第57話
ホワイトディンゴの躍進は、リンの父による所が大きい。
かつてリトルトーキョーの社長として手腕を発揮していたリンの父は、犯罪者やその予備軍の受け入れ先としてディンゴの成長を後押ししたらしい。今になって思えばなんでそんな事をと思うが、当時はそれが最善だったのかもしれない。リンはいつかそれについての詳しい話を聞いてみようとは思っていたが、厳格な父にそれを尋ねるのは中々に勇気のいる事だった。
「アライアンス領の数か所で、小さな戦闘が発生。いまだ小競り合いとの事です」
部下のひとりによる報告。リンは意識を戻すと、「ありがとう」とそれへ返す。既に知っていた事実ではあったが、礼を言う必要が無いというわけでもないだろう。BISHOPによる通信データの解析は、彼の最も得意とする所だった。
「機関出力停止。炉心出力5%……リン様。本当に大丈夫なんでしょうか?」
伺うような声色。リンの信頼する昔からの副官であり、確か60近い年齢だったとリンは記憶している。彼はどんな時でも常に傍にいて、リンのあらゆる世話をしてくれていた。子煩悩らしく、話によるとリンのおむつを換えた事すらもあるらしい。彼のがっしりとした体格と厳めしい顔つきを考えると、そのギャップがなんともおもしろい。
「どうなんだろうね……でも、僕は信じるよ」
部屋の照明が暗く落とされ、指令室は薄暗いレーダースクリーンの表示だけがぼうっと明るく浮かび上がる。スクリーン上には味方を示す10の光点と、識別不明である黄色い光点がひとつ。
「行ってくれ……早く行ってくれ……」
リンは祈るようにして手を組むと、ぶつぶつと呟くように発する。レーダー上の黄色い光点は味方のいるこのあたりへ向けてゆっくりと近付いて来ており、レーダーの表示倍率は既に最も小さいものへと切り替えられていた。つまり船は、ほとんど至近といっても良い距離にいる事になる。
「シールド発生装置へまわす電力すらも供給されていません。今攻撃されたら一巻の終わりですよ?」
「わかってるよ、ハルトマン。でも他に良い方法が無いのも事実さ」
新航路開拓の為、ディンゴの影響圏をかすめるようにしてアルファ星系へ向かっているリン・テイロー艦隊。旅路は太朗の牽引により順調に足どりを進めていたが、全く問題が起こらないというわけでは無かった。現に今、ディンゴの哨戒戦闘艦がごく間近へと迫っている。
「リン様……敵艦が目視できます」
窓際に座るひとりのレーダー担当官が、恐る恐るといった様子で発する。音を心配する必要は無いはずだが、誰もが物音を立てる事を嫌がっていた。
「本当だ……誰か、艦種に詳しい者はいるか?」
リンの声に、彼のお目付け役であるハルトマンが無言で手をあげる。彼は特殊ガラスで作られた窓際へ歩み寄ると、鋭い鷹の様な視線で外を見つめる。
「IF社製フリゲートのポーンですね。テイロー殿の読みは正しかったようです」
ハルトマンの柔らかい声に、安堵の息を漏らすリン。フリゲート艦ポーンには、バルクホルンのように目視出来る窓がついていない。リンは事前の通信により、遠方に発見した不明艦がポーンであろう事を太朗から聞かされていた。
「さすがテイローさんだ……それにだよ、ハルトマン。信じられるかい? 彼はこれだけの偽装をたった一隻でやってるんだ!!」
嬉々とした表情のリン。彼はそう言うと、窓の向こうに並ぶ僚艦達の姿を見つめる。バルクホルンを含め一列に並んだ艦隊は、じっと哨戒が過ぎ去るのを待ち続けている。
「これだけの数の船をひとつ残らずステルス化してるんだ……まるで電子戦機のようじゃないか、ハルトマン。通常型の巡洋艦で、いったいどうやってるんだろう?」
