第二話「憎悪と愛情」(挿絵あり)
物語を終えた木徳直人は黒川ミズチの両肩から手を下ろした。
人差し指を彼女の柔らかな唇に当てて告げる。
「何も言わなくていい」
目を見ながら指を下ろした。
「ミズチは黙って僕の話を聞いてくれればいい。耳に入りさえすればそれでいいんだ」
「うん」
ミズチが真っ直ぐな瞳で見つめ返してくる。
「僕の目の前にいるミズチには、一番の読者でいてほしい。いてくれると信じてる」
「ミズチは、直人くんの一番の読者だよ」
復唱した彼女の顔はやや上気していた。
格闘の余韻によるものか、話を聞いた影響か、私情からか。他の理由かは定かではない。
彼の方は単純に怪我の発熱だろうと考えた。
「そういえば、レイにやられた箇所は?」
「少し痛む」
少しではないだろうと直人は思った。
「なら僕が手を貸そう。出してくれ」
――痛々しさを見せられるのも鬱陶しい。
「左腕を」
ミズチが黙って差し出す。
彼は自分の右手を彼女の左腕に、左手を交差させ骨折がある右脇腹に添えた。
「念じるんだ。重なる様に強く」
ミズチが目を瞑る。
直人も深呼吸した。
あの時と同じ。汗は出ない。身体も冷えていく。
使い魔の存在も感じた。
彼女が目と口を開ける。
「感じる。もう治った。凄い」
「思ったより早く直せた」
彼はミズチ向けの笑顔を見せた。
上辺だけで見せかけの、薄っぺらい表情だと自分で思った。
「今はあたしの使い魔も出て滞留してる。レイがいる時には出なかった。どうして、」
「それはレイが三人目の能力者だから」
聞いた彼女は目を丸くして時間が止まった表情になる。
――動物には説明してやらないと分からない。
「ミズチ、いや、美月は黒川組だけの世界にいる。中流以下を見ていないからだ。気づかなかったんだろ? 僕は暫くレイを見てた。話もした」
ミズチは真摯な顔つきになって耳を傾けている。
「僕が最後に会った時、レイの様子は明らかにおかしかった。それより前、髪を切ったり、僕に話しかけてきた時も。僕が知る彼女とは違うと感じた。それから、」
息を吐く。
「あのタトゥ。最後に会った時、タトゥなんて無かった。ただのタトゥじゃないからだ。あれが特殊な能力に関わってる。
躬冠司郎の時は“弓”。霧争和輝は“剣”。重要なそれらと同列。少なくとも僕はそう推測する」
「だけど、膜はなかった」
彼女の疑問は最もだった。
「確かに躬冠や霧争は膜があった。けどそれも、ミズチの魔術が消えた現象で説明がつく」
「どういう?」
「魔術を消す能力なんだ。死の魔術だけじゃない。レイ自身の膜も能力で消えるとしたら。
それとも最初からなかったか。何にせよあの時のレイに膜はなくミズチの魔術も通用しない」
「だけどレイは凄い腕力だった。あれは何?」
「仮定として。魔術は消えるが能力は消えないとする。ミズチも言ってた。エネルギーは覚醒に使われたと。
そこで魔術との関係は途切れてるんだ。備わった能力の性質は魔術の範疇じゃない」
「そうか。だったら魔術眼も」
「十中八九、ミズチと僕の魔眼は彼らの能力と同じ。触発された副次物なんだ。他に気づいた事は?」
「あの力。ウォーマシン――霧争の言う“ラプラスの眼”も使えなかった」
「その力って?」
「ごめん。直人くんにはまだ話してなかったね」
ミズチは霧争和輝にとどめを刺した力の経緯と現象を説明した。
「――そうか。僕の推測は少し違った。消える能力と消えない能力」
直人は再び思考を回転させた。コマが何かの力で回される様に。だが自身は気づかない。
――LOVEのタトゥか。
「そう、タトゥだ。今までの二人も象徴に関する複数の能力を持ってた」
「象徴?」
彼女が不思議そうな顔をする。
無知の顔だと思った。
「弓、剣、そしてレイは多分、“天秤”」
「どうして天秤?」
「神経質そうに『バランス』と言ってたんだ。両手のタトゥが象徴だとしたら。均衡を保つ、愛情と、」
「憎悪……」
「ああ、力の重しを相殺してバランスを取ってるんだ。ミズチを殴ったのも右手だけ。不自然だと思わないか? だから多分、右拳の憎悪が力の証。なら、左拳の愛情が力を失わせる」
ミズチはまだ合点がいかない表情だった。
――まだ分からない?
