70:春の頂
「花の香りがする……」
穏やかな春の風が、フェンリル化してより敏感になった鼻をくすぐると、甘い香りを残した。
すんすんと空気を吸い込んで、笑顔になると、フェンリルが満面の笑みでこちらを見ている。
「新たなエルの一面を見られて、とても嬉しい。これから季節が変わるたびに、楽しみが増えた」
ほんとすごい。
息をするように口説いてくる、この魔狼すごいよ。
きっと元王子様なとこも関係してるんだろうなぁ。
すっぽりと腕の中に収まりながら、感心する。
うわぁいい匂いする……アイドルか……アイドルみたいなもんだよ好き……!
まるで無感動にもしゃもしゃと春の若草をほおばっているユニコーンのグレアを、ぼんやり眺めながら、ちょっぴり失礼なことを考えた。
<おや。なにか?>
「ユニコーン電波受信、こわっ。なにも言ってないのに。ねぇ、やっぱり若草って美味しいの?」
<冬の恵みの雪解け水をしっかり吸収しているので、美味しいですよ>
グレアに近づいてたてがみを撫でながら、私は、春の野山を見渡した。
鮮やかなグリーンカーペット。
若草も、木々も、生命力を立ち昇らせるような瑞々しい緑だ。
葉の表面は、健康的にピカピカとしている。
花は、白色が多い。
紫の蝶々が飛んでいる。
フェルスノゥ王国特有の風景、って感じだな。
「小川が流れてる。冬の間はなかったよね?」
「雪解け水なんだよ。癒しの魔力が凝縮している自然のごちそうだ」
フェンリルの説明に、ふむ、と頷く。
自然のごちそうって響き、なんだか好き。
雪解け水を飲んでいる冬の魔物や動物たちは、ふさっとした冬毛から徐々に変化し、春らしい軽やかな毛皮に変化していった。
興味深く、その様子を眺めていると、見覚えのあるエゾリスの家族がやってきた。
一列に並び、ぺろりと雪解け水を舐める。
毛皮が春の大地を彷彿とさせる薄緑色に変わった。
綺麗な色だ〜!
「あっ」
子リスが岸から転がり落ちそう!
とっさに指先に魔力を込めて、腕を前に出す。
冷風が子リスを包んで、そっと岸に戻した。
「よかった……!」
<ありがとう>
遠方から小さなお礼の声が聞こえた。
私は嬉しくなって、今は獣耳が揺れているんだろうなって自覚した。
「フェンリル。私、雪のクッションを創ろうとイメージしたんだけど……風になっちゃったの。もしかして、雪や氷の魔法は冬にしか使えないの?」
「そうだな。ざっくり、そう考えておくといい。緊急時に、冬と同じ力が使えると思い込んでいると、痛い目を見るから」
フェンリルが人差し指を立てて、くるくる回すと、その上にとても小さな竜巻が現れた。
「私たちが春・夏・秋に使える力は、冷風なのだ。勝手にそう変換される。季節に反する雪や氷を創り出そうと思えば、莫大な魔力が必要になる」
「そうなんだねぇ」
「……まあ、今は余剰魔力がなみなみとあるのだが」
フェンリルが私に鮮やかに口付けて、腕を振ると、春の大地にスノーマンが現れた!
「も、もー!」
「エルのおかげだよ。いつでもエルを万全に守ることができるから、名字を頂いてよかった。大切にする」
「ありがとうございます……」
真っ赤になった顔で、お礼を言うしかない。
後ろで(フェンリル様本当に素晴らしい!! お力もお心も!! あああ!! 存在して下さってありがとうございます!!)って熱烈にひれ伏しているグレアでも見て、気を紛らわそうっと……。
しゃちほこ五体投地ユニコーン、面白すぎでしょ……!