はてなと首を傾げるリン。考えても答えが出ない疑問だとは思っていたが、よほど強力なステルス装置を積んでいるのだろうという推測は出来た。
「凄い人だよね……まるで英雄タイガーみたいだ。危機へふらりと現れて、事件を解決して去って行く……あ、まだ解決してはいないね。ふふ、でもそうなるといいな」
リンは憧れを持った視線をプラムⅡへ向けると、そこにいるだろう太朗の姿を英雄タイガーのそれと重ね合せる。ふたりは似ても似つかなかったが、少なくとも髪の色は同じだった。そしてリンにとって、それだけで十分だった。
一方その頃。巡洋艦プラムⅡの管制室でBISHOPを操っていた太朗は、早くも自身の発案による作戦を後悔していた。
「これ……きっつ……話す余裕が……田中さぁん……たすけてぇ……」
太朗のBISHOPに集まる、膨大な量の環境情報。リアルタイムで微量ながらも変化していくそれを、太朗は全て適正な値になるよう計算し続けている。本来はステルス装置によって行うべき作業を、彼はスキャンスクランブラーを使う事で無理矢理成し遂げていた。平行して処理しなければならないタスクの量は、約40。全ては、哨戒船の放っているスキャン粒子を、太朗達の艦隊が存在しなかった場合の形で送り返す作業だった。
「別に話さなくったって死にはしないわよ、テイロー。というかタナカさんって誰よ……ねぇ、ホントに大丈夫なの?」
真っ暗闇の中、太朗へそう心配の声をかけてくるマール。現在、バッテリーのほとんど全てをスキャンスクランブラーへと送っている為、プラムⅡの中はどこもかしこも暗闇に包まれていた。
「い、いける……あと5分くらいなら……いける……」
太郎は会話へ意識を使うのをもどかしいと思いつつも、それを強烈に欲していた。窓の無いプラムの船内は完全な闇に等しく、それは孤独を連想させた。
「小梅……向こうの様子は……どうすか、ね?」
太朗は暗闇のどこかへいるはずの小梅へ向けて、なんとか発する。小梅はプラムⅡのカメラを直接自身の目とリンクさせる事が出来る為、暗闇だろうがなんだろうがお構いなしに周囲を観察する事が出来る。
「はい、ミスター・テイロー。対象がこちらに気付いた様子は見えませんね。これが偽装だとすると至近距離からの痛打を受ける形になりますが、その可能性は低いでしょう。相手は確実に撃沈されるでしょうから」
「まあ、そうよね。あんな性格で命を投げ出すくらい士気の高い部下がいるとしたら、私はそっちの方が驚きだわ」
マールは"あんな性格"の部分を実に嫌そうな声で発すると、シートの上で身じろぎをする。太朗の耳に布ずれの音が届き、妙に色っぽいなと場違いな感想を持つ。
「しかし……一機でよ、良かった……さん、さんかく……なんとか」
「仰りたいのは三角測量ですね、ミスター・テイロー。確かに離れた一隻と情報の照らし合わせをされていたら、間違いなく見つかってしまっているでしょうね」
「あくまで指向性のスクランブラーだもんね……ん、やっぱり手伝うわ。タスク、ふたつばっかり開けて頂戴」
呆れと感心の混ざった様子のマール。太朗はBISHOP上に現れた割り込み要請を確認すると、「助かる」と短く返しながらタスクを解放する。するとすぐに太朗の無機質なBISHOP上に"カワイコちゃん"と書かれた特殊関数群が現れ、太朗が処理し続けている無数のブロックのうちの2つを連結処理し始める。助力によって削られたのは全体のわずか5%に過ぎないが、太朗はずっと気が楽になった気がした。
「う、これ地味にきついわね……なんであんた、こんなの40も平行してやれるのよ」
「何故って……いわれても、な……フヒヒ……」
「止めなさいよその笑い方。ぶっちゃけ気持ち悪いわよ」
