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あるはずのない夢を見せる男

 セシリアは人間の記憶能力は不確かである、それを実感していた。

 二週間ぶりに目にしたリカエルは、セシリアが二週間前から自分の頭の中で何度も思い浮かべていた存在とは全く違っていた。


 うそ、修正が掛かっているはずの記憶よりも素敵に見えるってどういうこと?

 こんな小汚くなっているのに?


 リカエルが着ているダークグレーの上着は埃塗れで、中の白いシャツはくしゃくしゃな上にだらしなくボタンを外してはだけさせて着ている。クラヴァットなど人生で一度も巻いた事が無い、そう感じる程に今のリカエルは紳士からかけ離れた雰囲気となっていた。

 だが、そこが二週間前よりも魅力的にセシリアの目に映るのだ。


 セシリアは目の前のリカエルによって胸はときめくばかりで、足元がグラグラして不確かに感じるのも彼のせいで頭が沸騰しているからだと思った。


 ひげも無く清潔感ばかりだった顎周りなど、無精ひげですっかり煤けている。

 なんてだらしないけれど、なんて、魅力的なんだろう。


 セシリアの審美眼は、リカエルの目元できた隈がさらにリカエルのエメラルドグリーンの瞳を際立たせていると彼女に教え、セシリアの心は彼の疲れを癒してあげたいと望んだ。彼女の両手は彼の目元を触れたいと勝手に動きだす寸前で、そこで彼女は自分の両手を胸の前でぎゅっと握って戒める。

 下腹部がきゅっとしまった感覚も受けた。


 こんなに彼を求めているだなんて、なんて私は情けないの!!


「お帰り、は無いのかな」


「ど、ドラゴネシアに帰ったんじゃ無いの?」


 ああ、私ったら何を言っているの。

 まるで自分を置いて行った恨みごとみたいな言い方じゃ無いの。

 ほら、物凄く嬉しそうにリカエルは微笑んだ!!


「帰ったよ。帰った翌日からフル稼働で引継ぎしたんだけどね、それでも五日もかかってしまった。悪かったな、待たせて」


「ま、待っていません。そ、それよりも、王都からドラゴネシアまで一週間て話だったでしょう。あなたがドラゴネシアに去ってから二週間しか経っていないわ」


「馬車で一週間でもね、馬を飛ばしたら三日なんだな。で、俺さ、まともに飯を食ってねえし、まともに寝て無いんだわ」


 風呂もまともに入っていないとセシリアとイーナはすぐにわかった。

 しかしその悪臭は、彼がたった今さっき「シメて来た」若造二人の体液や何かによるものかもしれないので、セシリアもイーナも追及する事は止めた。


 リカエルはセシリアのスカートを汚した若者二人をセシリアの前まで引き摺って来て、セシリアとイーナに首実験させて間違いがないかを確認させた。その後のリカエルは二人を裏路地の方へ連れて行き、再び戻って来たリカエルは完全に手ぶらだった。


 その後の彼らがどうなったかはセシリア達は知らないし、マダムデボンヌの店でリカエルが何をしたか目撃している彼女はどうなったかなど聞きたくはない。

 リカエルが本人確認をわざわざした意味を考えたら怖いと、セシリアとイーナは若者のその後を考える事を放棄したのだ。


「で、お前が落ち込んでいたのは、あいつらのことだけじゃない、と。イーナ、アルバイゼル、ゴーエン」


「洗いざらい私が話さなくとも、見ればわかるだろ?無駄に荷物を持ちたがるセシリアが手ぶらだ。お主がくれた衣装鞄を盗まれて落ち込んでいるだけだ。あと、お主は普通にクラヴィス語で話せと言っておろうが。発音が悪くて耳障りだ!!」