ふひっ、と変な感じに笑ってしまったよね。
「ね、ねぇフェンリル。スノーマン……冬の時みたいに、動くの?」
「ああ」
フェンリルが手を振ってみせると、スノーマンはにこやかに手を振り返した。
でも、その頭部はもう雪が溶けかけていて、長くはもたないって分かった。
<また、ふゆにあらわれます、フェンリルさま、ふゆひめさま。おげんきで>
「冬を呼んだら……また会おう」
「うんっ、またね……!」
スノーマンは私たちに挨拶をすると<ちょこっとだけおさんぽしてきます。春の野山。わぁい>と言って、森に消えていった。
「これまでスノーマンは、春を知らなかったんだ。だから嬉しいんだろう」
「そうなんだー。ねぇ、私もこの山の春の景色にわくわくしてるよ」
「よく分かる。だって、耳がパタパタとよく動いているから」
フェンリルがくすくす笑って、ちょっ、私の耳を甘噛みしうわああああああッ……!?
「獣の愛情表現だ」
「光栄です!!」
ばか! 真っ赤な顔で何言ってんの私!!
混乱しすぎて半泣き笑顔だ。
嬉しそうなケダモノフェンリルは今日も微笑みが美しくて最高だねちっくしょー! 大好き!
緑の景色に、爽やかな風、花の匂い。あったかい……春だなぁ。
しばらく野山の景色を楽しみながらのんびりと歩いて、魔物たちに挨拶をした。
春の毛並みに衣替えした魔物は、淡い緑色だったり、頭に花が咲いていたりと、かなり見た目が変わっている。
私たちが寝ぐらにしていた洞窟付近まで戻ってくると、草が茂る地面に寝転がった。
……ここに、もうレヴィはいない。
次の冬までのお別れだ。
少し寂しくなって、フェンリルにそっと寄り添った。
フェンリルは私の髪に顔を埋めて、フッとひと息。
「んん……。……いつもの春よりも、安定してあたたかい気がする。レヴィが、温度調節の腕をあげて頑張ったからだろうか。……近頃、春を司る『春龍』が姿を見せなくなり、春が不安定だったんだよ。気温が急激に変わったり、雷雨があったり」
眉を顰めているフェンリル。
私がまだ及ばない、聖獣としての責務とか、悩んでることはたくさんあるはずだ。
少しずつ覚えて、手助けしていきたいよ。
ええと、その……隣に立つ、者として。なーんて。
「レヴィ、えらいね」
「エルの素直な言葉は、きっと空に届いているよ」
「フェンリル……あのね。優しくて、大好きなの」
いつも丁寧に見守ってくれるから、私は安心して、順調に成長していけているんだ。ありがとう。
「ではこれからもずっと優しく甘やかそう。私のエル」
「うんっ。私も甘やかす」
「それは楽しみだな……」
ころりころりと体勢を変えながら、私たちは戯れる。
獣が、っていうより猫が仲睦まじく日向ぼっこしているみたいに。
オオカミってイヌ科だけどね?
なんかもう全部面白くて、くだらないことが言えるのが気楽で楽しくて、たくさん笑った。
──そんな私たちを、黒色の影が覆う。
「わっ!?」
「せっかく寛いでいたのだが」
ええと、黒鳥だ。
ツリーフルーツを荒らしたイタズラっ子だったから、私がこらしめた子と似てる……?
ていうか、多分その子。
ふくら雀みたいなふっくら羽毛に、鋭い目つき。
「……って、巨大すぎない!? 人が乗れるくらい大きいよ!?」
「エルが『最近いい子にしてるみたいだから、落ちた実なら食べていい』って言ったからだろうな。なんともよく育った……」
<美味しかったです!>
唖然としながら、黒鳥を撫でる。
首の、柊のトゲ輪は溶けて無くなってしまったみたいだけど、報復をしにきたわけじゃないらしい。
「暑くない? 雪解け水、飲んで春の毛並みになったら?」
<では遠慮なく!>
いい子になりすぎていたのかな。なんかごめん……あとできちんと教育しよう。
やっと近くの泉で雪解け水を飲んだ。
こっちにバッサバッサと戻ってくる……わお、白鳥に!! ゴージャスっ!
