第23話 家に帰れば
本日もよろしくお願いします!
学校から家までの距離がこんなに遠いだなんて考えたこともなかった。
ノブを回してドアを開ける。それだけのことが酷く疲れる。
「ただいま」
「おかえり~って……どうしたの、誠!?」
帰宅するなり出迎えてくれたサキは、誠を見るなり驚きの声を上げた。
――ずいぶんと大袈裟だな……
「え? 今日は始業式だけだから午前中で帰ってくるって言ったよね?」
「そうじゃなくって、その顔!」
「顔?」
指摘されて頬に手を当てる。今の自分はどんな顔をしているのだろう?
玄関にかけられている鏡に目をやると、そこに映っていた誠の顔は青ざめていて生気を感じない。
サキにめいっぱい生気を分け与えた後の方が全然マシに見えるくらい。これはヤバいとひと目で自覚させられる。
「えっと……なんか風邪ひいたみたい?」
咄嗟に口から出た言い訳がコレ。あまりにもわざとらしくて嘘くさい。
もう少し気の利いたことが言えないのかと、我が事ながらため息のひとつもつきたくなる。
これは酷い。まともに頭が回っていない。
「そんなわけないでしょ。誠の健康状態は毎朝ちゃんとチェックしてるんだから!」
「……いつの間にそんなことを」
「というのは冗談。だけど……ずっと一緒にいるんだから、それくらいわかるわよ」
「そっか」
えらい剣幕で捲し立ててくるサキを手で制していると、少しだけ胸の中に暖かい火が灯った。
寒風吹きすさぶ冬の街並みを急いで帰ってきた甲斐があったというものだ。
ホッとひと息ついて……それで終わりではなかった。
目の前では桃色髪のサキュバス少女が仁王立ちしていて、『さっさと話せ』と全身で物語っている。
――これは……黙ってるわけには行かないなぁ……
真正面から見据えてくるアメジストの光が厳しい。
ほんのわずかな誤魔化しすら見逃すまいという確固たる意志を感じる。
とてもではないが逃げられそうにないし、今さら回れ右して家を出る気にもなれない。
「わかった。話すから、できれば暖かいお茶が欲しい」
「ご飯は?」
今日はサキのアルバイトがないから、帰ってきたらふたりで一緒に食べようと。
暖かい部屋でできたての手料理を頂く。そういう贅沢な時間を楽しもうと。
家を出る前に、そういう話をしていたのだ。今になってようやく思い出した。
「……ごめん、今はちょっとそんな気分じゃない」
「おっけー。すぐお茶を用意するから、誠は着替えて待ってて」
「ありがとう」
――『そんな』なんて言っちゃって悪いことしたな……
せっかくご飯を作ってもらっておいて、酷い言い草だと自嘲せざるを得ない。
ぱたぱたとキッチンに戻っていくサキの背中を見ていると、さらに気が重くなる。
これから話すことになる内容は、できれば彼女に聞かせたくなかった類のものだったから。
★
「……なにそれ」
熱い緑茶を啜りながらポツリポツリと学校であったことを話し終えた。
そして――ひととおり聞きに回っていたサキの第一声がこれである。ナニソレ。
「自分が浮気したくせに、よりにもよって誠が浮気したって、なんでまたそんなデマを……」
「わかんない。アイツの考えることは、もうさっぱりだよ」
頭を掻きむしりながら誠はボヤいた。
元カノである香澄と顔を合わせざるを得ない新学期初日という状況にあたって、事前にいくつかの展開を脳内でシミュレートしていた。
誠が香澄を問い詰めるパターン。そこから派生して彼女が素直に話すパターンと、逆ギレするパターン。あの日の口ぶりから白を切る展開はないと読んでいた。
逆に香澄が冬休みで頭を冷やして誠に謝ってくる流れも想定していた。許すか、許さないか。いずれにせよ、もう香澄と関わりたくはなかった。
だが……誠が一方的に濡れ衣を着せられて責められるというのは予想外だった。しかもクラスメートがはしゃいで収拾がつかなくなるなんて筋書きは、とてもではないが予測できなかった。
「しかも何なの、そのクラスメートとかって奴ら!」
対面から身を乗り出してくるサキは、わなわなと身体を震わせて怒りを隠そうともしない。
「『クラスメート』は固有名詞じゃないからね」
「混ぜっ返さないで」
「あ、はい」
サキの白い指が誠のおでこを弾いた。
軽いデコピン。別に痛くはない。
「まぁ、前から別に仲が良かったってわけでもないけど……」
「だからって何の証拠もないのに人を貶めるなんて……最ッ低! それに……誠も誠よ!」
「僕?」
さすがにこれは首をかしげざるを得ない。
今日の自分に何か落ち度があっただろうか?
