76:ラストエピローグ【ミシェーラ編】
【冬フェンリルエピローグ:6】
(ミシェーラ視点)
フェルスノゥ王国の港町にやってきました。ここはわたくしの思い出の場所。そしてこれからの旅立ちとなる場所です。
観光地ではないこの街並みは生活感に溢れている。木枠が壁にそのまま現れたシンプルな家屋が並び、鮮魚商店が飾り気なく看板を掲げているだけ。
身内が魚を売り買いするだけの場なので、閑散としている。
桟橋は幅が広くて、頑丈な北国の漁船が帆を連ねています。
深い青の、北の海──。
すうっ……と鼻から空気を吸うと、塩の香りがわずかに混ざります。
兄から近年の報告として、雪解け水が足りずに塩の香りが濃すぎる……と聞いていたとおり。今年から徐々に改善されるでしょう。
そびえ立つ北の山を眺めて、手を組んで祈りを捧げました。
冬の恵みをありがとうございます。
安寧をありがとうございます。
よしっ、このミシェーラ、お礼はしっかり返してまいりますわ!!
「ミシェーラ様」
振り返れば、佇んでいるのは港町の長。
彫りの深い顔にさらにシワを刻み、貫禄の微笑みを浮かべている。
「ごきげんようギラルド。港町のどこも手入れがよく行き届いておりますね。冬の氷によるひび割れもないようで」
「ほお。ミシェーラ様の目の良さには感心しますな。もうそこまで見たんですかい? ……おおっと、その目ぇ魔法をかけてるな? 幼い頃にそっくりのイタズラな表情だ、お嬢」
「ふふ。そこの2隻の船だけ、留め具がゆるいのではないかしら? 再出港までに補強を勧めますわ」
「ありゃ本当だ。おぉいてめえらー!」
がなり声が耳に痛いのですわ。
片方の聴力を魔法で調整……。
背の高いがっしりとした若者たちが、漁業服をひっかけて慌てて飛び出してくると、こちらに会釈をして船に駆け込んでいった。
「へへっ。若いのが漁に出始めたんです」
「元気そうですね」
「元気すぎるぐらいでさぁ! この冬の恵みを食って食って、太り過ぎたぐらいだなありゃ。たっぷり稼ぐんだって連日漁に出ていて、まあ成長が早くなるから実践を応援しとったんですが……うーむ、留め具か。船の整備に気が回らないくらい疲れてるかもなぁ」
「無理に続けて働こうとするのではなく、休み、また生きて漁から帰ってくることを教えてください」
「そうしまさぁ」
長が帽子を取ってわたくしに頭を下げると、まあ、なんて見事な照り返し……。
笑ってしまいそうなのをこらえます。
彼、にやってしてるあたり、このスキンヘッドに幼い頃からわたくしが笑わされていることを覚えていたみたいです。
「冬姫様に差し上げる鮭をまた買いにまいります」と約束をした。
きっちりメモをしてわたくしの署名まで求めるあたり、この長は商売上手だと思います。
「それにしても、なんたってこっちの町から出港なさるんです? だって今日は外に……。……おっといけねぇ。でも、いつもなら西の観光地の港町から赴かれるじゃないですか」
……そうですね。この港にくるのは、いつもなら買い付けの時くらい。それか幼い頃遊び場にしていたなごりで訪れた時くらいです。
でも本日の予定は外交なのです。
お荷物付きの。
遠くに現れた白の遠征用客船を眺めながら、わたくしは背後の音に注意を向けた。
ガラガラ──と大きなものが運ばれてくる音。
振り返ると、プレゼントでも入っているような綺麗な箱がユニコーンに繋がれている。
「ひ、ひえっ!?」
長が口を押さえたのは、英断だったと言えるでしょう。
ユニコーンのグレア様は不機嫌そうに鼻を鳴らして、それから人型になられました。
「到着です。あとは船が来たら運ぶだけですね」
「ご足労ありがとうございます、グレア様。お手数おかけいたしますが入船の際には今一度……」
「運びますって。堅苦しいのはよしてください。あんまり長いことエル様の氷魔法がアレに触れているのも嫌だったので」
グレア様が箱を引っ張ってきた紐は、いつもエル様が騎乗するときに使用しているものですからね。
わかります。離しておきたくなる。
