リカエル君は従兄から告白を受ける ②
リカエルはグラスを受け取り、ベイラムの執務室の適当な場所に腰かける。
ベイラムはリカエルが落ち着くと、ベイラムこそ自分の椅子に座った。
するとベイラムの頭にしがみ付いていた猫は、ベイラムの頭からぴょんと飛び退り、部屋の適当な木箱の中へと潜り込んだのである。
「変な猫だよな。お前以外の人間が部屋にいると絶対にどこぞに隠れる。それなのに、部屋を出るお前にしがみ付いて人がいっぱいの外に付いてくる」
「抵抗できない赤ん坊時代にどぶ川に投げ込まれて死にかけたんだ。人間に捕まれば殺されるって学習するさ。それで、いいかな。まず確かめたい。スムの姫君をお前が保護しているって本当か?」
「――ああ。俺はスムが二年前に滅んでいたなんて知らなかった。どうして俺に教えてくれなかった?穏健派のスムが潰された事でいつもと違う大軍が砦を襲ってきたのではないのか?」
「――そうかもしれないが、俺も知らなかった」
「そこも報告無いな」
「だから今している。二年前の俺の報告書にはスムについての記述が何も無いんだ。だから俺は君に何も報告していない。申しわけない」
「――どういう意味だ?」
「言葉通りだ。俺がお前に報告できるのは、過去については書類からだけなんだ。俺の脳みその中には過去は一切入っていない」
リカエルは従兄を見つめ返した。
ドラゴネシアの情報をまとめているベイラムは、単独でジサイエルに潜入したりもしていたが、その行動は二年前から控えている。それは二年近く前に彼が大怪我してドラゴネシアに戻って来る羽目になった事で慎重になっただけと思っていたが、リカエルはその怪我がまだ治っていなかった事を初めて知ったのである。
「記憶は、戻っていなかった、のか?」
「――その通りだ。俺は俺である確証がない。俺に出来るのは過去の俺が残した書類を読んで、新たな報告を受ければまとめて、ベイラムのような何かでいることだけだ」
リカエルは従兄の思いがけない告白に混乱し、動転のまま舌打ちを立てていた。
だが、リカエルの目に映るベイラムは静かだった。
ベイラムは拠り所のようにして両手でグラスを抱え、どんな批難も受ける殉教者のような目つきでリカエルを見つめているのだ。
「お前を見つけたのはガムランだっけ?」
「ああ。三ヶ月近く帰って来ない俺を探してくれてな、王都の救護院に収容されていた記憶喪失だった俺を見つけてくれた」
「ああ!!俺はガムランからもちゃんと説明を聞いてねえ!!」
「ガムランも俺が記憶を取り戻したと思っている。大体、あいつと再会した時に、俺はあいつの名前を呼んでいたんだからな。あとは、俺が生まれついての嘘吐きだって本領発揮だよ。ぼろが出ないようにベイラムを演じていた」
「そのために猫を頭に乗っけてか。無駄な働き者」
「アムゥは不可抗力だ。神の配剤だ。俺はどぶ川に投げ込まれたアムゥを見て、ベルーガ河に落ちた女の子のイメージを思い出した。アムゥのお陰で自分のものと言える記憶を取り戻せたんだ。ジサイエルの小さな女の子が死ぬ場面でしかないのが情けないがな」
「その女の子が俺のイーナだと思うのか?」
「君の女の子はイーナと言うのか。俺はただ俺の記憶の中の子と違って生きているその子と会いたいだけだな。その子がどんな目に遭ったのか知りたい。俺が助けられなかったあの子のことを、俺はもう少し思い出せてやれるかもだ」
「お前の記憶はいいのか?」
「俺は生きている。あの子は人知れず死んだままだ」
「そうか」
リカエルは従兄の告白に、自分の不甲斐なさについて苛立つばかりだった。
彼は怪我から復帰したベイラムについて、以前と変わらないはずだと思い込み、ベイラムの怪我の後遺症などを考慮した事も無いのだ。
こんな独りよがりな視界しか無い男、セシリアが全てを賭けられないと考えるのは当たり前か。
「すまない。ドラゴネシアが落ちかけたのは俺が使い物になっていなかったからだろう」
「いや。それは違う。俺は兄貴のもたらす情報に問題を感じた事は一度だって無い。兄貴が記憶喪失のままだって気付いてもいなかったんだからな。ジサイエルの進軍報告は早い方だった。お陰で準備が間に合った」
「そうか。ありがとう。俺に出来る事は、過去と現在の情報を漁るだけだ。いつもこれで良いのかと悩んでいたんだ。俺が記憶喪失のままだと告白すれば楽になれるだろうに、その後のことが怖くて何もできなかった。居場所を失いそうで怖かったんだ」
「気付かない俺が薄情だったんだよ。悪いな」
リカエルは、ダーレンだって、と続けようとして、口を閉じた。
彼は急に思い出したのだ。
ドラゴネシアに戻ってばかりのベイラムは回復から程遠いからと、彼を引退させるべきだと、ダーレンに進言して強く主張していたのが誰であったのか。
リカエルである。
リカエルは彼の自慢のダーレンと同じぐらいに、自分に潜入術を仕込み秘密の親友達を紹介してくれたベイラムを尊敬し慕っていたのだ。
そのベイラムが傷だらけのやせ細った姿で、誰とも目も合わせずに、小さな仔猫を胸に押し付けているだけの状態とか、リカエルには辛すぎたのである。
「療養?あいつこそ一日も早く復帰したいんだろ?大丈夫だ。仕事に没頭させる方が癒されるってこともある」
「でも体が」
リカエルはほうっと息を吐くと、手に持っていたグラスの酒を煽った。
さあ考えろ。
思い出せ。
ベイラムは二年前と変わっていたはずなのに、自分が気が付かなかった理由を。
「ベイラムは心配いらないよ、リカエル。そっとしてやろう」
「ちくしょう。ダーレン」
「リカエル?」
「何でもない。ベイラムはイーナに会いたいんだよな。それなら王都に行けば、――行けねえか」
「アムゥを連れて行くには王都は遠すぎる」
「だな。お前はアムゥの乗り物だもんな」
「酷い言い方だな」
「そのぐらいいいだろ。お前なんか俺をボーネス押しつけ係と思ってんだろ」
ベイラムの執務室で数年ぶりの大爆発が起こった。
リカエルはベイラムの笑い声を聞き、確かにこんな馬鹿笑いを彼があげたのは二年ぶりだと気が付き、従兄の人知れずの苦悩を知って涙を零した。
リカエルの従兄への同情は、室内の異常に驚き脅えた猫に背中に貼り付かれ、そのまま猫の小便を浴びるまでであったが。