目まぐるしく変転する展開に困惑させられて……でも、それをミスと言われても困る。
誠は完璧超人ではない。
「そう。理不尽には声を上げて対抗しないと。浮気なんてしてないじゃない!」
「あ~、うん、そうだね……」
「……何? 言いたいことがあるなら、ハッキリ言って」
彼女の言い分は正しいとは思う。
しかし誠の胸中をありのままに語るのは気が乗らない。
――さて、どうしたものか……
顎を撫でつつ沈思黙考……しようとしたが、生憎そんな暇はなかった。
口ごもる誠の前でアメジストの光がどんどん強まっていく。そのうちビーム出そう。
これは黙ってはいられないと諦めて口を開いた。
「実は……僕らが一緒に街を歩いているところを見られたらしいんだ」
「え……それは……」
サキは盛大に眉をしかめた。
誠に詰め寄る勢いもストップしてしまう。
「浮気云々はもちろん出鱈目だけど、僕が香澄以外の女の子とイチャイチャしてるって話と混じってるんだよ」
誠が香澄を捨てて浮気したという話と、誠が『ピンクのウィッグ女』と行動を共にしていたという話は、いつの間にか不可分の状態になってしまっていた。
その流れに論理的な展開はなかったのだけれど、人間はそもそも論理的な生き物ではないと知った。
彼らの誤解を解くためには、誠とサキとの関係を始めとした諸々について説明をせざるを得ない。
無理に誤魔化そうとすると『何やらうやむやにしようしている』なんて邪推されて説得力が失われてしまう。これでは力説しても意味がない。
とは言うものの『隣にいたピンクブロンドの女の子の正体は実は悪魔で、ふたりは契約によって結ばれているのだ』なんて……とてもじゃないが信じてもらえそうにない。
立場が逆なら誠だって信じないだろう。言い訳するにしても、もっとマシな嘘をつけと食って掛かるかもしれない。それぐらい無理筋だ。
そして返す言葉もないままに機を逸した誠は、攻撃的な群集心理の格好の的となり、ホームルームが終わるなり這う這うの体で教室を後にしたのだ。
「アンタの元カノ、まさかそこまで狙って?」
「どうだろう? 僕がサキさんとふたりで街を歩いてたって話を聞いたときはビックリしてたみたいだけど」
10年以上幼馴染をやってきた経験と香澄の表情から類推するに、あの女はサキの存在を掴んでいないように見えた。
それが幸不幸どちらに作用するかは判断できない。とりあえず状況が好転することはなさそうだった。
頭を抱え込んで『これからどうしたものか』と誠が思い悩んでいると、すっくとサキが立ち上がった。
「サキさん?」
「ご飯作る」
「あの、僕、今は食欲が」
「ダメ。食べさせる。だって、お腹が空いてる時ってロクなことを考えないもの」
「それは……そうかも?」
暖かくて美味しいご飯を食べて、十分に休息をとる。
コンディションを整えてからの方がいいアイデアが浮かぶかもしれない。
少なくとも今のままよりはずっとマシな気がする。
「ありがとう。昼ごはん、お願いしていい?」
「任せなさい!」
謎のガッツボーズを決めたサキがキッチンに向かう。
彼女が傍にいてくれてよかった。心からそう思う。
クリスマスイブの夜にサキと出会わなければ、そもそも自殺していたのではという話は置いといて。
仮に死を選ばずにひとりで学校に行ったとしても、あらぬ噂で糾弾されて……そこまで想像して身震いした。
そんな未来は来ない。なぜならサキがいてくれるから。ただそれだけで誠は救われるのだ。
弾ける油の音と鼻をくすぐる香りに腹が鳴った。