<ツリーフルーツが変化しました。冬姫様たちを呼んでほしいと、雪妖精から>
「……っあーー!? 確かに、植物も冬から春に変化しているもんね……うわ……あのツリーフルーツがどう変化したか予想もつかない」
青ざめる。
なんか、めっちゃレア種になってたらどうしよう。
レアクラスチェンジ注意。
「エル、先ほどいい事を言ったな」
「えっ何!?」
「人が乗れそうだ、と。この白鳥に騎乗していこう。そのつもりだったのだろう?」
<ギャーー!! 光栄です!!!!>
魂の叫びを白鳥が発した。
せっかくの優美な外見が、まるで台無し、これは残念。
そしてグレアの歯ぎしりがやばい……! お、落ち着けどうどう! 嫉妬はよくないよ!
みんなで山頂に向かう。
綺麗な淡いピンク色が私たちを迎えて……とても、驚いたよ。
ぽかんと、ツリーを見上げた。
桜だ。
白かった葉が、満開の桜に変化している。
フルーツも同じ色に。
「……ええええ。……フェンリル、これって見たことある?」
「いや、このフェルスノゥ王国にあった品種ではない。でもエルの記憶で、見た。美しい日本の花……」
「うん……」
なんだか胸がきゅっと締め付けられるような気持ちになって、焦がれるように腕を伸ばした。
なんとなく、だったんだけど、フェンリルも同じ動作をしていた。
お互いの指の根元、おそろいの指輪が、桜の下でキラリと光る。
…………そっと重ね合わせてみた。
「エルは私が貰い受けた」
「……フェンリル?」
真剣な声だ。
獣耳が自然に、フェンリルの方を向く。
「この桜に誓おう。──エルをどの世界の誰よりも、大切に慈しんで、愛すると」
息を呑んだ。
すぐ隣で柔らかく微笑んでいるフェンリルは、きっとこの世の何よりも美しい。
「……私も、あい、して、ます」
涙声になっちゃったよ……。
ぶわっと涙が滲んで、くしゃっとした顔になって、私、かっこわるい。
でもね、情けなくてもフェンリルはひたすらに「愛おしい」って言ってくれる。
安心して全部見せられる。
涙が溢れて真珠に……なりきらなくて、地面に染み込んだ。
春だからかな?
ぶわっとレンゲの花畑になる。
「うわ、うわわわ……!」
「これは珍しいな。この国に無かった新種だ。この山頂には桜に、レンゲに、エルのための場所になったな」
空から、忘れ雪のように、スイレンの花びらが舞い落ちてくる。
……レヴィ?
重なった指輪に花びらが触れると、桜色の模様が刻まれた。
祝福してくれたのかな……さっきから号泣してるグレアみたいに。
ぶわっと一陣の風が吹く。
桜の花びらが舞って、私たちの身体に纏わり付いた。
フェンリルが私が倒れないように支えてくれた。
「……ありがと! ……あっ」
「ん?」
私とフェンリルはお互いを指差す。
白銀の髪は、なんとも春らしい淡いピンク色に染まっていた。
「「桜フェンリル!」」
似合いすぎ! って、桜色の髪を指で梳かして、愛で合った。
エルの思い出に染まるのはとてもいい気分だ、なんて笑ってるフェンリルに、たまらなくなって抱きついた。
この幸せが、春の日本にも届けばいいのにって心から思った。
読んで下さってありがとうございました!
さららさん[@koikoisararira ]よりグレアのファンアート。
カッッッコよくて美しいので気絶しそうでした、素晴らしい。゜゜(*´人`*。)°゜。
れんいさん[@ripple_lianyi ]よりフェンリルのファンアート。
繊細なかっこよさ、眩しすぎる!!これもう信者不可避ですすごいきれい……語彙力とける……(五体投地)
エピローグ15話まで書き溜めました。
それにて冬編完結、フェンリルたちの新婚旅行・春夏秋もとりかかっています。
またみなさまにお届けしますね!
たくさんの応援のおかげでここまで続けられています、お気持ちに感謝の還元をできるように、がんばって書いてまいります!(`・ω・´)ゞ