苛立った彼の語調が強くなる。
「殺意や悪意、いや害意か。とにかく能力の中でも負の感情を帯びた力は消えるんだ。それでラプラスも通じない」
「ならレイの右手、憎悪の能力は?」
直人は気分が落ちていくのを感じた。
傍観者の様な口振りで話す。
「あれでもレイは、ミズチの事がまだ好きなんだよ」
言葉を聞いた彼女の顔は衝撃を表していた。
好きな有名人が死んだ時は皆こんな顔をするんじゃないだろうか、と彼は可笑しかった。
ミズチが呟く。
「ミズチには分からない……。だけど直人くんが言うならそうなんだと思う」
――バカな女だ。
「あれは彼女なりの愛情表現なんだ。本人も苦しんだんだろう」
――下らない。
「けど直人くん、象徴って?」
「よく聞くんだ。象徴は『ヨハネの黙示録』の中に全てある」
直人は『ミズチ』を図書室で調べた際、あの『レヴィアタン』の後で関連したヨハネの黙示録も眺めていた。
記憶の中にあった情報と先程見た情報が合致する作業、記憶と事実の連鎖には快感さえある。
「――黙示録には四騎士の存在が記されてる。
第一の騎士は弓と冠を持つ。
第二の騎士は大きな剣。
第三の騎士は天秤なんだ」
彼女は黙って考え込んでいた。
他に『創世記の蛇が進化すると、黙示録で竜が現れる』もあったが、お構いなしに話し続ける。都合が良い情報だけを。
「合致する、予兆みたいに。正に予言かもしれない。だからレイの能力にも気づけた。
それから最後の四人目も、どんな相手と能力なのかヒントになる」
心中は笑っていた。
単なる頭脳ゲーム。
彼がレイに直接聞けば能力程度はすぐ把握できると踏んでいた。
――けどそれだと面白くない。
黙って考えているミズチへ直人が投げかける。
「僕の秘密を教える。全て」
全てという嘘。
しかし彼女の瞳孔は開いた。
*
直人から聞いた悪夢の全てと、セノバイトや鎖。
眠らないミズチには悪夢は理解し難い状況だった。
けれど自分が登場した場面を聞いた時、彼女は性的興奮を覚えた。
同時に対面の彼に悟られてはいけないと欲情を隠す。
ミズチは嬉しくもあった。
直人の頭の中に自分という存在があるのだと確認できたからだ。
それでもなぜ自身が嬉しく感じるのかは理解していない。
「直人くん、ありがとう。一番は全部話してくれた事が嬉しい。話してなかったけど、ミズチは普段は眠らないんだよ。だからね、夢の事は余り知らない」
「この前は眠ってた」
「あれは初めてなの。自分でも不思議」
初めて見た夢の記憶がよぎる。彼には教えたくないその中身。
「そうか。ならセノバイトと鎖はどう考える?」
「多分別世界に関係してる、と思う。セノバイトの話はあたしの前世の記憶と重なる箇所があるから」
彼女は右手で左耳の髪を掻き上げて、それから続けた。
「鎖は、霧争と戦った時に見た。いえ、見えてはいない。アイツの動きが停止してるのを見た。時間が止まったみたいに」
「僕もあれが実体の鎖だとは感じない。霧争は超高速で動いていた。なのに鎖は捕らえた。関係ないんだ。あの鎖はきっと、時間を止める――」
直人が眉をひそめ苦しそうな顔をした。それからすぐとても冷たい顔つきになった。
見ていた彼女は胸が締めつけられて悲しみも去来したが、なぜ感じたのかは分からなかった。
「――僕はあれから、ずっと音楽が聴こえるんだ」
『ヨハネの黙示録』の「騎士」はナイトではなく「ホースメン(馬に乗る者)」で本作も準拠してます。




