第64話
退屈な時間はとても長く感じるのに、過ぎて欲しくない時間はあっという間に終わる。
今日は、それを実感するような一日だった。
遅く起きたこともあるが、気がつけばもう夜だ。特別なことは何もなく、ただいつものような休日を過ごしただけ。クッキーを作って、夕飯の買い物に行き、一緒にご飯を作って食べて……。
「って、作って食べててしかしてないし」
「まぁ、よいではないか」
そろそろ寝ようと部屋に行った私が思わず呟くと、聞こえていたらしいラウルが口元に笑みを浮かべながらそう答えた。手には大切そうにクッキーの入った袋を持っている。
「城に帰ったら、ヒナタアオイの料理はしばらく食べれないのだ。だから、今日は好物を作ってくれただけで、オレは満足だぞ」
「それなら、いいけど」
素直な言葉に、私は笑顔を返した。ラウルはその反応に、満足げに頷く。
「またこちらでやりたい事があったら、来ればいいだけの事だ」
そこまで言ってから、ラウルはにやっと笑う。そして、私を上目遣いで見上げた。
「それに、寂しかったらいつでも呼んでいいのだぞ。レンに言えば、いつでもかけつけてやろう」
「王族は基本出入り禁止じゃなかったっけ? それに、卒業したらそんな暇なくなるんじゃなかったの?」
「そんなもの、愛があればなんとかなる! オレも父上も気にはせん!」
「自慢にならないし」
何故か勝ち誇ったラウルにツッコみをいれたものの、ラウルの気持ちだけそっと受け取る。寂しくてもほいほい呼べるわけもないが、いつでも来てくれるというその気持ちは嬉しかった。
「ヒナタアオイは男に騙されやすいからな。寂しくて変な男にひっかかるくらいなら、ちゃんとオレを呼ぶのだぞ」
「ひっかからないからっ!!」
だからお前は幾つなんだと言いたくなるようなラウルの言い草にびしっと言い返すと、ラウルは楽しそうにくすっと微笑んだ。
それから机の上にクッキーを置き、私のすぐ前に立つ。
「まぁ、そんな事はもういい。そろそろ寝るぞ」
「そんな事って……」
自分でふった話をあっさり切り捨てたラウルに半眼になって言い返す私に向かって、背伸びをするラウル。その綺麗な顔が近づき、可愛い唇が迫ってくるのが習慣になっていた私は、ごくごく普通に受け止めようとし、寸前ではっと気づいた。そして、ラウルの細い肩をがしっと掴んで引き離す。
「ちょっと待った。もう、猫にならないし!」
一緒に寝る時は猫の姿というのがお約束で、そのため布団に入る前にキスするのが当たり前になっていたが、今はもう必要ない。魔法は解けて、キスしたところでラウルは猫にならないのだ。
「だから、お休みのキスであろう?」
慌てた私に対し、さも当然といわんばかりのラウル。
「いや、そんな習慣はないし」
「今まで、毎日してたではないか」
「だから、あれは猫にするためであって、お休みのキスとかじゃないから」
「同じであろう?」
「いや、意識的になんか違うし」
猫の姿にする為だとすっかり慣れてしまったラウルへのキスだったが、キスした後に光に包まれて猫の姿になるのと、目を開けたときに美少年の顔があるのとでは話が違う。
というか、恋人同士ならともかく、美少年にキスして寝るのは冷静に考えたら危ない気がしなくもない。
「何を今更言っておるのだ」
「だっ……」
呆れ顔のラウルに言葉を続けようとした私だったが、それより早く、ラウルの顔が近づき、私の唇に柔らかなものが触れた。
綺麗な顔が目の前にあり、反射的に目をつぶる。
それは、今までの一瞬のキスとは違い、思わず心臓が跳ねるほど長いキス。
予想外の出来事が起こると反射的に動けないのか、私はされるがままにそのまま固まってしまっていた。
少しして唇が離れると、私が目を開くより前に、ラウルが私の手をそっと握った。ゆっくりと目を開くと、艶やかに笑むラウルと目が合う。
「さ、寝るぞ。ヒナタアオイ」
そう言って、手を引いてベッドへ誘うラウルはやたら大人びていて、今からこんなに色気があってどうすると、ほんのちょっぴり将来が心配になる。
というか、お子様に色気を感じる自分自身も少々心配だ。
だが、ベッドに入ったラウルはやっぱりお子様で、私の手を握ったまま丸くなった姿は、猫の姿同様、愛らしかった。
電気を消すところんと転がり、さらに私に近づくラウル。
「おやすみ、ラウル」
「うむ。よい夢を……」
そう言って、ラウルは静かに瞳を閉じた。
しばらくして、すやすやと寝息をたてはじめたラウルを見つめ、私は小さく微笑んだ。
ラウルを起こさぬよう、綺麗な髪をそっと撫でる。
このぬくもりを感じるのも、今日が最後。
夢は起きる時に覚めるものだが、今日の私は寝てしまったら夢から覚めてしまう気がした。
普通に考えたらありえない、魔法の国からきた小生意気で可愛い王子様との生活は、夢のようなものだ。
いつかは終わってしまうものだと、わかってはいた。
だけど、こんなに突然だとは思わなかった。
だから、眠るのが少し怖かった。
寝て、目が覚めたら、ラウルとの別れが待っている。
迎えに来てくれるとラウルは言っていたが、それが叶うとはとは限らない。
お国の事情もある。それに、ラウルの気持ちが続くとは限らない。
ラウルくらいの年頃の時にした約束を、大きくなって実際に果たせる人は一体どれだけいるだろう。
元の生活に戻ればラウルも夢から覚め、毎日の忙しい暮らしに追われ、いつしか想いは薄れていくだろう。
傍にいる可愛い女の子に、選ばれた婚約者に、目移りするかもしれない。
でも、それでもいい。
一人暮らしの寂しさを忘れさせてくれ、何かあると小さな身体で精一杯守ってくれた、可愛い王子様。
離れていても、元気で幸せならそれでいいのだ。
ラウルが自分にとってどれだけ大きな存在だったかは、きっと今じゃなく、ラウルが去った後に気づくだろう。
一時帰ってしまったときとは違い、本当にもう帰ってこないと実感した時、本当の寂しさが私を襲うはずだ。
その時、ラウルがどれだけ大切だったか実感するだろう。
今でも十分寂しいけど、きっともっと、想像しているよりもずっと、心の中にできる穴は大きいに違いない。
それは、今まで過ごした日々が楽しかったことの証。
「私を選んでくれて、ありがと」
そう言って、私はラウルをそっと抱きしめた。
雨の中、悲しみに満ちていた私をラウルが選んでくれたから、今がある。
もしラウルが嫌がっていたら、きっと連れて帰ることはなかっただろう。
あの時腕の中にあった小さなぬくもり。
もう、あのサイズになることはないんだなと、腕の中にいるラウルを感じながら一人でふふっと笑う。
「幸せになるんだよ」
永遠に会えないわけじゃないとは思う。
蓮に聞けば、会えなくてもラウルの近況はわかるだろう。
でも、やっぱり一緒に暮らした日々はもう戻らない。
こんなに傍にいられることは、きっとない。
だから、願ってしまう。
この小さな肩に、大きなものを背負いすぎないように。自分自身のために、幸せになってほしいと。
ラウルのぬくもりを感じながら、私はそっと目を閉じた。
祈るような思いを胸に、そのまま徐々に夢の世界へと誘われる。
―――――― そして、別れの朝がやってきた……。
2013.12.23 18:10 改稿




