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木徳直人はミズチを殺す(完結作)  作者: 鈴本 案
第六章『祈りの王女と幻想の騎士』
38/51

第一話「ワンルームの私闘」(挿絵あり)







 黒川ミズチの心中で殺意が溢れそうになる。溢れそうな水を彼女は必死で()き止めていた。

 奥歯と奥歯を強く噛み締める。

 赤い眼鏡のミズチは、短髪の葛葉レイと対峙していた。室内で見据えている。


挿絵(By みてみん)


 ファイティングポーズをとったレイから闘志が伝わってくる。

 本気でやるつもりなのか? とミズチは戸惑っていた。しかもアジトで。

 ただの殴り合いならレイにも分があるかもしれない。だがそれには応じられなかった。

 何より彼女は一度湧き出た殺意を止められない。敵意を向けてくる相手なら尚更――


 ミズチはレイとは上手くやれているつもりだった。

 どうしてこんな事態になってしまったのかと彼女は思い返す。

 最大の原因は、直人だ。

 彼を軸にして関係に亀裂が生じた。直人へのレイの情念も強い。

 自分はといえば、やはり分からなかった。


 レイと自分の二つの感情、ミズチはどちらも引っかかっていた。

 レイはこうも激情をぶつけるタイプではなかったし、自身も未知の混乱に陥っていた。

 彼への気持ちを把握しようとすると、動悸や息切れ、震えが激しくなる。

 頭の中もハッキリしない。まるで酩酊(めいてい)にも似ていた。


 彼女は迷いを断ち切って頭を振る。

 その挙動に連動してレイが踏み込んだ。

 迫撃をミズチが認識した瞬間、内で殺意が爆発する。

 最早反射の領域。

 焦点が絞られるかの如く()()()()()がレイに向かって集中する。


 現象が具現化――

 ――した直後だった。

 瞬く間に掻き消える。


 あり得ない状況が起きたが、彼女はレイが右腕でパンチを繰り出すのも見ていた。

 右拳が顔に向かって迫ってくる。


 その拳に――

 何か――


 ギリギリでパンチを避ける。

 音が頬をかすめ、微かに触れた髪が散る。


 ――なぜ。


 ミズチの頬に薄い擦り傷が生じた。

 髪もほんの少しちぎれて落ちる。

 女子の突きとは思えない、剛腕のコーク()()()()()・ブロー。

 剃刀(カミソリ)に似た威力。


 ――なんで魔術が消えたの。


 回避だけではなく、彼女は優れた動体視力でレイの拳にある何かを捉えていた。

 指のそれぞれに、

 黒い文字で、


 小指にH――


 薬指にA――


 中指にT――


 人差し指にE――


 アルファベット。

 ミズチの頭の中で文字が繋がる。


HATE(ヘイト)


 レイが拳を引く。

 動作と共に唇が息を吸ったのも見えた。


挿絵(By みてみん)


 ――タトゥか。


 いつの間にそんなものをと彼女は(のん)気に思った。夏休みの間だろうか――

 レイの唇から呼気。

 弓の様に引いた剛腕からコークスクリュー・ブローが飛んで来る。

 再び目撃する『HATE』の拳。

 反射的に殺意がみなぎり放出する。

 火花が散る様に、やはり掻き消えた。

 目の前に迫るHATE。

 かわしきれない。

 ミズチはとっさに両腕を十字にして防いだ。

 レイの右拳が防御した腕に当たり、ゴッという鈍い音がする。

 その時、彼女はすっかり抜け落ちていた事実に気づいた。


 ――膜が、()()


