第56話
驚いて見つめた緑色の瞳は、ただ静かに私を見つめ返すだけだった。困った時にはいつも全力で立ち向かってくれたラウルは、そこにはいない。
「おい、さっきまでの威勢はどこいったんだよ」
蓮がラウルに発破を掛けるようにそう言うが、ラウルは僅かに目を伏せただけだった。
それを見て、阿須田さんは少し悲しげな微笑を浮かべる。
「わかっておられるのですよ。ご自分の存在が、国に及ぼす影響を。残念ながら、賢い方ですから」
「残念ながらは余計だな」
力ない笑みを浮かべ、ラウルは横目でちらりと阿須田さんを見ながらそう呟いた。蓮は不快そうに眉をひそめている。私は頭の中が真っ白で、どうしていいのかわからない。
「貴方がもう少し愚かな方ならば、命までとらずともすんだのですが……。残念です」
「違うな。もっと賢ければこんな状況に陥らず、ヒナタアオイたちを傷つけることも、自分の命を危険にさらす必要もなかった。足りなかったのは愚かさではない。己の力、全てであろう」
「そうかもしれませんね」
二人はもう、取引が成立したような、静かで落ち着いた口ぶりだった。
「どう……して?」
私の掠れた声に、ラウルと阿須田さんがゆっくりと私の方を向いた。
私は震える唇を、精一杯動かす。
「どうして、ラウルに王族以外の血が流れてるだけで、いの……命まで奪われなきゃ、いけないの?」
涙で滲む視界の中、阿須田さんがゆっくりと首を振ったのがわかった。子供を諭すかのように、ゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。
「ただそれだけと言えるほど、軽い問題ではないんだよ、日向さん。先々の事を考えれば、由々しき事態なんだ。王家の血は、国を支えるのに重要なもの。ラウル王子はよくても、次の世代や、その次の世代に影響を及ぼすかもしれない。庶民の血で魔力の低い王族が増えてしまったら、国家の危機になるんだ。だから、今止めなければならない」
まるでそれが正しいことかのように言い切る阿須田さん。でも、そんなの納得できるはずがない。
「だったらあの時、ちゃんと止めればよかっただろう! 二人が結婚すれば、こうなる事はわかってたじゃねーか!!」
黙っていた蓮がたまりかねた様に怒鳴るように叫んだが、阿須田さんは冷静な眼差しで見つめ返した。
「イベリス様はお止めしました。それは、蓮殿も存じ上げてると思いますが?」
「あぁ、知ってるさ。どんな手を使われるかわからないから、あの変態が護衛についてて迷惑したんだ」
「あ……」
蓮の言葉に、私はふと思い出した。
ジニアさんとはじめてあった時、蓮は確かジニアさんはお姉さんの護衛をしていたと言っていた。あの時は何の護衛かも気にしなかったが、結婚を反対するものから守る為だったに違いない。そして、ジニアさんがラウルを監視していたのも、こちらの世界での危険に備えてではなく、自分の国の命を狙う者達から守る為だったのではないだろうか。
「だが、最終的には結婚を認め、子供も産ませただろう! それを、今更っ」
「イベリス様は生まれてきた子供が母親に似ていれば、王家から追い出すいい理由になると思われていたのですよ。ですが、残念ながらラウル様は王によく似ておられた。外見だけではなく、その魔力さえも。それ故に、他の大臣達も徐々にラウル様を認め始めた。ですから、今なのです。反対派が減ってきたが故に、国の為に強硬手段をとるしかなかった。ラウルさまがご卒業されるまえに」
「そんな勝手な理由……」
「この国の未来の為です」
怒り心頭の蓮に、きっぱりと言い切る阿須田さん。
きっと、本当にそれが国の為だと思っているのだろう。阿須田さんにとって、それが正義なのだ。
「ラウル様はもうお覚悟ができておいでのようです。蓮殿は黙って見ていてください。大切なご学友の為にも。あなたには手を出す気はありませんし、今の辛い記憶は私が後で責任を持って……」
「ふざけんな! 目の前でガキの命が奪われようとしてるのに、黙ってられるわけねーだろ!!」
「誰がガキだ」
ぼそっと呟いたラウルに、蓮は般若のような顔を向ける。
