第66話
毎日があっという間に過ぎるようで、でも、長い一週間。
桜子や蓮、他の友達が毎日のように遅くまで付き合ってくれた。だから、家族と離れて一人暮らしを始めた時のように、最初は元気でいられた。
でも、徐々に現実が身にしみてくる。
帰っても誰もいない家。一人で食べる朝食。
ラウルが来る前、一度は慣れたはずの生活だった。
でも、少しずつ溢れてくる寂寞の思い。
頭だけでわかっていた別れを、心でも理解し始めていた。
「ただいまー」
誰もいないとわかりながらも、玄関を開けるとそう言ってしまう。
真っ暗でしんとした室内。
私は電気をつけると、部屋で着替える前に食卓の上に買ってきたお弁当を置いた。
週末の今日は桜子はバイト。蓮は塾。
他の友達に合コンに誘われたが、今は行く気になどなれなかった。
ラウルが帰ってから、はじめて一人で食べる夕飯。
料理は好きだが、自分だけのために作るのは少しめんどくさい。だから、おいしそうなお弁当を買って帰ってきたのだ。
部屋着に着替え、お湯を沸かしてインスタントのスープを作り、テレビを見ながらお弁当を食べ始める。
いつもなら笑えるバラエティー番組。美味しいと思えるお弁当。
でも……。
「美味しく……ないな」
思わずポツリと言葉が漏れた。
失敗した料理だって、ラウルがいた時は楽しく美味しく食事が出来た。今はどんな料理を口にしても、一人では味気ない。
それでも、食べないわけにはいかなかった。
周囲に心配をかけたくないし、たぶん頑張っているだろうラウルにも示しがつかない。
一人でも大丈夫だと、皆に見せなきゃいけない。
そのうち、一人の生活にもまた慣れる。
だから、それまでの間頑張らなくちゃいけない。
そう思って、お弁当もスープも全部たいらげた。
食事の片づけをして、お気に入りの紅茶をいれ、ソファに座る。
それから、横においてあったクッションをぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫、寂しくなんか、ない」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、ラウルのくれたヘアピンを手に取ってそっと触れた。
会えなくなっても、思い出が消えるわけじゃない。
目を閉じれば、ラウルの色んな表情は色鮮やかに思い出せる。
声も聞こえてきそうなくらいに……。
「あ……」
じっと見つめていたヘアピンの光が徐々に消え始め、私は思わず声を漏らした。
ただの針金を編んだヘアピンは、別れの前にかけなおしてくれたラウルの魔法でキラキラと輝いていた。
その輝きが今、消えてしまった。
それは、ラウルの魔法が解けたということ。
誰かにラウルはもういないんだと言われた気がした。
「このタイミングで消えなくても……」
思わず苦笑いを浮かべる。
表面張力でぎりぎりこぼれないくらいいっぱいに器に水が注がれたように、心の中の寂しさが溢れていた。
あと一滴でも水滴が落ちたら一気に流れ落ちそうな、そんな感覚。
その前に、なんとかたまった寂しさを発散しなければならない。
「よっしゃ、ゲームでもしよ! って、独り言言ってる時点で危ないって!!」
すっくと立ち上がりながら、自分自身につっこむ。
虚しいとちょっぴり思うが、それは気にしない方向でゲーム機をセットする。
余計なことを考えなくてよさそうなゲームを選び、しばしの間それに集中した。
時間は着実に過ぎていく。
だけど、心の中は何も変わらなかった。
そして、そろそろやめてゆっくりお風呂にでも入ったほうがいいかと思ったとき、チャイムがなった。
時計を見たら、もう九時過ぎ。
誰だろうと首をかしげながら、インターフォンにでる。
「はい……」
『おっす、ひまわり。俺だけど』
「蓮?」
返ってきた明るい声に、私は驚きの声をあげた。
こんな時間に、用も無くくるようなタイプではない。むしろ、女の子の一人暮らしなんだから夜遅くに男を上げるな、とか古風な注意をする方だろう。
慌てて玄関の扉を開けにいくと、蓮はにっこりと笑ってそこに立っていた。
「どうしたの、蓮?」
「ん? いや、塾の帰りに友達とUFOキャッチャーやったら、絶好調に取れまくってさ。この時間ならまだ風呂にも入ってないかと思って、ちょっとよらせてもらったんだ」
「?」
蓮が話しながら私に手を出すように合図したので、私は首をかしげながら両手を差し出す。
すると例のハンカチをさっと取り出し、私の手の上に載せる蓮。
ふわっと微笑んで蓮がその上に手をかざしたとたん、次々にハンカチの下からヌイグルミが現れる。
「うわっ……」