 本来なら膜の自動意思で既に防御が展開されているはずだった。

 けれど使い魔の気配も感じない。

 魔眼で見ても自分の身体に膜は見当たらない。

 それから程なくミズチは腕の骨が折れた事にやっと気づいた。

 左手がだらりと下がる。

 レイはまた拳を引き、ファイティングポーズのままだ。


「どうミズちゃん、ウチも大したもんでしょ?」


 へらへらとレイが笑う。


「レイ、どういう事なの」

「何がァ?」

「普通じゃない。その腕力も。何より――」


 彼女は魔眼でレイを眺めた。


「――ミズチの魔術が消える。使い魔も出ない。直人くんのあの時とも違う」

「……さぁ? 色ボケの影響とか」


 嘲笑うレイも膜を帯びていない。

 予想が外れる。


「どういう事……。何なの、レイ。どうしてそんな風になった?」

「いちいちヤだなぁ。言う義理なんかないよ。それにどうでもいい、そんなのッ!」


 レイが踏み込む。

 流石にこれ以上やらせる気はなかった。

 右手でアサメイを抜く。

 飛んで来た右拳に対して柄を当てていく。

 一連の動きの流れから腹部へ右足の前蹴り。

 だが感触は浅かった。


「へへへ、ミズちゃんやるな。けど残念」


 レイが左手の側面――鉄槌(てっつい)――で蹴りを受け止めていた。

 お互いが手足を一旦引く。


「ミズちゃんてばそんなナイフ抜いちゃって、ほんとにウチを殺すつもり?」

「違う」

「何が違うのー?」

「レイを殺したくなんかない」


 それはミズチの本心だった。

 本気なら刃の側で突いている。


「大体さぁ、喧嘩にそんな刃物使うなんて卑怯だよ。素手じゃなきゃ“バランス”が取れない」


 その非難を聞いた彼女は違和感を覚えた。

 それなりに色々と話してきて、以前のレイには感じなかった神経質さを感じる。

 何にせよ一時的に叩き伏せて大人しくさせるしかないとミズチは考えた。


 ――魔眼が使えるなら、あの眼の力も使えるはず。先手を取って昏倒させ――


 彼女が眼を切り換える。

 対象はレイ、

 次には未来が見える。


 ――はずだった。


 見えない。

 映像(ビジョン)が浮かばない。


「くッ、」


 ミズチは眼球に痛みを感じた。

 無理に何かを通そうとして折れ曲がる。そんな反動を感じた。


「――どうして!」

「勝手に苦しんでんじゃないよ!」


 四度目の剛腕。

 モーションが見えていた彼女はすかさず頭を下げた。

 しかしレイも動きを合わせて低い姿勢で迫る。


 ――読まれた!


 アッパーカットの軌道を描いた右拳が、


「ミズちゃんッ」


 ミズチの腹部にめり込んだ。


「がハッ」


 呻いた彼女が膝をつく。

 肋骨が数本、激しく砕けたと感じた。


「ごめーん、女の子のお腹殴っちゃって」


 姿勢を戻したレイがミズチを見下ろす。

 暫く呼吸が乱れて声も出せない。


「けど顔を殴られるよりはいいでしょ?」


 言葉とは反対にレイは上からパンチを振り下ろそうとする。

 刹那。

 レイが何者かの視線に気づく――そんな素振りを見せた。

 振り返るレイ。

 視線の先。


 そこには()()()()が立っていた。


 腕を組み、壁にもたれている。


「直人!」


 破顔したレイから歓喜の様な声があがる。


「直人ぉ、来たなら言ってよー。気づかなかったぁ」


 気配もなく音もなかった。いつの間にか彼が見ていた事実に、何の疑問も湧かない様子。


「邪魔しちゃ悪いと思ってね」


 直人が苦笑しながら言った。

 続けて聞く。


「それで、もう終わった?」

「まだ終わってないよぉ。これからだし」

「そうか。だけど僕はミズチに用があるんだ」


 レイは黙った。眉をひそめて彼を見つめる。

 その表情を見た直人が(さと)す口調で告げる。


「言わなくても分かるよね。この前と同じ。今日は席を外してほしいんだよ」


 最後の節は威圧感さえあった。


「……分かった」


 気分が入れ換わった様にレイはニコッと笑う。


「じゃあウチはまた今度にするね。ミズちゃん、続きはまた必ずね」


 レイは苦しげな彼女へ一方的に別れを述べた。

 低い姿勢のミズチはレイと直人の両者を交互に目で追う。


「ありがとう。分かってくれて僕も嬉しいよ」


 直人が自然と歩き出す。

 部屋から去ろうとするレイとすれ違う。

 その時の彼は、レイの左手を目で素早く追っていた。

 前後に揺れる手。

 伸ばされた指。

 その指の皮膚に、

 黒い文字で、


 人差し指にL――


 中指にO――


 薬指にV――


 小指にE――


 直人は「クククッ」と静かに笑った。

 ドアが開いて閉まる音がする。

 それ以上は何も言わず、傷ついた彼女を見下ろす。


「さあ、立てよ、ミズチ。新作が出来たんだ」


 捲し立てる様に彼が続ける。


「聞きたいだろ? 僕も聞かせたいんだよ。さあ、早く」

「うん……」


 頷いたミズチがよろっと立ち上がる。


「それでいい」


 直人は両手を彼女の両肩に置いた。

 新作掌編の内容を意気揚々と語り始める。

 情熱的に、ミズチの目の前で。

 二人はじっと、見つめ合いながら。




『HATE』は「憎悪」などの意味があります。

『コークスクリュー・ブロー』は通常より手首や腕を捻って威力を増す技術、又は技術を用いたパンチの事です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ★恋のライバルにも情を抱くミズチちゃんが健気すぎました ★ただ事ではない状況なのに、レイを軽くあしらう直人くんは超クール [気になる点] ☆後書きメッセージのHATEの意味をわざわざ書い…
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