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失ったものを知らしめるようにして

 リカエルはセシリアの置手紙を持ったままラウンジに入って来た。

 完全なるセシリアへの意趣返しとなるその行為にセシリアは手紙を取り返そうと立ち上がったが、リカエルの隣に立っていた人物のせいでセシリアは腰を長椅子から上げる所ではなくなった。


 蛇に睨まれた蛙のように体が動かなくなったのだ。


 セシリアはリカエルがヴェリカを性悪と言い切った理由が見えた気がした。

 リカエルが従い敬うドラゴネシアの王、ダーレン・ドラゴネシアは、どうしても乙女が望む王子様でも騎士様の存在でも無いのである。


 貴族女性達が彼のことを野獣と囁いていたが、それとも違う。

 リカエルよりほんの少しだけ高い背だが、リカエルと違って骨格も筋肉も太いもので出来ている。そこが醜いのではなく、リカエルの父リュートのように誰もが思い浮かべる戦士の姿形と言うだけだ。

 顔立ちもリュート達と似ており、整った顔立ちの中でも素晴らしいと言える秀でた額に真っ直ぐな鼻梁は、彼が知的で高貴である印にしか見えない。


 しかし、セシリアはヴェリカの気持がわからない。

 彼に恋心を自分は抱けない、そう瞬間的に思った。

 彼の額から左の眉にわたる大きな傷の痕があるからではない。


 怖いのだ。

 怖いどころではない。

 体の芯が冷え切るぐらいに、怖くて怖くて仕方が無いのだ。


 これでは、と、セシリアは彼が結婚できない理由を理解した。


 こんなに恐ろしい人では、普通の淑女は脅えて近寄るどころでは無いわね。

 それなのにヴェリカは平気で話しかけていたらしいのだから、リカエルがヴェリカがどれほど腹黒いのかと心配するのは当たり前ね。


「ダーレン様。俺の女に殺気飛ばすの止めてください」


「え?俺の女?君は彼女に振られたって話じゃ無かった?まだ君の女?」


「現在お花畑は黙って下さい。俺がフラれて悲しいなら、俺が自分で殺気飛ばします。ほら、あなたはさっさと座って。甲冑を付け直しますよ」


 セシリアから瞬間的に彼女が感じていた寒気が消えた。

 そこでセシリアは、従者を傷つけたという理由だけで見ず知らずの女に対して殺気を飛ばせる辺境伯を違う意味で怖い人と認定した。


 そんな恐ろしいダーレンは、意外にも小者っぽくソファのひじ掛けの部分を跨ぐようにして座る。鎧を外して付け直すために背もたれが無い場所、と言う事なのだろうとセシリアは思ったが、リカエルがダーレンの横に立ったまま動かない。


「リカエル。俺がそれ持とうか?」


「あ、どうもです」


 リカエルは右手に持っていたセシリアの置手紙をダーレンに渡し、両手が空になった途端に彼はダーレンの鎧に手をかける。


「そ、そんなもの捨てちゃいなさいよ!!」


「俺は今仕事中だ。終わるまで話しかけるな」


「な、なな」


「まあ、見とけ嬢ちゃん。あいつの鎧の扱いは職人技だ。あれを見るだけでも価値があるってもんなんだよ」


 セシリアはリュートの言葉に反論などしなかった。

 リカエルがダーレンの鎧に手をかけたその後、彼女こそリカエルの手先から目が離せなくなったのである。


 セシリアこそ仕立て人だ。


 衣服と関係するものに興味ばかりであるので、ダーレンから次々と鎧のパーツが外されるその風景に視線が釘付けになったのである。

 外されたパーツは上半身のものばかりであるが、一体型と思っていた鎧があそこまでも細かくパーツ分けされていたのかと驚くばかりだ。


 そんな外されたパーツ類が、リカエルの滑らかな手先の動きと共に再びパズルのようにして決まった場所にへと組み立てられていく。


「嬢ちゃん、絵が上手いな」


 セシリアはキリアンの声にハッとして、自分がいつの間にかデザイン帳にダーレンとリカエルの姿を描き込んでいた事に気が付いた。それも、ほとんどリカエルばかりの絵となっていることに。


 私が描いた彼の手はなんて、ああ、なんて、昨夜のあの優しくて繊細な動きを思い出せそうなほどに必要以上に確り写実的に表現されているの!!


