第80話
公園を離れ、いくらか歩いた先。促されるままに高速移動車へと乗り込んだ太朗達は、無言のままにどこかへ向けて移動を開始する。特に禁止されていない事から端末で現在地を確かめていた太朗が、本来何も無いはずの空間を車が通過している事に驚きの声をあげる。
「色々とあるのさ、色々とね。黙っていてくれると助かる」
太朗へ向かい、人差し指を口へ当てた男が発する。太朗は「しょうがないっすね」と返すと、苦笑いを作るのが精一杯だった。
やがて車がどこか目的地に到着したらしく、ゆっくりと減速をし始める。リニア駆動のそれを降りた一行は、先頭を歩く兄妹の後を無言で歩き続け、いくらもしない内に小さな一室へと到着した。
「ステーションの管理書類上には存在しない事になっているが、いわゆる我が家だ。ゆっくり寛いでくれて構わない。信頼の証ととってもらえると良いかな」
恐らく応接間にあたるのだろう。ソファやテーブルが整然と並べられ、飾り気の少ない調度品がいくつか見受けられる。一見した所何の変哲も無い応接室のように感じたが、アラン達にとってはそうで無かったらしい。
「いわゆるバリアフリー、という奴か。なんと言ったかな……ドア……そうだ、ドアノブだ」
入り口のドアにあったドアノブを、興味深げに眺めるアラン。太朗はそんなアランを何のこっちゃと見ていたが、やがて得心と共に頷く。
「あぁ、そういや手で掴んで開ける扉って珍しいやね。というか、俺もこっちで初めて見たな」
普段使っている扉は、どれもBISHOPで開ける方式のもの。稀にスライド式の扉に取っ手がついている事はあるが、基本的には何も無い事の方が多い。
「俺も初めてだ。知識としては知っていたがな……"向こう"ではこういったものが一般的なのか?」
「まぁ、BISHOP無いからね、"向こう"には。って、何しとるん?」
太朗と話しながらも、手元の端末をいじっているアラン。彼はちらりと男の方へ視線を向けると、「調べてもいいか?」と短く発する。
「盗聴や爆発物の有無という意味でなら、構わないよ……ふむ、君は軍事訓練を受けた事があるようだ。随分と手馴れている」
男の指摘に、無言で視線を返すアラン。男はアランの視線を受けると、「あまり好かれてはいないようだ」と肩を竦める。
「あぁいや、色々ありまして……えぇと、知ってるとは思うけど、改めて。ライジングサンの代表、テイロー・イチジョウです。ファントムさんで、いいんですよね?」
男は太朗の言葉にひとつ頷くと、ソファの方を手であおぐ。太朗が促されるままそこへ腰掛けると、その後ろへアラン達が静かに控える。
「あぁ、そうだ。ファントム。戸籍が無いから本名といっていいかわからないし、証明する事も出来ないがね。ただ、みんなそう呼んでるし、俺もその名で良いと思ってる」
非常に落ち着いた、ゆったりとした声。そこへアランが「聞いてもいいか?」と発し、続ける。
「7年前のアードラ星系、5番ステーション。そこでお前は、敵の兵士に一言声をかけた事がある。なんと言ったか覚えているか?」
アランの質問に、首を傾げるファントム。彼はいくらか考えたそぶりを見せた後、口を開く。
「お前らはここで、いったい何をしてるんだ? だったかな。随分前の事だ。よく覚えていないな」
本当にわからないといった様子の、ファントム。アランはその答えに満足したのか、目を瞑り、何度か頷いて見せる。
「正確には"お前らはこんな所にまで来て、いったい何がしたいんだ?"だな。テイロー、こいつは本物だ。今まで半信半疑だったが、間違いないようだ」
アランの言葉に、いくらか驚いた顔を見せるファントム。彼が「あの時の?」と発すると、アランが「あぁ」と短く返す。
「そうか……あれはお互い、気の毒な事件だったな。謝罪をするつもりは無いが、してもらうつもりも無い。それでいいか?」
ファントムの言葉に、逡巡した様子のアラン。彼はしばらくそうした後、何かに納得するかのように頷く。
「そう、だな……それがいい。いや、そうするべきだろう。話を折って悪かったな。続けてくれ」
アランは太朗とファントム両名へ向けてそう発すると、黙ってその場に立ち尽くす。太朗はどうやら気が済んだようだと判断し、ファントムへ向けて佇まいを直す。
「はい、えぇと、何から話せばいいのかな。基本的には通信で送った通りの用件ではあるんですが、どうなんでしょう。見込みがあったりします?」
どう接すれば良いのかわからず、とりあえず伺うように発する太朗。ファントムはそんな太朗へちらりと目をやると、ふむとひとつ鼻を鳴らす。
「軍事教育機関での指導、指揮、だったか。おもしろそうな案ではあるが、逆に聞きたい。俺がそういった所へ協力する気があるとして、どうして君の所である必要があるのかな。自慢じゃないが、なろうと思えばギガンテック社の軍事顧問にだってなれると思うぞ?」
