第21話 渦巻く悪意 前編
ようやく始まる3学期!
みなさま、今日もよろしくお願いします。
「……」
透き通るような輝きを宿す紫の瞳に真正面から捉えられると、誠の脚は縫い付けられたように動かなくなってしまう。
今日は3学期の初日、場所は誠の部屋の玄関口。時間は朝の7時半。つまりこれから学校である。そろそろ家を出ないと間に合わない。
そんな誠の前に立ちはだかるのは、桃色髪の少女サキ。
クリスマスイブの夜に出会って今日まで共に暮らしてきた彼女の正体はサキュバスというえっちな悪魔。
そんな彼女は今、あの夜と同じ胸と腰だけを覆ったラバー製のサキュバス服の上からエプロンを身に付けていた。
角度的に裸エプロンに見えてしまって目のやり場に困る。眼福すぎて困る。
「サキさん、僕、もう学校に行かないと」
「わかってるけど……」
制服の襟を直したり髪を触ったりと細かいところに手を入れつつ、そんなことを言う。
昨日は『学校行け』と喝を入れてくれたのに、今日になって途端に不安になったようだ。
コロコロ意見が変わるなぁと心の中で呆れながらも、自分に向けられる思いの深さに胸が暖かくなる。
「そんな顔しなくても大丈夫だって」
「そ、そうよね。大丈夫よね」
などと自分に言い聞かせるような口ぶりをされると抱きしめたくなってしまう。
しかし我慢だ。ここで歯止めが効かなくなったら、学校どころかベッドに直行コースである。
お互いにわかっているからこその膠着状態であった。
「それじゃ、行ってくるね」
「あ、誠」
「何?」
振り向いた誠の頬に柔らかな感触。
そして頬を真っ赤に染めた桃色髪の少女。
至近で咲く精一杯の笑顔が眩しすぎる。
「行ってらっしゃい」
久し振りに聞く言葉に背中を押されて、ようやく誠は家を後にした。
★
3学期の学校。誠のクラスは1年6組。
約2週間ぶりに足を踏み入れた教室の空気は、どこかおかしかった。
大して珍しくもない学校のごくありふれた教室、すっかり見慣れたはずの光景に違和感を覚える。
「おはよう」
「……」
「えっと……」
挨拶しても返事がない。いつもなら『おはよう』と返ってくるはずなのだけれど。
それが普通の朝の風景。でも、今日は何かが違う。奇妙な圧力で息苦しい。
自分に向けられる粘着質な視線からは――確かな悪意を感じた。
――なんだ?
コソコソヒソヒソと交わされるクラスメートの内緒話は誠の耳には届かず、しかし見せつけるかのよう。
明らかに距離を置かれていることは理解できるものの……正直なところ何がどうなっているのやら。
あんなことになった香澄と微妙な空気になることは予想できていたが、これはいったい?
自分の席に腰を下ろしても、どうにも落ち着けない。首を巡らせると誰もが視線を逸らしてくる。
どうやら彼らが理由を教えてくれることはなさそうだ。そこまではわかった。わかってもどうにもならないのだが。
「よ、マコちゃん」
「その呼び方はやめてくれ」
戸惑っていたところにかけられた耳慣れた声に、表向きはイラっとしつつも内心でホッとする。
声のした方に向き直ると、誠と同じ制服を着た男子がひとり。
スラリと背は高く、無駄な肉はついていない理想的な体型。
明るめに色を抜いた髪は丁寧にセットされていて、顔立ちは完璧に整っている。
……にもかかわらず、ちょっとだらしない笑みを浮かべているのが実に残念。
好意的に表現するなら『飄々として捉えどころのない男』と言えなくもない。
この男子生徒、名前を『大垣 唯人』という。
『香澄の彼氏だから』という理由がなければ誠と積極的に関わろうとしない者ばかりの1年6組の中で、自分の意思で話しかけてくれる希少で貴重な友人だ。
そんな唯人の顔に浮かんでいるのは、いつもと同じ軽薄な笑み……だけではなかった。僅かばかりの気遣いらしきものが込められているように見受けられる。
「いや~心配してたんだが、それほどでもねーな。俺が気にしすぎてただけかねぇ?」