 慌ててデザイン帳を閉じるが、周囲の目は興味津々であり、今にもデザイン帳を奪われそうだと彼女は閉じたデザイン帳を胸に抱いて隠す。


「ええ~見せてくれよ。嫌なら俺を描いて。女房に渡す」


「キリアンよ。女房はくたびれた爺のお前よりも国一番の騎士の姿絵の方が欲しいんじゃないのか?あの美人に欲情してお前をベッドに誘ってくれるかもな」


「うるせえよ。ボーネス。お前は息子のために美人画を書いて貰え。そうすりゃ猫よりも女の方がいいって変わるかもよ」


 セシリアは後ろのギャラリーが煩いと歯噛みする。

 そういう事にした。

 リカエルの仕草に見惚れて彼を描いていた自分の姿が、きっとリカエルの思惑通りの行動だったのでは無いのかと、彼女は気が付いて悔しいからだ。

 彼に気付かれているにしても、自分のプライド上違うという対面を保ちたかったのである。


「ああ。これじゃ肩以外も痛かったでしょう。なんで玉ん子結びするかな」


「君が玉ん子結び言うの聞きたかったからかな。君は時々言葉が可愛いよね」


 セシリアは再び歯噛みした。

 リュート達に邪魔をされなければ、目の前の耳まで赤くなったリカエルの姿を絵に納められたのに、と、悔しいばかりなのだ。


 彼とダーレンのその風景は、洗練された従者が戦を前にした侯爵のために心を込めて鎧を着せ付けるその場面、でありながら、兄と弟の仲睦まじい様子が展開されているだけのようでもあるのだ。


 いつまでも見守っていたくなる風景ね。


「紙を折るのが嫌なら額縁を用意させようか?」

 え?

「布貼りのホルダーを手配する予定ですから大丈夫です」


「やめてよ!!」


「仕事中だ」


「仕事中の会話じゃ無いじゃない」


「ダーレン様。肩の状態は如何ですか?」


「実は足も痛いし重い」


「痛いし重いって。足直すなら最初からやり直しか!!最初から言ってくれれば、いいえ、いいです。ただちょっと良いですか?」


 リカエルは姿勢を正すと、セシリアへと今度こそ確りと顔を向けた。

 セシリアは息をのむ。

 リカエルが彼女の前に真っ直ぐに歩いてきたのだ。


「あの」


 リカエルはセシリアに返事などしなかった。

 彼はセシリアの体に身を寄せた状態で熟睡しているイーナを抱き上げ、あとは事務的にセシリアに声をかけただけなのである。


「男性の下履き姿は女性に見せるものじゃない。君も大事なものだけ持って付いてこい」


「大事なもの」


「荷物箱はここに置いておけ。親父達はこれでも紳士だ。女のドレスなんか触らないし見ねえよ」


 セシリアは長椅子を立ち上がる。

 それを合図にリカエルは早足で歩き出しており、セシリアは彼の後姿を追いかけること以外考えられなくなった。


 連れ去られるイーナの安全など言い訳にはできない。

 リカエルがイーナに酷いことなどしないのだから、セシリアはリカエルの後ろ姿をただ追いかけたかっただけである。

 彼を捨てる選択をした彼女だが、彼女こそ彼の背中に縋りつきたいのだ。


「ドアを開けて」


 リカエルはいくつもドアが並んでいる一つの前に立っており、セシリアはリカエルの真ん前にある部屋のドアを開けた。

 リカエルはイーナを抱いたまま真っ直ぐに部屋に入り、当たり前のようにしてその部屋の中にあった大きなベッドにイーナを横たわらせた。


「靴は君が脱がせちゃって。俺はこのままラウンジに戻る。明日は、今日か。ヴェリカはドラゴネシア伯爵邸に連れこまれるはずだから、君達は適当な時間になったら行けばいい」


「あの」


 リカエルは言い切るとセシリアの顔も見ずに踵を返し、立ち尽くすセシリアの横を素通りしてそのまま部屋を出て行った。

 セシリアはデザイン帳を抱き締め、自分自身の弱さについて自分を罵った。


「何を言うつもりだったの、私は。何を言って貰いたかったの、私は。自分で彼から手を引いたのに、何をしているの」


 これがリカエルの作戦ならば大成功だ、セシリアはそう思った。

 彼に抱き上げられたイーナを羨ましく思うぐらいに、自分自身がリカエルを求めるばかりなのを突きつけられてしまったのだから。

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