大小さまざまなヌイグルミは両手で受け止めきれず、ぽてぽてと床に落ちる始末。蓮は全部出し切った後、くすくす笑いながら落ちたヌイグルミを拾い上げた。
「な、絶好調だろ?」
「いや、取りすぎでしょ」
全部一回で取れたとしても、一体いくらつぎ込んだと思わずにいられないほど、たくさんのヌイグルミ。いくら絶好調でも、やりすぎである。
「面白いようにとれたから、つい」
「って、これ、友達の前で魔法使ってしまってたの?」
「まあな。さすがに全部持って句の大変だから、持ちきれない何個かだけマジックの振りして消して、友達と別れた後に面倒だから全部家に移動させてみた」
「……四次元ポケット?」
「あー、似たようなもんかも」
私のツッコみに、くすっと笑う蓮。
そのいつもと同じ会話に、笑顔に、なんだかホッとした。
「というわけで、調子に乗って取ったはいいけど、俺が持っててもしょうがないからひまわり全部もらってくれない?」
「それはいいけど……」
私が持ちきれなかったヌイグルミを床に並べている蓮を見ながら、ふと気づく。色んなヌイグルミに混じって、ゲームセンターには置いていない私の好きなキャラクターのヌイグルミが混じっている事に。
きっと、わざわざ買ったとわかったら気を使うと思って、ゲームで取ったことにしたのだろう。
「これだけいるとかなり賑やかな感じになっちゃうけどさ、ま、飾っといてやってよ……って、ひまわり!?」
「え?」
蓮の驚きの声とあせった表情で、私は自分が涙を流していることに気づいた。
「ちょ……え……」
「あれ、やだな……」
動揺を隠し切れない蓮に笑顔を浮かべようとするが、うまくいかなかった。
蓮の優しさが最後の一滴となって、私の中の寂しさのコップを溢れさせたのだ。
泣きたくなんかないのに、とめどなく涙が溢れてくる。
「ホコリ……目に、入ったかも」
手がふさがってて涙を拭くことも出来ず、でも、泣き顔も見せられなくてヌイグルミたちに顔を埋める。
そんな私の髪に暖かな手がそっと触れ、優しい声が私を呼んだ。
「ひまわり、平気なふりしなくたっていいよ。寂しくって泣くの、おかしなことじゃないんだからさ」
「……蓮」
「ひまわりもラウルも、ほんっと強がりだからなぁ」
「一緒にしないで」
泣きながら言い返した私に、くすっと小さく笑った蓮の声が耳に入った。
少し顔を上げて蓮を見ると、優しい表情で私を見つめている。
寂しさでいっぱいだった胸の中に、ふわりと温かなものが灯った。
涙と共に、少しずつ流れ出る溜まっていた思い。
それを、蓮の前なら全て流しだせそうな気がした。
「ひまわっ……!?」
「ちょっとだけ……肩かして」
持っていたヌイグルミを床に落として、蓮の肩に顔をとんっとのせ、ぴしっと固まった蓮の服をきゅっと掴む。
外気で冷えたコートが、なんだか心地よかった。
「き……気が済むまで、どうぞ」
一瞬驚きで硬直していた蓮だが、少しするとそう言って、優しく頭を撫でてくれる。
安心できる人が傍にいてくれることは、なんて幸せなことなんだろう。
そう思いながら、私はお言葉に甘えて蓮の肩の上で涙を流し続ける。
「……わかってて……来たんでしょ」
「ん? 何が?」
泣きながら尋ねた私に、とぼけた声を出す蓮。
でも、きっと間違いない。
私が家族と離れた時、しばらくたってからが一番元気がなくなったことを知ってるから、だから今日来てくれた。
一人で堪えてるって知ってたから、気づかない振りして様子を見に来てくれた。
「あり……がと」
「別に、礼を言われることはしてないって」
心地よい、蓮の優しさ。
寂しくて泣きながらも、なんだか嬉しかった。
そんな時だった。
「おや、お邪魔だったかしら?」
「のっわーーーー!!!?」
玄関の扉が僅かに開き桜子のそんな声が聞こえると、大声を上げながら私から飛びのく蓮。
見事なほどに真っ赤になっている。
桜子はそんな蓮を一瞥すると、泣き顔の私に視線を移し、それから微苦笑を浮かべた。
「おやおや、やっぱり限界だったのね」
「……桜子ー!!」
蓮の代わりに私の前まで歩み寄ってきた桜子に、抱きつく私。
桜子もやっぱり、私を心配してきてくれたらしい。
桜子はペットでも撫でるかのように、くしゃくしゃっと私の髪を撫でる。
「まったく、一人で抱え込むなって言ってるのに」
「だってー……」
「はいはい。いいから、すっきりするまで泣いちゃいなさい。蓮のほうがいいなら、代わるし」
「桜子でいいー」
一度素直に泣き始めたら途中で押さえきれず、桜子の腕の中で蓮の時よりもわんわん泣く私。
「やっぱ、桜子と同じ扱いなんだよな……」
蓮の残念そうな小さな呟きがどんな意味なのか理解する余裕もなく、私はしばらく泣き続けたのだった。
2013.12.23 18:36 改稿




