第33話
静かに床に降り立った、おそらく二十代後半の青年は、笑顔を浮かべながらゆっくりと私に歩み寄ってきた。私の目の前で跪き、頭を下げる。結った長い髪がさらりと流れ落ちる。
「はじめまして、葵さん。私、ラスティーダ王国の宮廷魔道師、ジニアと申します。以後、お見知りおきを」
「え、あ……こちらこそ」
予想外の丁寧な挨拶に一瞬戸惑ったものの、私も慌てて頭を下げた。蓮の呼び方で変な人かと思ったが、意外ときちんとしているようだ。
「何の用だ、ジニア」
挨拶を終えてゆっくりと立ち上がった彼に、ソファに座ったままのラウルが少し不機嫌そうに尋ねた。ジニアさんは、今度はラウルの前に跪く。
「少々ご無沙汰しておりました、ラウル様」
「挨拶はいい。何の用かと聞いておるのだ」
「お前の監視だろ?」
冷めた口調のラウルに答えたのは、腕組みをして立っている蓮。その答えに、ラウルは眉をしかめている。
「監視だと?」
「国の第一継承者であらせられるあなたを誰の監視も無しで異界に放つなど、さすがの王もしませんよ、ラウル様」
当たり前でしょうと言わんばかりの口調に、むっとするラウル。どうやら、本人は全く気づいていなかったらしい。
「そう。お前を守っている奴がいないなんて、あるはずなかったんだ」
気づかなかったことを悔やむような蓮。
そんな二人を、ジニアさんはニコニコと眺めている。
「では、最初からいたのだな。オレが、か弱き獣の姿で逃げ惑っているのを、ただ見ていたと」
「はい。王からは命に関わる事でなければ一切手を出すなと言われておりましたので。いやー、色んな女性から逃げ惑う王子を見るのはとても楽しかったですよ。城での態度と大違いで、思い出しては一人で笑わせていただいております」
睨み付けるラウルをものともせず、にこやかに言い切るジニアさん。
そんな二人をぽかんと見ている私の横に蓮が来ると、小さくため息をついた。そして、小声で私に話しかける。
「ちなみにひまわり。あれ、笑ってるんじゃなくて、ああいう目だからな。目を閉じてるように見えても、実はちゃんと見てるから、気をつけろよ」
「え? 何を??」
目を細めて笑っているように見えたが、確かによくよく観察すればずっとあのままだ。もとから、笑って細めたような目なのだろう。
それは分かるが、気をつけろというのは……。
「しかし、ラウル様が可愛らしい女子高生を選んでくださってよかったです。覗いてても楽しいですしねぇ」
「ふぇ?」
ジニアさんの言葉に、私は思わず変な声をだした。
蓮の先ほどからの態度から考えると、なんだか嫌な予感がする。
「入浴シーンは目の保養になりました。やはり、若い子はいいですねぇ」
「っっっっっ!!!!?????」
思わず自分の体を抱きしめて後退る。カァッと全身が赤くなるのが分かった。
「なっなっ……」
「いやぁ、お仕事ですよ。お仕事。ラウル様と出会った日、子猫姿の王子をお風呂に入れてくださったでしょう? 目を離した隙に、万が一ラウル様が溺れたりしたら大変じゃないですか。ですから、お風呂の中も監視させていただいただけです」
悪びれた様子のかけらもないジニアさんに、ラウルは呆れたように小さく息をついた。
「嘘をつくな。ただの趣味だろう」
「そうとも言います」
表情も変えず、あっさりと肯定するジニアさん。だんだんと、蓮の言っていた『変態宮廷魔道師』の意味が分かってきた気がする。
「まさか、その時以外も覗いちゃいないだろうな?」
引きつった顔の蓮の問いに、ジニアさんはクスクスと笑う。
「はい。一応任務中ですからね。ラウル様と離れてらっしゃる時は見ていませんよ。しかし蓮坊ちゃん。いくらあなたも葵さんの生まれたままの姿を見たいからって、そんなに羨ましがらないでくださいよ」
「誰がいつ羨ましがったっつーんだー!!」
「おや? 男だったら見たいと思うはずですが? 特に好きな…」
「うーーーわーーーーーーー!!!!」
ジニアの言葉を遮るように、大声を出す蓮。
そんな姿を、ジニアさんはものすごく楽しそうに見ている。
顔を真っ赤にしてぜいぜいと息をしている蓮を、呆れたように見ているラウル。
どうやら、まともに相手にしないほうがいいとラウルは悟ったようだ。気を落ち着けるかのように、紅茶を口に運んでいる。
「とりあえず、蓮、ジニアさん。座りません?」
私もひとまず落ち着こうと、二人をソファに促し、もう一つカップを用意するとお茶を淹れなおした。ジニアさんはラウルの隣に座り、蓮はその向かいに座る私の横にいる。
にこやかなジニアさんを除き、若者三人の空気は重い。無言で口にお茶を運んでいる。
「お前をこの任につけたのは、父上か?」
最初に口を開いたのはラウルだった。気持の切り替えが早いのはさすがだ。
「はい。王国内で私が一番ですからね。魔力ともども気配を消せるのは」
「そうだよな。趣味のために努力してたもんな」
珍しく厭味ったらしい蓮の口調だったが、ジニアさんはまったく気にもとめていない様子だ。
「そうです。魔力にやたら敏感なユリア様の目を逃れる為、研究に研究を重ねましたからねぇ」
「自慢げに言うなぁっ!!」
蓮の怒りのつっこみは、むしろ彼を喜ばせているようにしか見えなかった。どうやら、人をおちょくる事や覗きが好きらしい。確かに、『変態』かもしれない。
「ユリア様って?」
落ち着かせようと質問すると、眉間にしわを寄せていた蓮の顔がはっとしたように、いつもの穏やかな表情に戻る。
「あぁ、姉ちゃんの名前」
「って事は?」
「魔力だけは人よりすぐれているこいつが、変人王子の命により、姉ちゃんの護衛をしてたわけ。結婚前にな」
今までの態度やら話から、その時どんな事が起きたのかなんとなく想像が付く気がした。だから誰かわかったとたん、あれだけ嫌がったのだ。
「で、今回の事はなんなのだ? ヒナタアオイにオレを大人の姿に見せて、何かあるのか?」
どうやら一番冷静らしいラウルが、忘れかけていた本題に戻る。成長した姿に加え、なんだか落ち着いた雰囲気のラウルは、本当に大人のようだった。
「いえ、最近面白い事がなかったもので」
「……趣味か?」
「はい」
一人笑顔のジニアさんをよそに、若者三人の間に再び沈黙が訪れる。蓮は隣で頭を抱えていた。
「最初の頃は、葵さんが元恋人に襲われたり、屋上から落ちかけた時は今日の下着は白だなーなんて拝見したり、いろいろ楽しめたんですけどねぇ。ありきたりの毎日になると、やっぱり飽きるわけですよ。24時間極秘任務中ですから、誰と話す事もできないですしねぇ。ですから、ちょっと楽しませていただこうかと。きっと葵さんならいいリアクションしてくれそうだなーと思いまして」
「そんな理由……」
屋上から落ちかけたときに助けもせず、下からスカートの中覗いてたのかとか突っ込む気力もなく、私はがっくりとうな垂れた。
ラスティーダ王国……変人な王様に変態な宮廷魔道師の住む国……。
一体どんな国なんだと、違った意味での興味がちょっぴり沸いたのだった。
2013.4.17 19:07 改稿




