたところ、『任せておけ』と太鼓判を押された。
そして用意されたのが――これ。屋上の鍵。
普段は学生の手に渡されることのないアイテムを、唯人がどのようにして調達してきたのかは不明。
まぁ、『何はともあれ』という奴だ。友人の親切と顔の広さに感謝することしきりである。
「悪いね」
「いいってことよ。それより……」
唯人は誠の肩に腕を回して耳元に口を寄せてくる。
あまり人に聞かせたくない話題なので密談上等だが、男とこんなに密着しても楽しくとも何ともない。
「うん。片付いたらちゃんと話すよ」
「いや~、急かすみたいで悪いな」
「この件に関しては僕が黙ってたのが悪いという自覚はあるんだけど、なんか納得いかない」
「そんなこと言うなって。ま、その話はあとでいいから……ちゃんと決めてこいよ」
「……ああ」
誠の無茶ぶりに唯人は何も言わずに応えてくれた。
いい加減、誠も唯人に応えるべきだとは思う。
とは言え、すべてを説明することはできないのだが。
サキの正体が実は悪魔だとか、すでに同居しているとか。そのあたりはさすがに厳しい。
でも……信頼のおける友人である唯人にすら打ち明けられないというのも問題だ。
そんな有様では、誠とサキがふたりで人目を憚ることなく外を歩くことなんて、いつまでたっても夢物語のままだろうから。
これもひとつのきっかけと前向きに考えることにする。
放課後の人の流れに逆らうように廊下を進み、階段を登り――その先にある屋上への扉と向かい合う。
閉ざされている鉄扉、その鍵穴に唯人から受け取った鍵を入れて回すと、ガチャリと重い音が響いた。
音を立てて開かれた扉の向こう、人気のない屋上に足を踏み入れる。
フェンス間近まで歩みを進めると、眼下には部活動に精を出す生徒たちの姿を一望できた。
「さぶ……」
遮蔽物のない空間ゆえに風が吹きっ晒しだった。
ポケットに手を突っ込んで身体を震わせ、暖を求めた。
上着を身につけてはいるものの、あまり役に立ってくれてはいない。
いくら人気のないところを探していたとはいえ、ずっとここにいては風邪を引きそうだ。
さっさと用件を済ませたいところだが、『話し合い』はひとりでできることではない。相手待ちだ。
『早く来い』と心の中で念じていると、背後からギギギと重い音がした。
誰かが扉を開けた音だ。何の用もないのに、こんなところに訪れる生徒はいない。
「遅いよ」
「あらそう、ごめんなさいね」
振り向いた先に立っていたのは、ロングストレートの黒髪を風に靡かせた美少女。
昨年の文化祭でミスコンをかっさらった、かつての誠の恋人。香澄だった。
いつもは分厚い笑顔の仮面に守られている双眸が、今や火を噴きそうな勢いで誠を睨み付けている。
「呼び出して悪かったな。本当はもっと早くこういう機会を持ちたかったんだけど、いつもお前の周りには取り巻きが多くて困ってたんだ」
「『お前』?」
香澄が眉を顰めた。
少し遅れて誠も同じ顔をした。
記憶にある限り、香澄のことを『お前』呼ばわりしたことはなかったのに……今は自然にその呼び方が口を突いた。
「僕らの関係を考えたらピッタリだろ」
「しばらく口を利かない間に、ずいぶんと変わったみたいね」
「好きでもないし、付き合ってもいない。目上と言うわけでもない。それどころか口もききたくない。『お前』で十分じゃないか」
「まぁいいわ。それより……何なの、アレは!?」
自分から振っておいて『まぁいい』とは大した物言いだが、香澄だって用もないのに誠に呼び出されてホイホイ顔を出したわけではない。
「ん?」
「昨日送ってきたアレ、あなた……」
「ああ、これ? 一応確認しておくけど、ちゃんとひとりで来たよな?」
「当たり前でしょ。あんなものを誰かに聞かれたら……」
「……注意書きはしておいただろ」
昨晩のうちに香澄にメッセージを送っておいた。
『周りに人のいないところで聞け』という忠告をデータに添えて。
スルーされる可能性や、香澄が人前でやらかす危険性はあったものの……程なくして呼び出しに応じる返事があった。
それから唯人に話を持ち掛けた。他人に聞かれたくない話だったので、そういう場所に心当たりがないかと相談した。
そうして用意された舞台が、この屋上だった。
誠はポケットの中から取り出したスマートフォンのディスプレイに指を滑らせた。
すると――
『あ~あ、バレちゃったか』
誠と香澄、ふたりしかいない屋上に声が響いた。香澄の声だった。
しかし、当の本人の口は堅く閉ざされたまま。歯ぎしりが聞こえてきそうな面持ちだ。
声は――誠のスマートフォンから流れ出している。
「聞いてのとおり、録音してたんだよ」




