第28話
「やっぱりひまわりは子供の扱い上手いな」
ラウルにお風呂の準備と冷凍してあるご飯やおかずを温めるようにお願いして席を外させると、蓮は肩の力が抜け、表情の柔らかさを取り戻した。
「柾で慣れてるからね。でも、蓮は柾とは仲がいいのに……」
お兄ちゃんが出来たみたいで嬉しそうにじゃれつく柾を、蓮は楽しげに相手をしてくれていた。子供が苦手なわけではないはずだ。
「柾は素直でいい子だからな」
穏やかな声でそう言った後、蓮はふぅっと溜息をついた。そして、深々と頭を下げる。
「身内が迷惑かけて、ほんっとごめん」
「いやいや、蓮が謝らなくてもいいよ。ラウルと出会えて、良かった事もあるし」
蓮はゆっくりと頭をあげ、微苦笑を浮かべる。
「別に気を使わなくていいんだぞ、ひまわり」
「ううん、本当のこと。ラウルと出会わなかったら今頃、笑えなくなってたかもしれない」
怪訝な顔をした蓮に、ラウルとの出会いから、柳くんから助けられた事までを話す。黙って聞いていた蓮の目が、後半部分で見た事もないほど冷たい光を帯びた。
「へぇ……。あの男、ひまわりにそんな事したんだ」
感情豊かな蓮の、感情をどこかに置き忘れたような平坦な呟きが怖い。
「いや、蓮。そこを伝えたいんじゃなくて、ラウルがいてくれて良かったって話! そっちの話はもういいの! ラウルのおかげで気がすんだから」
「…………」
しばらく、組んだ手が白くなるほど力が入っていた蓮だが、怒りをどうにか飲みこんだのか、やがて手をとき、ふぅっと息を吐いた。
「……まぁ、ラウルが役にたったならよかったけど」
ようやく、蓮らしい明るい笑みを浮かべたので、私はほっと胸をなでおろした。私や桜子と喧嘩して怒ったりすねたりする事はあったが、先ほどからの蓮は、今まで見た事のない表情ばかりで、少し戸惑っていたのだ。
「ところで、昨日はどういう事だったの?」
行方不明だった黒猫を連れ戻してくれたのは蓮。ラウルと蓮が知り合いだという事は、迷子になっていたのを見つけたというのはおそらく嘘だ。
私の問いに、蓮の眉間にしわが刻まれ、口からは溜息が零れ落ちた。
「実は、向こうに帰ってたんだよ。急用があって迎えが来て、一日だけ戻ったらしい。本人は書き置き残したつもりらしいけど、あいつ、こっちの文字を読めても書けないからな。向こうの字で書いたんだと思う。で、疲れて寝てたのを、猫に戻させて連れてきたんだ」
「なんだ、そういうこと。それじゃ、いくら探しても見つからないわけだね」
苦笑が浮かぶ。確かに、落書きのように見える紙は散らばっていた。あの中のどれかに書いてあったのだろう。しかし、ラウルが向こうの世界に帰っているという発想は全くなかった。魔法を解かない限り帰れないものだと、勝手に思い込んでいたのだ。
「マジごめん」
「いいよ、蓮が謝らなくても。蓮は助けてくれたじゃない」
拝むようにして謝った蓮は、私が笑顔を向けてもまだ申し訳なさそうな顔をしている。怪訝に思って見つめると、蓮はおずおずと口を開いた。
「ごめんと言いつつ……ひまわりが迷惑じゃないなら、もう少しラウルを預かってくれると助かるんだけど」
「え?」
「もちろん、預かってくれるなら俺も全力でフォローする。でも、無理だと思ったら城に帰すから、遠慮なく言ってくれていい」
ラウルといた時とは打って変わり、優しい眼差しの蓮。その申し出に、少し戸惑う。
「近所の人に怪しまれなければラウルをしばらく預かるのはいいけど、身内の蓮の家で魔法が解けるまでいた方がいいんじゃない? 真実の愛が芽生えるの待ってたら、いつまでかかるかわかったもんじゃないし……って、蓮、大丈夫?」
突然、口に含んでいた紅茶をぶほっと吐き、むせる蓮。げほげほと咳込んで涙目になりながら、くりっとした瞳をさらに見開いて私を見た。
「真実の愛が、なんだって?」
「え? だから、ラウルにかけられた魔法を解くのには、私と真実の愛を芽生えさせなきゃいけないから……」
「はぁ!?」
怒気の込められた声で言葉を遮られ、びっくりして口を閉じる。蓮ははっと我に返ったのか、慌てて手を振った。
「ごめんごめん、ひまわりに怒ったんじゃないから。そんな条件をつけてたって聞いてなかったから、つい」
謝りながらも、蓮の顔はひきつったままだ。
「蓮は何て聞いてたの?」
「最初にラウルを拾ったひまわりだけが、ラウルを人に戻したり猫に変える事ができる限定条件をつけた変身魔法だって。あれだけ完璧に動物に変化させる魔法なんて前代未聞だし、それを解ければ王子として申し分ない課題だから見守る事にしたのに……なんだそれ」
