第39話 いってらっしゃい
また間違えた。
そんな後悔を抱えたまま、ハイドはリューゲン邸の自室に戻っていた。
――ショウと一緒にいるの、つらいから。
パーティの解散を告げたヘレネーに理由を訊ねて返ってきた言葉がこれだった。
「結局、同じだったってことだよな……」
自室のベッドの端に腰を下ろし、ハイドは俯く。
前世の記憶が、また蘇った。
『金持ってるお前と同じ給料で働くの、なんかうぜえんだわ。ていうか辞めろよ、会社』
仲の良かった同期が吐き捨てるようにそう言ってきたことが、つい昨日のことのように思い出せる。
彼だけではない。上司も、家族も、親戚も。
みんなが目の色を変えた。
その中に好意的なものは何一つとしてなかった。
だから、新たな命を与えられたこの人生では、同じ轍を踏まないように生きると誓ったのに。
なぜヘレネーが唐突に解散を切り出したのか。
なぜ自分と関わるのがつらいと言い出したのか。
その真意はわからない。
「……いや、わかってるだろ」
ポツリと呟く。
前世と同じだ。分不相応な力を振るったから、嫌われた。そうに違いない。
いまさらながらに、後悔が湧き上がってくる。
「なんで俺はヘレネーさんとパーティを組んだんだ」
ショウになるときに決めたはずだった。
誰かの幸せを守るためにこの力を使おうと。
だったら、人と関わる必要なんて初めからなかった。
「ニックさんの言うとおりだ。より強いモンスターを倒したいだけなら、一人でよかった」
一人でモンスターを狩って、狩って、狩り続けて。
それで等級を上げればいいだけのこと。
パーティでやるよりは時間がかかるかもしれないが、それも最初だけだ。
四つの最強スキルを持つ自分なら、ソロでも駆け上がれる。
ようやくそこに思い至ったハイドは、決意を新たに立ち上がった。
そこからの日々は単純だった。
C等級に上がったハイドがソロで受けられるD等級ダンジョンの依頼を一人で受け、モンスターを狩り続ける。
効率的に、最速で、最短で。
上手くいった日には一日に二つの依頼を完了させた。
日中の剣の修練はより死に物狂いで。
自分の力を高め、磨き上げることに全力を注ぐ。
そんなハイドの鬼気迫る修練を、団員たちは固唾を呑んで見守っていた。
そしてその中にはエンジュの姿もあった。
◆ ◆ ◆
夜が来た。
ギルドへ行かないと、という義務感と共に、ハイドは食堂を離れて自室へ戻る。
義務感。いつからそんなものを抱くようになったのだろうか。
いやわかっている。
ソロで依頼をこなすようになってからだ。
(俺は、ヘレネーさんとダンジョンに潜るのが楽しかったんだな)
こうして一人で活動するようになってから初めてわかった。
自分が彼女とパーティを組んだのは、彼女とダンジョンに潜るのが楽しかったから。
彼女が嬉しそうにしていると嬉しかったからだ。
だから、そんな環境に甘えてしまって、いつの間にか彼女のことを傷つけていた。
パーティが解散するのは、今思うと当たり前のことだったのかもしれない。
「兄さま……?」
【神界の泥人形】を使おうとしたその時、【全知神の目】が部屋に近付く人影を捉える。
程なくして扉がノックされ、返事を待たずにエンジュが入ってきた。
「エンジュ、部屋に入るときは返事を――」
「兄さま、今日はここにいて」
「えっ」
突然の指示に、ハイドは目を丸くする。
ハイドが夜に出歩いていることを知っても何も言ってこなかった彼女が、初めてその行動に言及してきた。
「ううん、今日だけじゃない。もう兄さまは勝手に出歩いちゃだめ」
「どうしたんだよ、突然」
平静を装いながら笑いかけると、エンジュはむっとした様子でベッドに飛び込んだ。
そして枕をぎゅっと体に抱きかかえながら呟く。
「だって兄さま、つらそうだもん」
「俺が……?」
「わたしね、兄さまが夜に抜け出して何をしてても、別にいいって思ってたの。だって兄さまは、きっと誰かのために頑張ってるんだろうから。……わたしを助けてくれた時みたいに」
「エンジュ、まさか気付いて――」
枕に顔を埋めながら上目遣いに見上げてくるエンジュの目を、驚きと共に見つめ返す。
(まさか、あの樹海でモンスターを倒したのが俺だってわかって……? いや、でも)
ハイドが別のスキルを持っていることも、当然察しているはずだ。
だとしたら、なぜ今までと変わらずに接してくれているのか、ハイドには理解できなかった。
