歌姫令嬢の叫び方
アリシア=フォン=ハーモニアの歌声が王宮の大広間に響き渡った瞬間、貴族たちはザワついた。
金髪が燭台の光に輝き、碧眼が涙のように澄む美しさ。
精霊に愛された天上の歌声。
彼女は公爵家の令嬢であり、天使の歌姫として社交界の星だった。
だが、その夜は違った。
「ぁ、は――――――――」
潰れたヒキガエルのような醜い声。
アリシアは喉を押さえ、自分の声が出なくなっていることに混乱した。
その瞬間、異母妹エレノアが立ち上がった。
「まあ、なんて酷い声! あんな歌声で華やかな建国祭の舞台を汚すなんて! 国王陛下への侮辱だわ!」
場が騒然とする中、エレノアの婚約者、第一王子レオナルドが冷笑を浮かべて証言を重ねた。
「確かに。どうやら彼女は我々に恥をかかせようとしたようだ。痴れ者を捕らえよ! 醜き者にこの場は相応しくはない!」
言いがかりも甚だしい冤罪だった。
声が失われたアリシアは弁明することも出来ず、衛兵に連れ去られ牢獄へと投げ込まれた。
何がどうなっているのか、鉄格子の向こうで、アリシアは膝を抱え悲観にくれた。
皆の前で貶められたことにではない。
この先、声が戻らなかったらどうしよう、と。
牢での日々は暗く冷たかった。
歌えなくなった歌姫に対する扱いも同じである。
日に二度、固いパンとぬるいスープが与えられるだけ。
その間もアリシアの声が戻ることはなかった。
「フフッ、清々したわ。お姉様ったら歌姫なんて呼ばれて調子に乗って。歌が歌えなくなったお姉様なんか、何の価値も無いんだから」
「女の嫉妬は怖いな。まあ、おれは邪魔な女を排除出来て満足だが。女の分際で王子であるおれに口うるさく指図して、以前から鬱陶しいと思っていたからな」
「ちゃんと約束は守ってくださいね殿下。次の歌姫には私を推薦してくれるって」
「ああ、わかっている」
エレノアとレオナルドが策謀叶った勝利の美酒に酔いしれていた、ある夜のこと。
アリシアの耳にどこからか音が聞こえてきた。
繊細で、どこか懐かしい旋律。
アリシアが目を上げると、牢の前に黒髪の男が立っていた。
「歌姫にはこんな場所は似合わないな」
竪琴を爪弾くように空に指をかけると、不思議なことに旋律が響き牢の鍵が開いた。
「自由であるべきだ。君も、君の声も」
もう一度旋律が。
すると、
「……ぁ。声、が……私の声が……!」
アリシアの口からは、元通りの澄んだ声が発せられた。
「あ、ああ……!」
「呪いで君の声を奪った者がいるようだ。愚かしい。アリシア以外、誰も歌姫にはなり得ないというのに」
感極まり目から大粒の涙を流すアリシアの肩に、男はそっと手を置いた。
「さあ、おいでアリシア」
アリシアを抱えて空を飛ぶ。
満点の星空の下、アリシアは幻想の世界を揺蕩った。
「キレイ……」
「君の歌声には何ものも敵いはしない。星も、虹も、君の歌の前では霞んでしまう」
「あなたは……何故、私を……?」
「あってはならないからだ。魂を揺さぶる叫びが奪われるなど」
「叫び……?」
彼の鋭い瞳が柔らかく細まった。
「あなたはいったい……」
「ハーレクイン……いや、君の歌を愛するファンの一人。それでいい」
「ハーレ……クイン……」
悠久を生きる精霊の王がいた。
精霊の王は歌をこよなく愛した。
安らぎ、憩い……永遠という時を漂う彼にとって、歌は唯一の娯楽であった。
そんな彼が見つけたのが、アリシアという少女である。
一際澄んだ歌声に、可憐な美貌に心を奪われた。
そんなことを知らず歌姫を貶めようとした彼らは、当然のように精霊の王の怒りを買った。
「ぁ゛、ア゛ぁ、わだ、わだじの゛、こぇ゛が……ぁ!!」
「ひっ?! ち、近寄るな化け物!」
呪いが解ければ、それは呪った者に返る。
解いたのが精霊の王ともなれば、呪いは二倍、三倍となって返るだろう。
声はおろか容姿まで醜くなった一人の女は、誰からも愛されず、誰にも見向きされず、浅はかな嫉妬ゆえに残りの生涯を孤独に終えた。
そんな嫉妬に加担した傲慢で愚かな王子もまた。
「いったいどういうことだレオナルド!!」
「ち、父上、これは……!!」
飢餓と飢饉が蔓延したことで、国は瞬く間に衰退した。
王は怒り狂い王子を廃嫡し、ありとあらゆる刑を課した。
最期の時まで悲しみと苦しみの叫びが、暗く冷たい牢の中に響いたが、精霊が怒りを鎮めることはなく。
数年と経たずに国は滅んだが、アリシアにはもう関わりのないことである。
「私はこれからどうしたら……」
「好きに生きるといい。ただ願わくば」
歌ってほしい、と精霊の王は願った。
王は暗い牢獄から歌姫を救い、その身にかけられた呪いを解き、五線譜の翼で空を飛んだ。
朽ちることなき生の中、たった一人の人間と、その優しくあたたかな叫びに心を委ね、彼女に永遠の愛を誓った。
後の世まで語り継がれる伝説である。
いろいろな【令嬢シリーズ】を書いています。
もし興味がありましたら、そちらもぜひ。
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