頭を抱え込む蓮。怒りの行き場所に困っているようだ。
「真実の愛なんて、魔法でどうやって判断するんだろうね?」
「――おそらく、言葉通りの意味じゃない。あいつのかける魔法だ。たぶん、裏がある」
「そうなの?」
「あー、もうっ! ラウル、俺に抱かれるの嫌がるしな」
ぐしゃぐしゃと髪をかきむしる蓮だが、話しの脈絡がさっぱりわからない。私が困惑している雰囲気が伝わったのか、蓮は顔をあげて苦笑を浮かべた。
「あー、えーと、どんな魔法がかけられてるか、対象物に触れた方がわかりやすいんだよ。だから、今回の場合は黒猫抱っこするのが一番なんだけど、あいつ直ぐに嫌がるから。俺に先に魔法を解かれたら嫌だとか思って……」
「は?」
今度は私が蓮の言葉を遮った。
「ラウルと私が真実の愛を芽生えさせなきゃ解けない魔法が、なんで蓮に解けるの?」
「――あー、ラウル隠してるのか」
半眼で呟いた蓮に、今度は私の顔がひきつる。
「ラウルが、何を隠してるって?」
「ひまわり、笑顔が恐い」
私の静かな怒りの笑みに、少したじろぐ蓮。私がそのまま表情を変えないので、頬をかきながら説明を始める。
「普通、かけられた魔法を正しく理解できれば魔法は解ける。でも、目で見えるものじゃないから、複雑な魔法ほどそうやって解くのは難しいんだ。ラウルにかけられた魔法を解くのは、ひまわりに、フェルマーの大定理を証明しろって言うくらい難しい」
「何それ?」
自分に振られた言葉の意味がわからずきょとんとすると、蓮は苦笑いを浮かべる。
「それくらい、未知の領域ってこと。ひまわりにわかりやすく言えば、知らない料理を食べて、材料と作り方を全て正確に当てろって言うようなもんかな。レシピ見たらわかるのと一緒で、正確に描きこまれた魔法陣が見られればいいけど、それもないし。とにかく、難し過ぎる。正直、俺もどこまで理解できるかわからないし、ラウルだって解けるまでに何年かかるかわからないレベルだ。下手したら、一生解けない。その難しさを理解してるからこそ、早く魔法を解きたいラウルは、真実の愛を芽生えさせる方が早いと思って、それをわざと説明しなかったんだろ、たぶん」
小さく嘆息した蓮の倍くらい、私は深い溜息をついた。黙っていたラウルもラウルだが、そんな魔法をかけた父親もどうかと思う。難し過ぎる課題を与えるのはともかく、その逃げ道が真実の愛とか、意味がわからない。
「まぁ、努力してる形跡はあるけどな」
テーブルの下に重ねてあった紙に目をやって、微苦笑を浮かべる蓮。何も描かれていない面を上にしていたが、ラウルが描いた落書きのようなものが透けて見えていた。
「難しくて正攻法じゃ解けないって、ラウルのプライドが邪魔して言えないんだよ、きっと」
それでも、影で努力していたのなら、隠していた事は見逃してあげようと思う。まあ、最近それもさぼりがちのようだったが……。
「でも、なんでうちで預かった方がいいの? さっきもう少しって言ってたけど、そう簡単に魔法は解けないんでしょ? 蓮の家で預かるのに、何か準備とか必要なの?」
脱線した話しを元に戻すと、蓮は微苦笑を浮かべた。
「あー、いや、うちはダメだって言われてるから」
「何で? 甥っ子でしょ?」
いくら王子様と言えど、娘の子供だ。預かれない意味がわからない。
「せっかく魔法が解けても、いちゃもんつけられたら困るだろ。貴族たちの目の届かない所で、俺たちの手を借りたんじゃないか、とか。それに、ひまわりといたほうが、ラウルもノビノビしてるみたいだからさ」
口調は穏やかだが、蓮の瞳に影がさしている。もしかしたらもっと深い事情があるのかとも思ったが、それ以上聞くことは何だかためらわれた。
「わかった。それならいいよ、もうしばらくラウルと一緒に暮らしても。私も、柾が帰ってきたみたいで寂しくないし、何かあったら蓮が助けてくれるんでしょ?」
「もちろん。ありがとう、恩にきる」
「なんだ、まだおるのか、レン!」
蓮の気持ちも知らず、リビングに戻ってきたラウルの不快感丸出しの声が響いた。とたんに、蓮の眉間にしわが寄る。
「うるさいな。言われなくても、もう帰るよ」
「当然であろう。いつまでもお前がおったら、ヒナタアオイが休めないではないか。空気をよんで、さっさと帰れ!」