混乱するハイドに、エンジュはにへへと笑う。
「そりゃあ気づくよ。だってあの時わたしを助けてくれた人、兄さまにそっくりなんだもん」
「そっくり?」
「うん。わたしに優しいところっ」
なにに気後れするでもなく、どころか誇らしげな笑顔を浮かべる。
そんなエンジュに、ハイドは思わず肩を竦めた。
(そんな曖昧なもので、【神界の泥人形】が見破られるなんて)
最強スキルの名が廃る、なんてことを思う。
「わたしを助けてくれた人、今冒険者してるって父さまが言ってたよ。夜にしか依頼を受けない、残り物の依頼を片付けてくれるいい人だーって」
「……そうなんだ」
「それを聞いてビビビーッてきたの。絶対に兄さまのことだぁって!」
最早言い逃れができないほど、エンジュの中では確信に至っているらしい。
ハイドは一度妹から視線を外し、窓の外を眺める。
空は真っ暗で、星が瞬いていた。
「エンジュ」
「ん~?」
「もし俺が本当にその冒険者だったとして、すごい力を持ってたら……嫌じゃないか?」
「んん~?」
ハイドの力ない問いに、エンジュはぐるぐると頭を回す。
そして、なんでもないことのように言った。
「どうして? 兄さまがすごい力を持ってたら、わたし嬉しいよ?」
「いやでも、煩わしいとか思ったりしないの。すごい力を持ってて、妬ましいとか、そういうの」
「んんぅ~? 変なの-。そんな風に思う人がいるとしたら、その人がおかしいんだよ。そりゃあ兄さまがその力で暴れ回ったり、優しくなくなっちゃったら嫌いになるけど、兄さまは優しいもん。兄さまは兄さまだよ」
「――――ぁ」
それは、ハイドの中で天啓のような言葉だった。
ずっと、宝くじを当てた自分の幸運を呪ってきた。
分不相応な大金を手にしたばかりに、破滅した自分の生涯を恨んだ。
だけど、違ったのかも知れない。
悪いのは、宝くじを当てたことでも、大金を手にしたことでもなくて。
変わってしまった自分自身と、そして周りの人たちだったのでは――。
いつの間にか起き上がったエンジュが、ベッドの端に座り直し、足をぷらぷらと動かす。
そうして、立ち尽くすハイドを見上げて笑いかける。
「ねえ、兄さま。この間、路地で会った綺麗なお姉さんと仲直りした?」
「なんで、ヘレネーさんのことを」
「だって兄さま、あの日からずっと変だもん。全然楽しくなさそうで、つらそうで、自分がやりたいことを我慢してる風にみえる」
エンジュの赤い目がじぃっと真剣な眼差しで見つめてくる。
「わたし、兄さまがやりたいことをしてるなら応援したい。でも、そうじゃないなら応援したくない」
(俺の、やりたいこと……)
神様から与えられた力で、人を助けたい。
自分には過ぎた力だけど、それで笑顔にできる人がいるのなら、そうしたい。
(――笑顔)
ふと、一人の少女の笑顔が浮かぶ。
普段は無愛想で、でもそれは誰かのためにしてる仮初めの態度で、本当は無邪気で子どもっぽい、朗らかな笑顔が似合う少女。
そんな彼女は、自分が強大な力を持っていた程度で変わってしまうような人なのか?
違う。とっくにわかっていたはずだ。最初からわかってて、でも怖くて逃げていただけだ。
また裏切られるのが怖かった。自分を守るために、彼女を追いかけようとしなかった。
もしかしたら、前世の自分もそうだったのだろうか。
降って湧いた大金のせいにして、人との関わりを避けたのは。
だったら、やっぱりこのまま終わるわけにはいかない。
ハイドは拳を強く握り込むと、エンジュに向き直る。
そうして彼女に笑いかけた。
「――ありがとう、エンジュ。でもごめん、今日も俺はここにいられないよ」
兄の言葉にエンジュは目を瞬かせてから、にへへと笑った。
「じゃあ、今度またわたしの我儘聞いてね」
「うん。――行ってくる」
【神界の泥人形】が発動する。
ハイドの姿がショウの姿へと変わり、翼が生える。
いつかの日みたいに、そしていつものように、ハイドはエンジュの頭に手を伸ばす。
ぽんぽんと撫でると、エンジュはくすぐったそうに頭を動かした。
その手を離すと共に、ハイドの輪郭が薄らいでいく。
部屋の景色に溶け込むようにして、ハイドの姿はエンジュの目には映らなくなった。
誰もいないはずの窓際。突然窓が開け放たれたかと思うと、室内に静寂が訪れる。
エンジュはベッドを降りて窓際へ歩み寄ると、星が燦然と輝く夜空を見上げて呟いた。
「いってらっしゃい」