しげしげと誠を見つめながらおかしなことを口走る。
耳にするだけで嫌な予感がするような言い回しだ。
「心配って何のことだよ?」
思わせぶりにそんな風に語られると、常日頃は揉め事を避けようと息を潜めがちな誠も苛立ちを隠せない。
棘を隠しきれない声で尋ねつつ、裏で『みんなに嫌われるようなことって何かあったっけ?』と思考を巡らせる。
誠に関わるここ最近のイベントと言えば、思い当たるのは香澄に浮気された件だが……あれは誰にも話していない。
2学期は12月23日で終業だったし、冬休みの間はそもそも知り合いと顔を合わせることもなかった。
……などとつらつら考えている誠の様子を窺っていた唯人が『しまった』と言いたげな顔をするものだから、これは余計に尋ねざるを得なくなる。
「唯人?」
怪訝な瞳で見上げると、唯人は首をかしげながら口を開いた。
まるで意外な珍獣でも発見したような、奇妙な眼差しを向けてくる。
「誠、お前ラインは見てないのか?」
「ライン? ……そう言えば見てないな」
唯人に問われて、ようやく『そう言えばそんなものもあったな』と思い出した。
ラインは今や日本人の必須アプリとも言われているSNSだ。
通話やメッセージ機能のほか動画やチャットなど用途は多岐にわたる。
誠のスマートフォンにもインストールされているし、1年6組には専用のグループチャットが存在する。
にもかかわらず、誠が3学期を迎えたにもかかわらずログに目を通そうとしなかったのは……これまた香澄が原因である。
容姿に優れる彼女は1年6組の中心人物であり、SNS上でも発言力が強い。しかも監視してるんじゃないかというほど出現頻度が高いのだ。
迂闊にグループチャットを開けば香澄のメッセージを目にする可能性が高いし、そうするとあの日のことが思い出されてしまう。
だからこそ誠は冬休みの間ずっとラインを封印していたのだ。不快になるとわかっていたから見る気がなくなったとも言う。
2学期末までは高校生必携だとばかり思いこんでいたラインなのに……別に見なくても意外と普通に暮らしていけたので、興味が薄れてしまっていた。
もちろん、そんなことをしている暇があったらサキとイチャイチャしていたかったという理由もある。
「ひょっとして……何かあるの?」
ポケットから取り出したスマートフォンを手で弄りながら尋ねる。
誠の視線の先で、唯人は何とも言いにくそうな様子を見せている。
……それでも最後には『まぁ、しゃーねーか』と首の後ろあたりを押さえながら答えてくれた。
「見ね~のもひとつの手だとは思う。でも、何があったのか知りたいのなら見るのが手っ取り早い」
見るのなら覚悟しとけよ。
不安を誘うようなことを付け足してくる唯人の顔は、いつになく真剣なもので。
唯人とは高校に入ってからの付き合いだが、そんなガチ顔を見るのは初めてだった。
――何なんだ、いったい?
怖い。『見ないのもひとつの手』という言葉に心が揺れた。
しかし、日頃は軽薄なイメージが先行する唯人がマジ顔するほどの『何か』があるのは間違いない。
誠を取り巻く異常な雰囲気を理解するための情報が、すぐ手に届くところにあるのだ。
ならば……見ないというわけには行かない。この状況を放置しておくわけにもいかない。
いつになれば解決するのか見通しが立たないとなれば、なおさらだ。
ゴクリと唾を飲み込む。震える指先でスマートフォンのディスプレイをタッチしアプリを立ち上げ、そして――
「……」
表示される文字の羅列に目を通していく。
次々とメッセージが書き連ねられている。更新速度が早すぎて、普通に見ても追いつかない。
いつもは割とどうでもいいことで盛り上がってるチャットの様子が、まるで異なっている。
「なんだ、コレ……」
零れた声は掠れていた。
スマートフォンから垣間見える世界、そこには悪意が渦巻いていた。
他の拙作でもSNSがどうとか書いてはいるんですが、ぶっちゃけ描写は適当です。
生暖かい眼で見守っていただければ幸いです。




