第四話「キャットファイト」(挿絵あり)
キャットファイト〔catfight〕
意味は女性同士の取っ組み合いの喧嘩、または女性同士の格闘を見せる興行など。
体育館の裏は静かだった。
木徳直人は黒川美月と待ち合わせた校舎の裏手を思い出していた。
頭によぎる数か月前の映像。今では悠久の彼方の記憶に思える。
彼は思い返すのをやめ中空に視点を固定した。
視界内に赤い眼鏡が入ってくる。
「直人くん」
黒川ミズチだった。
直人が口を開く。
「レイはまだ来てない」
彼女は頷くと、黙って側に立った。
そのまま二人で待っている。
本格的にボディガードみたいだなと彼は思った。思わなくても実態は初期からそうだった。
少しすると葛葉レイが歩いて来るのが見えた。
相変わらずスラリとした高身長。スタイルの良さが窺える。
揺れるウルフカットも今では似合っていた。
指のタトゥも見えてくる。
レイを眺めて直人は思った。その気になればあの身体を自分の物にもできる。乱暴に扱う事も――
性的興奮があって感じたはずだが、なぜかすぐに消え失せる。
不可解だった。
そもそも二人の女が自分を巡って争っている。今までなかった、あり得ない事が起きている。
なのに感慨もない。
冷静な自分が不自然に感じた。どこか麻痺しているのか。
だがその疑問もすぐ白紙となった。
「お待たせ」
レイが二人に声をかけた。デートの様に。
ミズチがレイへ視線を投げる。
レイもミズチへ目線を向けた。
言葉を発しない二人の導火線。
その空気を察した彼が、この場所を選んだ理由を振り返る。
――待ち合わせだけなら美月と待ち合わせたあそこでいい。けど闘争には向かない。
ここには体育館がある。館内は静かだ。使う部活もない。
直人が口を開く。
「ここじゃなんだから入ろう」
まるでホテルに誘う口調だった。
レイがすぐに反応する。
「入るって体育館? けど鍵が」
「問題ないよ。僕が鍵を開けられる」
勿論鍵など持っていない。
彼は二人を連れて扉の前に立った。
施錠されている。レイがいてはミズチの使い魔も出ない。
だが直人には奥の手がある。試してもみたかった。
ミズチの使い魔の様な念動――
意思と共に指先を扉の表面へ当てる。
ガチャリ、と音がした。
やはり上手くいったと確信を得る。
背後からも感嘆の声があがった。
「さっすが直人」
反してミズチは黙ったままだ。
三人が体育館に入ってから、彼は再び施錠をした。
――これで邪魔は入らない。
館内に充満する重い空気を吸い込む。
直人は壁にもたれかかっていた。アジトで観察していた際と同じ。
女二人との立ち位置を繋ぐと三角の形になっていた。
レイは腕を組んで彼とミズチを交互に確認している。
ミズチは視線を外して床を見つめていた。
壁際のレフリーが開口する。
「それで、レイとミズチ、何か話したい事は?」
「ウチはない。ミズちゃんとはあの時の続きがしたいだけ。時間の無駄だよ」
「あたしは……」
「何よミズちゃん」
ミズチは答えなかった。
「僕はここで観てる。異存もないから好きにすればいい」
直人は観戦を決め込んでいた。
ミズチと目が合う。
彼が目配せをする。
昨日の時点で打ち合わせはしてあった。
『僕に考えがある。作戦と言ってもいい』
『どんな作戦?』
『ミズチにはとにかくレイの注意を引き付けてほしい。それからアサメイを僕に預けるんだ。詳細は言えない』
『……分かった。ミズチは直人くんを信じる』
計画通りアサメイは直人が持っていた。ミズチのエネルギーが抜けて今は重みも感じる。
レイが拳を打ち合わせる構えをとった。
ミズチは無手で敵と相対している。
彼は愉快な気分だった。
レイの方を見る。目が合った。
『直人はどっちの味方なの!?』
『僕はどっちの味方もしない。手出しもしないよ』
『それなら……まだいいけど』
『だけど、レイが勝ったら結婚してもいい』