ファントムの指摘する、太朗達の想定していた最大の問題点。そのものずばりいきなりの指摘に、少なからず言葉に詰まる太朗。
「うぅ、仰る通りなんですよね、問題は……どうすればいいでしょうかね?」
馬鹿正直に答える太朗に、ファントム含め「何を言ってるんだ」との視線を向ける一同。太朗は気にする風でも無くその視線を受け止めると、肩を竦めて口を開く。
「や、ぶっちゃけ良く考えたんだけどさ。帝国相手に真正面から喧嘩売れるような人相手に、交渉もへったくれも無い気がして。拝み倒してなんとかなるんならそうするけど、それもまた違うかなって。そうなったらもう、本人その人に聞くしか無くね?」
まるで「そうだよね?」とでも言いたげな太朗。呆れた様子でぽかんとするアラン達とは対照に、小さく笑い声を漏らすファントム。
「君は、おもしろいね。なるほど、わからなくも無い考えだ……うん、悪くないな」
何か太朗の答えに気に入る所があったのか、ひとり頷くファントム。彼は「飲み物を用意しよう」と発すると、後ろへ向けて何度か指を鳴らす。しばらくすると扉の向こうから食器を持ったレイラが現れ、一同それぞれのカップへ良い香りのする黒い液体を注いでいく。
「……おわ、これコーヒー? まじで? 現存するの?」
香りから導き出された懐かしい嗜好品の名前に、思わず声をあげる太朗。そんな太朗へファントムが意外そうな視線を、そしてアラン達は不思議そうな視線を向けてくる。
「博識だね。あまり一般的な飲み物では無いんだが」
何か、探るようなファントムの視線。太朗は何の事でしょうとその視線を無視すると、コーヒーをひと口すする。苦くも甘い、懐かしい香りが口一杯に広がる。
「ん……こいつはモカですかね。何かとブレンドされてるっぽいけど、なんだろう。マンデリンかな?」
ちらりと、こちらも探るような視線をファントムへ向ける太朗。ファントムはそんな太朗の視線を受けると、にやりと挑戦的な笑みを漏らす。
「モカは、その通り。マンデリンというのは、マデリーの事だ……ふむ、なるほど。君には何か、おもしろい秘密がありそうだね。マンデリン、実に古い呼び方だ。もう、誰も知らない程の」
ファントムの語る、太朗にも予想外だった事実。太朗は一瞬驚きの表情を作るも、わざとらしくそれを打ち消す。相手には何か、含みを持っていると思わせておいた方がいい。
「いやぁ、秘密らしい秘密は無いつもりっすけどね。気になるのであれば、ぜひわが社へ的な?」
「ふふ、知的好奇心をくすぐるというのは悪く無い案だが、乗せるにはまだ弱いね……そうだ、君はこいつが何だかわかるかな?」
そう言うと、背中から何かを取り出すファントム。そして太朗へ向けて差し出されたそれに、太朗は思わず叫びだしそうになる。
「い、いやいやいや。ちょ、待って、すんません。何か気に障ったんなら謝ります!!」
両手を上げ、身を小さくする太朗。いったい何事かと、不可思議そうな表情を向けてくるアラン達。
「……すまなかった。弾は入ってないよ。しかしこれで判ったことがひとつあるな。君は――」
取り出した鉄の塊を、再び背中へと戻すファントム。
「――地球と何か、関わりのある人物のようだ。考えられる可能性はなんだろうかな……考古学マニアか、それともアイスマンか。レイラと同じ出身地という可能性もあるが、言語を知らないという点がネックだな」
ファントムの言葉に、目を見開く太朗。今まで銀河帝国で様々な情報に接してきたが、自分以外の人間から"地球"という単語を聞くのは初めての事だった。
「いや……なんで、えっ?」
驚きのあまりしどろもどろになる太郎に、自らの背中側を指差して答えるファントム。
「こいつを見て、すぐに銃だとわかる人間はそういない。アラン……失礼。そう呼んでもいいかな? 彼が何の反応もしなかったように、このデザインの銃は既に使われなくなって久しい。火薬推進式の実弾兵器。いわゆるアンティークという奴だね」
ファントムの取り出した鉄の塊。すなわちリボルバーと呼ばれる回転式の拳銃は、確かに太朗の知る限り銀河帝国で目にした事が無かった。
「帝国には稀に、驚く程古い品が残っている事がある。この銃はレプリカだが、本物がね。どう考えても帝国黎明期より古いだろうこういった品々を集めるコレクターが、銀河にはそれなりにいるんだ。あぁいや、数でいうと実に少ないが」
ファントムはそう言うとドアノブを指し示し、「あれもそういったもののひとつさ」と発する。
「しかしその反応からすると、コレクターという線は無いな。とすると、君はアイスマンか。いったいどれだけ古い時代から飛んで来たんだ? ある程度古い時代からのアイスマンは帝国のチェックリストに載っているはずなんだが……覚えが無いな。ここ最近目覚めたのか」
あれよあれよという間に、正確な推論を重ねていくファントム。太朗は諸手を上げると目を閉じ、「すんません、降参です」と短く言い放った。