「そこの大人しく言う事を聞くのが大人だと思ってる子供だよっ!」
「…………」
自分の言葉に何も答えず視線を逸らせたラウルに、蓮は言葉を続ける。
「それにな、あのムカつく奴に瓜二つだったとしても、お前は俺の大切な甥っ子なんだよ。お前が勝手にあきらめようが、俺はお前の命をあきらめたりしないからな」
「蓮……」
ただ俯くだけのラウルに、強く優しい眼差しを向ける蓮。私はその想いを伝えたくて、蓮を見ようとしないラウルの手をぎゅっと握る。
その小さな肩にのしかかる重圧を、一人で背負わなくていい。ここに、それを一緒に支えてくれる人がいる。まだ、諦めちゃいけない。
「でも、何もできないでしょう? 佐倉さんを、あなたは犠牲にできない。ラウル様はそれがわかっているから、こちらの要求をのもうとしているのですよ」
冷静に指摘した阿須田さんに、蓮は冷めた瞳を向けた。
「お前……ラウルに何かあって、ただで済むと思うのか? お前だけじゃない、イベリスだって、たとえ王家以外の血が流れている王子だったとしても、仮にも現第一後継者のラウルに手をかけたら厳しい処分は免れない」
「わかっております」
蓮を真っ直ぐに見つめ、短く答える阿須田さん。
二人の間に、静かに火花が散っているようだった。
「悪いが、俺に記憶操作はきかないぜ?」
「そうですか。……そうかもしれませんね。それならば、全て事がすんだあとに話すなら話せばいいでしょう」
微笑を浮かべて答えた阿須田さんに、蓮はぴくりと眉を動かした。
「何?」
「もとより、ラウル様に手をかけて自分の命があるとは思っておりません。ですから、イベリス様にご迷惑がかからないよう、今回のこの行動は全て私一人の責任となるようになっています。私の勝手な行動。命をもっての償い。それで、イベリス様が他の方々に重大な責を負わされることはないでしょう」
蓮は阿須田さんの凛とした瞳に、言葉を飲み込んだようだった。
命懸けで、自分の信念を貫こうとしている。
そこまでの覚悟だと、蓮は思っていなかったのだろう。動揺したように、瞳を揺らせている。
「さすがに、子供一人で旅立たせたりはいたしません。私がお供させていただきます」
後半をラウルに向けてそう言うと、阿須田さんはゆっくりとラウルに近づいてきた。ラウルはうつむいたまま動かない。
「王やジニア様がいつまでも気づかぬはずはない。あまり時間はないのです。ですから、お二人が現れる前に行きましょう、ラウル様」
魔法で囚われた桜子とラウルに焦ったように視線を走らせ、必死に策を考えているらしい蓮を気にも止めず、ゆっくりと立ち上がる阿須田さん。
私は思わず、彼から守るようにラウルを抱きしめていた。
「ヒナタアオイ……」
私の名を困ったように、でも少し嬉しさを含んだ声で呼んだラウルの頭をそっと抱きしめながら、私はゆっくりと近づく阿須田さんに視線を向けた。
このたった数歩の短い距離がまるで死刑台への道のりかのように、悲壮な影を落としながらも、覚悟を決めた表情で一歩ずつ踏みしめながら近づいてくる阿須田さん。
私は、そんな彼に向かって口を開いた。
「阿須田さん……私には理解できません」
私の言葉に、もともとゆっくりだった阿須田さんの足が止まった。
私を見つめた深いセピア色の瞳を真っ直ぐに受け止めながら、私は言葉を続ける。
「国の難しい事情は私にはわからないけど、王族と普通の人の差がラウルたちの国の人にとってどれだけ違うのか知らないけど、同じ人間でしょう? 王族同士の子だったら、絶対に国を統べる才を持った子供が生まれるんですか? 庶民の血が混じったら、絶対にいつか国を危険にさらすような子供が生まれるんですか? 本当はどうなるかなんて、誰にもわからないはずです。そんな不確定なものの為に……ううん、たとえどんな事情があったって、誰かが奪っていいほど命は軽いものじゃありません」
視線を逸らさずに話す私のすぐ前で、阿須田さんは僅かに目を伏せた。