スキャンのスクランブルを開始してから、およそ30分が経過。マールの手伝いが入った後も15分ほど続いたそれは、待ちに待った小梅の一言により終了となった。
「対象、予定エリアを通過しました」
太朗は「いよっしゃ!!」と叫ぶと、タスクの数を10まで減らす事にする。一列に並び密集しているリン・テイロー艦隊は、敵から見ればそのほとんどがプラムとバルクホルンの影に隠れてしまう。スクランブルをかける必要があるのは、その二隻だけで済む。
「なんとか気付かれずに済んだわね……しかしいきなりエンジン止めろって言われた時は、こいつどうしちゃったのかしらって思ったわ」
「……前の戦いで、ホワイトディンゴの船はInfiniteFactory社系列だって気付いてたからな。直接目視できないタイプの船だから、やれるんじゃねぇかって」
いくらか感じる負い目から、なるべくマールの顔を見ない様に話す太朗。彼はちらりとマールの顔を盗み見るが、特に何かに気付いた様子は無さそうだった。
「ん、感心感心。ちゃんと勉強してるのね。最近夜に閉じこもってる事が多いけど、そういう事?」
「え? あ、あぁ。そうやね。ちょっとずつでも勉強しねぇと、商売なんてやってらんないしな……しかし上手い事いって良かった。見つかってたら面倒だったろうし」
艦隊がディンゴの哨戒船と出会ったのは、ディンゴの影響圏よりかなり離れた位置。一隻を相手に勝利を収める事は簡単だが、そうなれば間違いなくディンゴの目がこのあたりを向いてしまう。交易経路は一秒でも長く秘匿される事が望ましく、無駄な注意は引きたくない。
「全くをもって同意します、ミスター・テイロー。保身をとって艦隊を別々にしたりせずに正解でしたね。非常にまずい事になっていた事でしょう。しかしディンゴがこのあたりまで哨戒させているとなると、ルートの一部を変更する必要がありますね」
小梅の声に、同意の頷きを送るふたり。
やがて時間と共に相手のスキャン圏外へ完全に逃れると、船内はようやく本来の明るさを取り戻す。乗組員達は文明の明かりに喜びの声を発すると、さっそく再計算された別のルートへ向けて船を走らせる。別ルートは活動の活発な恒星の存在から避けたいとされていた地点を通過する形になってしまったが、背に腹は代えられなかった。
「確か戦時に使う指向性のビーコンがあったな……ここいらに配置すれば活動期の影響計算も楽になるかね」
太朗は新しく手に入れた民間軍事の知識を、出来るだけ秘密にしながらも十分に活用した。基本的には勉強の成果だという事にしたが、どうしても深い知識を用いる必要がある時には、小梅の発案という形にした。そういった形での知識の利用は、小梅を除いて誰に褒められるという事も無かったが、太朗はそれでいいと思っていたし、実際に満足していた。
「あっ……なんてこった!! アンセンサードにゃんにゃん動画、見るの忘れた!!」
「はいはい、戦争が終わったらね」
銀河のはずれの小さな空間。恐らく帝国領土の1万分の1にも満たないだろうその小さな場所で、リン・テイロー艦隊は這うように前へ前へと進み続けた。デブリ帯があればそれの軌道を計算し、ドライブ粒子の少ないエリアはそれを詳細に記録した。
太朗やリン達はお互いに良く連絡を取り、協力し、遊び、そして語り合った。彼らは若さという武器を元に素早く打ち解け、お互いが良き友人となった。
「見えたぞ!! 恒星アルファだ!!」
ここを出発した時から数えると、実に3ヶ月間ぶりの帰還となるアルファ星系。プラムの誰もが手元のモニタを見つめ、バルクホルンの誰もが窓際へと駆け寄った。
あまりに明るく、ただの光にしか見えない恒星の光。
太朗はそれが、実に美しいと感じた。