着物の袖を肩までたくし上げ、露わになった細い腕を伸ばして蓮に指をつきつけるラウル。さすがに言い過ぎではと注意しようと思ったが、蓮が目で止めた。
「だから、帰るって。おまえも、ひまわりに迷惑かけんなよな」
「言われなくてもわかっておる!」
立ち上がった蓮を半眼で睨みつけるラウルにご飯の用意をせかせ、私は蓮を玄関まで送る。
「今日はありがとう」
「いや、俺の方こそ、いろいろゴメンな」
靴を履いた蓮は、ラウルがキッチンで大きな音をたてているのを聞いて、すまなさそうに私を見上げた。そんな蓮に笑みを返した時、ふと思いつく。
「そう言えば、桜子は知ってるの? 蓮が魔法使いだって」
家が近く、保育園に入る前からの付き合いで、蓮の弱みを色々知っているらしき桜子。実は蓮の秘密も知っているのかと思ったが、蓮が答えるまでもなく、さっと青ざめた顔色で桜子は知らないのだとわかる。
「姐さんは知らない。っていうか、覚えてない。頼むから、言わないで」
拝むように手を合わせる蓮。くりっとした瞳があまりに必死で、そんな蓮を少し可愛く思いながら、その言い方に違和感を覚える。
「言わないから、心配しないで。でも、覚えてないって?」
蓮は息をつくと、苦い笑いを浮かべる。
「かなり昔、桜子の前で魔法を使った事があるんだ。でも、秘密に出来る年齢じゃなかったし、それを他の子に話して、桜子は嘘つきだって言われても可哀そうだからって、父さんがその時の記憶を消したんだよ。だから、桜子は覚えてない」
さらりと説明した蓮に、私は目を見開いた。私の反応に、蓮はきょとんとする。
「ひまわり?」
「え、魔法って、記憶消したりもできちゃうの?」
「あぁ。催眠術の強力なものって感じだけどな。だから、正確には消すというより、思い出しにくいように記憶に蓋をする感じ? 本人に害のない事なら暗示をかけたり、記憶の書き換えや、忘れてもらう事はできる。ただ、本人が強い意志で拒絶するものは、効き目がない。大げさに言えば、自殺しろ、とかね。まあ普通、都合の悪い相手に魔法の事がばれたとか、あっちの世界からこっちに移り住む時、不自然さがばれないように周囲に暗示かけたりとかにしか使わないけどな。それも、こっちにある組織の許可がないと、こっちの人間にはかけちゃいけないことになってる。だから、安心していいよ」
勝手に記憶をいじられるのは怖いと思ったが、蓮の言う通りなら少し安心だ。
「まぁ、だから、ラウルの事で都合悪い事がおきたら、遠慮なく言ってくれていいから。許可取って、なんとかする」
「ご近所に怪しまれたりとかでも?」
「うん。出来ればバレないにこしたことはないけど」
「わかった」
ご近所問題の心配も少し薄れ、ホッとしながら蓮を見送った。
リビングに戻ると、ご飯とおかずをレンジで温めたラウルが、それらを食卓に並べていた。私が一人で戻ったのを見ると、機嫌よさそうな笑みを浮かべて駆け寄る。
「やっと帰ったか。まったく、二人の時間を邪魔しおって」
「そんなに嫌がらないの」
つんっとラウルの額をつつくと、ラウルは愛らしい唇を尖らせた。
「いつまでもおるレンが悪いのだ」
そう言った後、私の腕をきゅっと握り、私の目をじっと見つめた。見上げたその瞳に、申し訳なさそうな色が浮かんでいる。
「オレを探していたせいで体調を崩したのであろう? すまぬ。あと、先程も危険な目に合わせて、すまぬ」
頭を下げた後、そのままうつむいているラウル。私はラウルの手をほどくと、ラウルの小さな肩をぎゅっと抱いた。
「もう二度と心配させるような事をしないって約束したら、許してあげる」
「うむ。約束する」
私の背中に手をまわし、そっと抱きしめるラウル。壊れ物を扱うようなその手の優しさに、ラウルがどれだけ私のことを思い、心配したのかが伝わってくる。
私はもう一度ラウルを抱きしめる手にぎゅっと力を入れてから、ゆっくりと身体を離した。私を見上げるエメラルドの瞳に、にこっと笑いかける。
「じゃ、ご飯食べよ! しっかり栄養とって、薬飲んで、たくさん寝て、さっさと風邪なおさなきゃ」
「そうだな。レンのせいで時間を無駄にしたからな。早く食べるぞ」
すぐそこの距離だとういうのに、私の手をひいてダイニングテーブルに向かうラウル。その小さな手の温もりが心地よく、数歩の距離でついてしまったのを残念に思う自分に少し驚く。だんだんと、この我が道をいく王子様の存在が、自分の中で大きくなっているようだった。
2013.4.17 18:07 改稿