それから彼は「怒りが天元突破してまた呪いをかけそうで」と暗く笑って呟きました。
その断罪は世界会議までこらえてくださいまし。
わたくしたちがすでに手を出したとなれば、贖罪が軽減される可能性もございます。
アレって? と長は聞かない。
空気を察してくれている。
青い顔の長に耳打ちした。
中身について。
気の毒そうな顔をしていますけれどね、あの箱型の牢の中は絨毯とクッションで快適ですし、足の鎖も、妖精王様たちが作ってくださったので羽のように軽くて負担にならないのですよ?その分絶対逃さないらしいですけれど。
かの姫君は「ももジャムがないと嫌よ」なんて朝食の文句を言うほど元気です。りんごジャムをパンに塗って口に突っ込んでおきました。
「今回の遠征のお荷物に関して、慎重にならなくてはなりません。わたくしたちの目が行き届いて、他国の船がない、この港が最適だと判断いたしました」
そう言うと、長は苦笑した。
「立派になられましたねぇ」
「女王様とお呼び、ですわ」
「はは! そいつァ素敵だ」
「しばらくこの港に顔を出さなくて、申し訳ございませんでした」
「なぁに、いろいろ大変だったのは分かってるよ。陸での代替わりの勉強から、今度は冬姫様のサポートもしてただろう。だから女王様になれるんだ、アンタが頑張ったから。こんなに誇らしいことはない。俺らの港のお嬢が!」
わあっ!! と拍手が一斉に起こった。
驚いてキョロキョロしてしまいました。
港町の人々が、わたくしを笑顔で見て、手を叩いてくれています。
魔力でこの波動を確認すると……まあなんてあたたかいのでしょう。薄紅色のオーラが、わたくしを柔らかく包んでくれました。
「ミシェーラお嬢が幼い頃はよく一緒に、漁に出させていただいた。昨日のことのように覚えているよ。初めての船出で、歴戦の漁師よりもでかい魚を釣り上げた! 運を持っているなと、その時から感じてたんだ」
「あら、実力ですわ」
「そう。運だと思ってたら、魔法で海の中を索敵して、腕力強化で一番の獲物を仕留めたっていうじゃないか! あの時から変わってないな。努力の天才だ」
あっ……目頭が熱くて、泣いてしまいそうです。
そんな時には、満面の笑みを浮かべるのですよ。
涙が凍りついて、目の周りに霜が付着し、わたくしを雪国の女王らしい容姿に彩ってくれます。
「お、お嬢……!?」
「ふふ。今年の濃い雪解け水をいただいてから、こうなのです。魔力の爆発的な増加を感じています。ほら」
空に魔力の塊を、打ち上げる。
すると小さな竜巻が起こって、山の裾野で舞っていた桜の花びらをまとめて持ってきた。
解放すると──港町にはじめての桜吹雪がやってきた。
みんな大騒ぎで空に手を伸ばしている。
野原から遠い港町には、なかなか桜の花びらがやってこなかったですものねぇ。
「船が着きました。そろそろ参りますよ」
「ええ。それではみなさま、ごきげんよう!」
港のみんなに手を振っていると、グレア様がこちらに手を差し伸べてくれる。
コートを持ってくださるみたいです。なぜ、今?
(あなたが晴れ姿を見せたいのは、誰ですか?)……ですって。
まあ、素敵。
そんなの、世界会議の場よりも、国民に決まっています。
白の薄手のコートを、彼に預けた。
雪解け水にサファイヤの削り粉を溶かして染めた、かがやく青のドレスが、ふんわりと春の風をはらんで揺れた。
氷色のショールをなびかせる。
王冠の代わりに首に光らせた伝統のネックレスが、よく似合うでしょう?
みんなが褒めてくれる声、嬉しいです。ありがとう。
わたくし、フェルスノゥ王国の女王になるわ!!
グレア様の紫色の馬の尻尾を追う。
周りには、屈強なフェルスノゥ王国の騎士がいて、抜け目なくわたくしを守っている。
みんな爪の色は青。
フェンリル様の加護。
腕のブレスレットは真珠、エル様が祈りを捧げてくれたお守り。
さあ、見せつけてやりましょう?
いざ世界会議。勝ちに参ります。
全員船に乗り込み、七日間の旅に発った。