「それに……もし力の弱い王様が生まれたとしても、みんなで支えあえばいいじゃないですか。王様一人の肩に全てを背負わせるんじゃなくて、その国に住む全ての人が国の為に支えあえばいいでしょう。一人ずつでは微力でも、国中の人たちが力を合わせれば大きな力になりませんか? それでは、ダメなんですか?」
問いかけた私の言葉をうけて、阿須田さんは再び私を見つめた。少し悲しそうな微笑を浮かべている。
「素敵な考えだと思いますよ、日向さん」
「だったら……」
「ですが、私は引き返せません」
すっと右手を上げた阿須田さんを見て、蓮がはっとしたように息をのむ。
「ひまわり!」
危険を知らせるような蓮の叫びに、阿須田さんが何か魔法をかけようとしているのだと気付き、ラウルを抱きしめる手に力を込めようとした時だった。
「……え?」
視線の先にいる阿須田さんは腕を上げただけでまだ何もしていないのに、身体の中心から突然力が抜けていく。そして、崩れ落ちる落ちる私を微笑みながら受け止めたのはラウル。
ラウルの手元で輝く小さな魔方陣がふっと消えるのが目に入った。
「ラウ……ル?」
「すまぬな、ヒナタアオイ。これ以上お前を巻き込むわけにはいかぬのでな」
そう言うとラウルは私をソファに寝かせる。力が入らず横たわったままの私を優しく見つめてから阿須田さんに視線を向けた。
「アスター、ヒナタアオイはいい女であろう?」
ラウルらしい自信に満ちた笑顔を浮かべたラウルを見て、阿須田さんは静かに手を下ろした。
「そうですね」
阿須田さんの答えにラウルは満足げに微笑み、再び口を開く。
「そんな女に、オレの最期の姿を見せたくはない。それに、自分の家の中でというのも酷であろう。逃げはせん。だから、場所を変えてくれぬか、アスター」
「……かしこまりました」
堂々としたラウルの態度に、跪いて頭を下げる阿須田さん。
まるでただの王とその従者のようで、一瞬彼らが何をしようとしているのか忘れそうになる。
「ラウル……」
「後はまかせたぞ、レン」
自分の名を静かに呼んだ蓮の瞳を真っ直ぐに見つめ、凛とした声でそう言ったラウルは、もう一度私を見つめると踵を返した。
ゆっくりと歩き始めたラウルの後を、阿須田さんが静かについていく。
先ほどまで熱くなっていた蓮も、ただその背中を見送っていた。
「ラウ……ル……」
少しずつ遠くなっていく背中を、力の入らない私はただ見つめる事しかできない。
「なん……で……」
悔しくて、きゅっと唇を噛む。
いつものラウルなら最後まで諦めたりしないのに、どうして今回はこんなに素直に従ってしまうのだろう。
桜子が人質にとられたから?
私も危険に巻き込まれそうだったから?
私が危ない目にあったときは、危険な目に顧みずに立ち向かってくれたのに、自分のせいで周りを危険にさらすならば、身を引こうというのだろうか。
そんなの、私は絶対に嫌なのに。
桜子だって、知ったらきっと怒る。
そもそも、魔法で忘れさせればいいって考え自体間違ってる。
ラウルと過ごした日々を、そんな簡単に忘れられるはずがない。
たとえ魔法で上辺だけ忘れたとしても、何かを失ったという空虚さは絶対にあるはずだ。
だいたい、ラウルの事を忘れたら、誰が柳くんから私を助けてくれた事になるのだ。
悲しみを、安らぎに変えてくれたのはラウル。
一人暮らしの寂しさを、賑やかで楽しくしてくれたのは、ラウル。
「ラウル……」
あと少しでリビングを出て、見えなくなってしまいそうな小さな背中。
あんな小さな身体に、全てを背負わなくていいのに。
「……ダ……メ」
力のこもらない身体で必死に声を振り絞るが、ラウルまでは届きそうにない。
ラウルが守ってくれたように、私もラウルを守りたいのに……。
悔しくて、いつの間にか涙がたまり、視界がぼやける。
そのぼんやりとした視界の中で、部屋を出ようとしたラウルがちらりと私を見たのがわかった。
涙でぼやけていてもわかる、私を気遣う優しい瞳。
その時、心の中で何かが弾けた。
「……行っちゃダメーーー!!!」
思いもかけずでた大きな叫び声。
そしてその瞬間、周囲に得体の知れない波動がほとばしった事に、私はまだ気付いていなかった。
2013.12.23 14:59 改稿




