第二の封印「時計仕掛けのアンブレラ」(挿絵あり)
前作「エルの終末」の続編。単体でも読めます。
黄昏時、ホテルの前に少女が立っていた。
エルという名の彼女は、その巨大な建物が昔どんな役割を担っていたかはまだ知らない。
何も知らない少女はふらふらと建物の中へ吸い込まれていった。
常人なら部屋を虱潰しに覗きはしない。
だが彼女には時間と欲求が腐る程あった。
ドアのノブを回す。
開けば入る。
開かない扉もあった。
部屋の内装は代わり映えしない。反面、人が使った形跡という個性がある。
例え内装の違いや室内が荒らされていても、エルにはどうでもいい事。
彼女の紅い瞳は、飢えを満たす物の為だけに揺らぐ。
616と刻まれたプレートの部屋。その前でエルは興味を惹かれた。
部屋番号を指でなぞってドアを開く。
時刻は深夜を回っていて、灯りがつかない室内は暗い。
紅い眼には暗視機能もあった。自動的にオンとなる。
彼女は視界の状況など気にとめない。ただ見渡す。
部屋は少し荒れていたが他より比較的綺麗だった。
程なくエルは見つける。
赤い傘を。
閉じられたその傘は床に落ちていた。
彼女の視線が注がれる。
白い手も物体を求めた。
か細い指が傘の手元を握る。
瞬間、頭頂から足先まで電気が駆け抜けた。
血液が痺れる感覚。
彼女が待ちわびた感応。
――女は男を待っていた。
結婚記念日にホテルで甘い一時を過ごす、愛しの約束をしていた。
二人には小さな娘もいた。
赤い服を着た幼女は母親に構ってもらえず一人で遊んでいる。
妻はいつにも増して苛ついていた。仕事終わりで駆けつける予定の夫がまだ現れなかったから。
中年になっても本質は捨てられない。妻よりも先に女、母親になっても永遠に女だった。
そんな彼女が電話を受けている時、娘は幼心に不安を感じていた。
何かの言い合い。
怒鳴る声。
女の顔をした母親が電話を切る。
電話を壁に投げつける。
娘は恐怖を感じたが、顔には出さなかった。
次に何が起こるかも知っている。
女は酷く苛つくといつも手をあげた。
過剰な殴打。
鮮血が赤い服へ飛ぶ。
赤色は母娘でお気に入りの色だった。
存分に殴って気が晴れると、彼女が部屋を出て行く。
「アンタなんか産まなきゃよかった」
心を引き裂く声。
女の姿はもうない。
娘はそれでも泣かなかった。
慣れてはいたが立ち上がり、円を描く様に歩き回る。
すると何かを思い立ち、玄関へ向かった。
赤い傘を見つけて戻ってくる。
持ったまま、また円を描く様に歩き回る。
幼女は血の色が目立たない赤い傘もお気に入りだった。
傘を開く。
お花が開いたみたいと彼女は感じた。
嬉しくなって傘をさしたまま歩く。
ぐるぐる歩く。
疲れ果てるまで、ずっと――
エルの紅い瞳に赤い傘が映り込む。
過去を覗く映像が終わった。
時期的には直後に大戦が起こっている。周辺の地域もすぐに暴徒で溢れていた。
混沌とした状況。乗り越えられた難民もすぐ機械兵団に一掃される運命だった。
データ上でそう確認できる。覗いた彼女にはどうでもいい事実でもあった。
単に嬉しい気持ちだけが残留して傘を開く。
「お花が開いたみたい」
気狂いのエルが珍しく言葉を発した。
円を描く様に室内をうろうろ歩く。
彼女はこれまた珍しく赤い傘を気に入った。
傘を閉じて一礼をする。
赤い傘を携えて、それから部屋を出た。
エルは廊下の窓から何気なく外を眺めた。
もうすぐ夜が明ける。
赤い馬の幻影も天を駆けた。
また傘をさす。
肩にかけて時計回りにくるくる回す。
それから彼女は、またスキップをした。
了
*
歪んだ角が第二の封印を開封した。
赤の乗り手が現れる。
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