56:怪物がはびこる夜の雪山
雪原を駆けていく。
雪山がこんなに不気味に思えるのは、初めてのことかもしれない。
空気が妙にざわざわと肌に纏わりついてくる。
やけに活発な動物たちの鳴き声も、不安感に拍車をかけてくる。
「とりあえず氷馬にはグレアについて来るよう指示していますが、クリストファー王子、大丈夫ですか!?」
後ろを振り向いて声を上げる。
彼は私たちよりもはるかに不安だろうと思う。
こんな夜に、雪山の奥深くで……
「何も問題ありません! 身体能力強化の魔法で視力を上げていますから、皆様と同じように、暗闇の中でも周りを見ることができますよ」
「あなたが調査員でよかったです」
本心からそう言うと、暗闇の中でハッと息を呑んだ音がして、「光栄です」と柔らかな声が響いた。
彼との会話のおかげで、何だか少しだけ、この暗闇が怖くなくなった。
王族は雪山で遭難しても帰って来られるように訓練しているらしいですよ、とグレアに聞く。何それ凄くない? 王族ってなんだっけ……!?
<妖精の泉にまっすぐ向かうぞ。すぐそこだ>
「はい」
<……お前は少々離れていてくれ!>
フェンリルがスピードを上げて、ぐんぐん離れていく。
一人きりで妖精の泉に近づいていった。
フェンリルが作っていた氷の道が途中で途絶えてしまったのは、本当に、私たちを近づけたくないからなんだろう。
グッと目を細めると、暗闇の中、やけに強い光を放っている怪物の姿を見つける。
あまり大きくはないみたい。
<あのくらいなら大丈夫ですよ。エル様>
私たちが見守る中、フェンリルの大きな白銀の後ろ姿が消えて、宵闇に白い人が浮かび上がる。幻想的に髪がなびいた。
そうか……怪物は人を襲うから、フェンリルは囮になるため姿を変えたんだ。
真正面から立ち向かうくらい、自信があるってことだよね。
──大丈夫。
<エル様。俺のたてがみにできるだけ顔を埋めていて下さい>
「そうだね ……私に標的が変わったら、フェンリルが戦いにくくなっちゃうから」
できるだけ体を隠すように小さくなりながら、私はグレアのたてがみに埋もれた。
そっと頭をずらして、わずかな視野ではらはらとフェンリルを眺める。
氷馬は、姿を変えさせた。
かぼちゃの馬車のように王子様を包み込んでいる。
王子様は透視もできるって聞いてるし、立ち止まっているなら、防御姿勢をとっておいたほうがいい。
「永久氷結」
フェンリルの声が鋭く響いた。
がしゃがしゃと機械が動いていた音が、止まる。
「問題ない」
<さすがです!!!!>
グレアがぐあっと頭を下げると、たてがみに体重を預けていた私は、前のめりにころりと転げ落ちてしまった。まるでしゃちほこのように着地。
雪まみれになる。
<場を和ませようとして下さったのですよね? 捨て身のお心遣い、大変ありがたく思います>
「グ、レ、ア?」
<ごめんなさい>
じっとりとグレアを見上げながら言うと、結構バツが悪そうな顔で謝ってきた。
ふぅーん。出会った当初だったら、なんて嫌味なユニコーンんだろうって思っていただろうけど、今は、彼の本質の優しさとか天邪鬼さとか分かっているから、これ以上責めるのはやめておこう。
緊張していたぶん、フェンリルの無事が嬉しかったんだよね。
私もだよ!
「ふっ……! オマエたちはいつも楽しそうだな」
戻ってきたフェンリルがクスクスと笑う。
彼の背後を見ると、雪に埋もれるように、透明度の高い氷の塊が見えている。
フェンリルが魔法を使おうとすると、威力を察して雪の中に逃げようとした、と聞いてぞくっとする。
「オマエたちと安心して過ごすため、怪物などに雪山を荒らされるわけにはいかないな。私と共に、守ってくれるか」
<「もちろんです!!」>
私とグレアの声が重なる。
ドンドンドン! という音が響き、びくっと後ろを振り返った。
……ああ、王子様が馬車の内側から氷を叩いている。
すみませーん、一緒に四人で頑張りましょうね!
出てきた彼とも誓い合った。
「次に向かうぞ。……としたいところだが……」
フェンリルの未練の理由は分かる。
妖精の泉が、怪物によってひどく荒されているんだ。
雪妖精たちは無事だったけど、ぐしゃぐしゃになったバラのツルの影に隠れて、震えている。
「エル。どうか共に」
「フェンリル。もちろん」
私とフェンリルは手を重ねて、妖精の泉の中央に向かって、腕を伸ばす。
「「──冬の癒しを」」
魔方陣が妖精の泉全体に広がり、細やかな雪を降らせた。
瞬く間に、折れた薔薇のツルが霜に包まれる。
この冬の祝福の下で、植物はぐんぐん回復するはずだ。
雪妖精たちは溢れた魔力に心地よさそうに身を委ねて、そっと瞳を閉じた。
「これを食べて元気になって」
私は雪妖精に、ツリーフルーツを食べさせる。
すると目がシャキン! と見開いた。
おおー。新作ツリーフルーツは即回復を重視してみたから、まるで栄養ドリンクのような効果がありそう。
それに、妖精の泉が綺麗に回復しているから、これに浸かれば元のように元気になれるはずだ。
今回は前のように魔力を溢れさせず、うまく調整できたよ。
下から落し物が出現した今、泉の強化は危険だからね……。
「次に向かおう」
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