第39話
「ただいまぁ」
そう言ってキッチンに材料を置く前にリビングを覗くと、私の声に振り返ったラウルと目があった。その手にはまだゲーム機のコントローラー。
「もぅ、まだゲ……」
「おかえりなさいませ、葵さん」
「ひゃぁぁぁっ!?」
小言を言おうとした私の背後から、突如現れた気配と共に身体に回される腕。背後から抱きしめてきたジニアさんの長い髪がさらりと零れ落ちて私の顔に触れる。
と、思わず悲鳴をあげた私の顔の横を、ひゅっと音をたてて何かが通り過ぎた。
「おっと」
回されていた腕が解かれたと思うと、私の顔の横で飛んできた本が動きを止めた。
「葵さんに当たったらどうするんですか、ラウル様」
受け止めた本を下ろしながら悪びれた様子もなく批判するジニアさんを、投げた張本人のラウルは半眼で睨みつける。
「オレが当てるわけなかろう。それよりもジニア。他の女子はともかく、ヒナタアオイには手をだすな」
「おや、やきもちですか?」
からかうような声に、むっとするラウル。そんなラウルを楽しそうに見つめながら、ジニアさんは口を開く。
「大丈夫ですよ、ラウル様。近ごろ外出させてくださらない葵さんへのちょっとした嫌がらせと、若い女性に触れて英気を養いたかっただけですから」
「ジニアさん……」
恨みがましく睨んだ私と依然不機嫌そうなラウルから逃れるように、ジニアはニッコリ微笑んだかと思うとすぅっと跡形もなく姿を消した。なんとも都合のいい魔法だ。
「まったくあいつは……」
忌々しそうに呟くと、やる気が失せたのかゲームのコントローラーを置き、私の方にやってくるラウル。両手に持っていた荷物の片方を持ってくれる。
「手伝うぞ」
「ありがと。今日は美味しいご飯とデザート作るからね」
「うむ。少しは期待してやる」
言葉は素直じゃないが浮かべた笑顔が嬉しそうだったので、私はやる気がさらに上がり、軽い足取りでキッチンへ向かったのだった。
日も沈み、空気も冷えてきた頃、今日は三人で食卓を囲んでいた。
普段はいつのまにかどこかで食事を取っているらしいジニアさんだが、せっかく手の込んだ料理を作ったときくらいはと食事に誘ったのだ。
「いやー、葵さんはいいお嫁さんになれますね。とても美味しかったです」
「ありがとうございます」
にこやかに食事を終えたジニアさんに、素直に礼を言う。料理をすること自体好きだが、それを食べて美味しいといってもらえる事が一番嬉しかった。
「うむ。まーまーだな」
ラウルは自分も手伝った料理を完食し、口元に満足そうな笑みを浮かべた。
そんなラウルに隣に座っているジニアさんが嗜めるような視線を送る。
「ラウル様。こういう時は素直に美味しいと言うものですよ」
「……むぅ」
少し口を尖らせたラウルに小さく息をつくジニアさん。ジニアさんもいつも変なわけではないらしい。たまにはもっともらしい事もちゃんと言うようだ。
「葵さんの料理、これでしばらく食べれなくなるんですからちゃんとしてください」
「それはそうだな」
「え、ちょっと待って?」
納得したようにこちらを見たラウルに、思わず先に声をかける。ジニアさんがさらりと言った言葉に引っかかるものがあった。
「しばらく食べれないって、何?」
「ん?」
食べ終えた食器を重ねながら、ラウルがきょとんとする。困惑した表情の私をしばし見つめ、それから思い出したかのように口を開いた。
「そういえばまだ言ってなかったな。先ほどヒナタアオイが買い物に出ている間に連絡があってな、しばらく城に戻らねばならなくなったのだ」
「えぇ!? つか、次はちゃんと教えてくれるはずじゃなかった?」
「いや、食事が終わってから言おうと思っていただけだ」
誤魔化すように視線をそらしながら言い返すラウル。この間の反省が足りないらしい。
「何か楽しい事すると忘れちゃうんですよねぇ、ラウル様」
「だから、忘れていたわけではないっ」
少し赤くなりながらがなるラウルが可愛くて、思わず笑ってしまう。だんだん慣れてきた料理がずいぶんと楽しそうだったから、言ったつもりになってまた忘れてしまったのだろう。
「ま、また突然いなくなったわけじゃないからいいよ。で、どれくらい帰ってるの?」
「うむ。少なくとも七日間。もしかすると、もう少しいるかもしれんな」
笑顔で聞いた私に、機嫌を直したように答えるラウル。
「そっか。一週間も帰ってるんだ」
何気なく言った私のひと言に、ジニアさんがふっと笑みを浮かべた。
「一週間『も』ですか」
そう言ってくすくすと笑うジニアさん。
「何かおかしな事いいました?」
「いえいえ。一週間が長く感じられるほどラウル様を想ってらっしゃるのだと、微笑ましく思っただけですよ」
「んなっ……」
ジニアさんの指摘に、思わず少し赤くなる。
確かに『一週間も』という言葉だと、そう聞こえる。しかも、それを無意識に言ってしまった所がジニアさんの指摘通りなのかもしれない。
いつのまにか一緒に暮す事が当たり前に感じるようになっているからだろうか。
「そうか、オレがいないのは寂しいのか」
うろたえる私を見て、にやりと笑うラウル。自信たっぷりな笑みがちょっと小憎らしい。
「ただの言葉のあやよ。どうぞ心行くまでゆっくりしてきたら?」
何だか悔しくて作り笑顔でそう言うと、ラウルはふっと口元に笑みを浮かべた。
「そうだな。そうするか」
そっけなくそう言うと、食器を手にしてキッチンに向かおうと立ち上がるラウル。そして通り過ぎざまに私の耳元に口を寄せる。
「オレは寂しいがな」
「え?」
囁くような優しい声に顔を向けると、ラウルの顔がすっと近づく。そして、頬に触れる柔らかくて温かな唇……。
思わず赤くなった私を見て満足げに微笑むと、ラウルは食事の後片付けをしにキッチンへ去っていったのだった。
2013.4.21 12:10 改稿