「セシリアに起きた事を包み隠さず教えてください」


 セシリアは目の前で自分を無視して自分のことを話そうとしているイーナの腕を掴み、自分へと引っ張ったが、イーナの方が上手であった。

 彼女はわざと抵抗しなかった。

 思いっ切りイーナを引っ張ったセシリアこそ後ろへと倒れかけ、次には当たり前のようにしてリカエルの腕に支えられていた。


 リカエルはセシリアに向けて軽く片目を瞑る。


「君が包み隠さない君を俺に教えてくれるなら大歓迎だ」


「いやらしい。子供の前よ」


「おやおや。君こそ一体何を想像したのやら」


 セシリアはリカエルの腕の中でもがき、彼を突き飛ばすようにして彼の腕から飛び出した。

 きゅんと胸ではなく下腹部が締め付けられた感覚を受ける。


 少し触れ合っただけで体が疼くなんて、私はなんて嫌らしいの。


「イーナ。帰りましょう。奪われた以上のものを作ればいいのよ」


「だな。で?荷物を盗まれたのはどこだ?泥棒の人相は?イーナ。この天邪鬼なお姉さんは絶対に教えてくれそうも無いから君が教えてくれ」


「なっ」

「人相どころじゃないぞ。素性もはっきりしておる。カラマフ男爵夫人だ。屋敷はキャルスレート地区だった」


「了解」


 リカエルはイーナに敬礼して見せると、くるっと踵を返した。

 けれど彼は一歩足を踏み出したところで止まった。

 セシリアがリカエルの上着の裾を掴んで止めたからである。


「セシリア?」

「セシリア?こんなとこでさっきの誓いを使いたく無いのだが」


「イーナ。使わなくて結構。私は大事な人達の安全に関わることには了解なんかしないって言ったはず。リカエルは行かなくていいの!!」


「俺は安全だよ?安全じゃなくなるのはカラマフ男爵家だ。聞いたことの無い爵位名だけどね」


「暴力行為を行ったからとあなたが捕まって牢屋に入ったら嫌よ。ドレスはまた作れます。い、衣装箱だって、お、同じ様なものを作ればいいんだわ」


「だが俺は作り替えが利かないから大事か。ハハハ、いいな、それ。王都に着いたそうそう、俺は女の本心を手に入れた。では、君の大事な俺と結婚しようか?」


 セシリアはぱっと両手を開いていた。

 リカエルはくるっと振り返る。

 次の瞬間、セシリアの視界は真っ暗になってしまった。


「この天邪鬼。一人上手にばっかりなってく俺を憐れんでくれよ」


「あなたを受け入れたい女性は世の中に沢山いるわよ?」


「俺はお前だけだ。子供を産ませたい女も君だけだ」


 セシリアはリカエルの言葉にぞくりと震え、彼の腕の中で体を強ばらせる。

 本当にセシリアが妊娠していたら、リカエルはセシリアの意思など関係なく結婚を成立させてしまうことは確実だ。


「私は男はいらないの。私は王都で一番のドレスデザイナーになるのが夢です」


「俺は結婚しても家にいろとは言わないよ。応援する。君が仕事で大変なら俺が飯を作るし、俺がガキの世話をする。君が仕事で大変じゃなくてもな、俺がガキの面倒を見るよ。俺にそっくりだったら、そりゃ悪魔みたいなガキだからな。いいや、もう君の中で根付いているかもしれないんだ。俺に俺のガキを育てさせてくれ」


 セシリアは心の中で悲鳴を上げていた。

 今現在妊娠しているかもしれないが、それは確実にリカエルの子ではない。

 そしてリカエルの口説きにて、セシリアはリカエルそっくりな子供を自分が抱きしめる想像をしてしまったのだ。


 彼女の心が粉々になるのは当たり前だ。

 なんて残酷なんだろう、とセシリアは両目から涙を零す。

 叶うことの無い素晴らしい夢を見せてくるなんて、と。


「どうした?」


「子供ができていても気にしないで。この間まで娼婦だったの。出来ていてもあなたとの子じゃないかもしれないでしょう。あなたに他人の子供の責任を負わせたくはない。私が一人で育てます」


 ちっ。


 舌打ちの音が鳴り、セシリアの視界が再び明るくなった。

 リカエルはセシリアを手放すと、セシリアを置いて歩き出していた。

 それは明らかにカラマフ男爵家への方角のような気がしたが、セシリアは今度はリカエルを止めなかった。


 止められなかっただけである。


 それはなぜか。

 リカエルを突き放す時に感じるいつもの胸の痛みを感じたからではない。単に月ごとにある毎度おなじみの下腹部の痛みを感じて動けなくなっただけだ。

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