『ほんとにっ?』
『ああ、神に誓って』
直人は可笑しくて堪らなかった。『ウチが絶対勝つから』と言ったレイの真顔。
思い出すと大笑いしたくなる。なんという幼稚な話だろうと叫びたい気分。
まず高校生が結婚だとかバカバカしい。まるでおままごとの世界だと彼は考えていた。
こんな状況で将来を決めるはずもない。常軌を逸している。
なのに結婚だとか現実的な話を引き合いに出す自分も滑稽だった。
直人が腹の底で笑っていた頃、女の喧嘩という名の闘争は既に始まっていた。
レイがHATEの右拳を振るう。
ミズチはかわしながら蹴りで応戦する。
LOVEの左手は蹴りへの防御に使われていた。
彼が知るミズチの格闘戦は蹴り主体の印象が強い。レイはパンチのみ。
さながらキックボクサーとボクサーの異種試合にも見える。
考えがあった直人には確かめなければいけない事もあった。
既に半分は確認してある。
レイのLOVEの能力、その有効範囲。
ミズチに対しては完全に封殺している。
では他方に対してはどうかと考えていた。
「いくぞ……」
先程と同じく念動の気配を感じた。
ミズチの使い魔の様には消えていない。
もしセノバイトが魔術でLOVEの有効範囲に入っているなら、気配は消えるはずだった。
では考えられる可能性――
LOVEの有効範囲自体が狭い。
又はセノバイトが使い魔と似た性能を持つ能力の一種。魔術ではない。
解錠した時にはレイへの害意が伴っていなかった。それならこれで、
「正体を見せろ」
レイを標的にしてセノバイトを放つ。
――全て分かる。
瞬時に部室での出来事が頭によぎる。
レイの胸を掴み、潰してやると思考した。
爆発的に性感が増大する。
同時に神殿のイメージも蘇った。
――ミズチじゃない。レイを。
あそこへ、レイを。
レイの、裸体を。
山みたいに、積み上げて、
やる――
セノバイトの気配が触手の様にレイへ伸びていくのを知覚した。
この能力はまだ消えない。
まだ――
レイの服へ触れようとする寸前、力が萎縮した。
退行していくかの様な感覚。
そのまま念も霧散した。
彼は瞬きして、考えながら手首も回した。
有効範囲としては至近距離。
ミズチの力が消されている距離感と計算が合わない。
――この感じ、覚えがあるのか。あの、光輝の退行に。
レイの能力で消えたのではない。別の因果関係で萎縮したのだと直人は結論づけた。
だとしたら有効範囲の答えは出た。
むしろ他には考えられない。
――今のLOVEは、ミズチにしか働いていない。
有効範囲の対象はレイ自身とミズチのみ、又はレイを含めた二人に有効。
それとも、向きの方向性がある能力。
答えが見えてきた。攻略出来る――
ふと、全く別の疑問が降って湧いた。
――ミズチはなぜ、過去の戦闘で使い魔を使わなかった?
先程のセノバイトの目論見と同じく、念力で直接攻撃すればいい。
なのにしなかった。ここに違和感がある。
そうでなくても鉛筆の要領でいい。ナイフを念動で操って攻撃するという発想だってある。
彼は考えあぐねていた。何かがすっぽりと抜けている感覚はあった。
思い返せば――ミズチは直人を運ぶ際に念力を使い、彼もミズチを治療する際には念力を使っていた。
誰かに対して使う場面は確かにあった。
直人は考える。
――なのに、なぜ敵に対しては。
何が違う? どこが違うん――
思考がぶつんと途切れた。
彼の推理などお構い無しに女二人が無様に争っていたから。
両者の息はあがり、格闘から取っ組み合いへと形を変えていた。
制服や髪の引っ張り合い、相手を押す、投げようとする、体を引き倒す。
そんな女子同士の、初めて目撃する生々しい光景。
「キャットファイトか」
直人は苦笑した。
「そろそろ終盤戦だ」
口角を上げながらアサメイを取り出す。
そして振り上げて、
床に突き立てた。
「これからレイを、分解する」




