第55話
スタンバイ(待機)モードとして極微量の粒子を反応させているだけに留まっていた反応炉が、主の命令により大量の重水素を融合させ始める。失われた質量がエネルギーに変換され、正の電荷を持った原子核が電気へと生まれ変わる。
「エネルギー出力安定。エンジン稼動状況問題無し。発艦準備完了です」
メンテナンスを終え、新品同様となった小梅のボディ。その口から、いつも通りの口上が述べられる。
「あいさ。ステーションの連絡は?」
「発艦許可、離脱機動、両方送られてきてるわ」
「おし。ほいじゃプラムⅡ、いっきまーす」
太朗は軽いノリでそう発すると、プラムⅡの発艦関数を起動させる。
――"発艦関数 実行"――
発艦関数を受け取った船体は、それに内包された各種数十万もの命令群を次々と実行していく。高度に自動化されたプログラムが船体のあらゆる設備を最適に動作させ、その出力結果をディスプレイ越しに乗組員へと報せる。
「システムオールグリーンです、ミスター・テイロー。環境側も問題は無さそうです」
「了解。太陽風が強かったりすっとやだからなぁ。あらゆる計算が面倒になるぜ」
「恒星カツシカは安定期に入ってるから、ここ数百年はまず大丈夫よ。それよりテイロー、リンから通信が入ってるわ」
太朗はマールの指摘に「あいさ」と応じると、意思の一部をBISHOPへと向ける。モニタを見ても良いのだが、寝そべった体を起こすのが面倒だった。わずか3日ばかりのカツシカステーションでの滞在だったが、彼は床で生活する事の素晴らしさを思い出してしまっていた。
「こちらプラム。リン、そっちはどうよ」
通信機へ軽く指を触れ、モニタの位置を足で調節する。それを見たマールが無作法について咎め、太朗はしぶしぶながらも身体を起こす。
「"こちらバルクホルン。発艦は問題ありませんでした。そちらも順調そうですね"」
太朗はディスプレイに映ったリンへと手を振ると、自由変形するアームに支えられたもう一台のモニタに外部出力を接続する。すぐさま船外の様子が映し出され、複数のフリゲートに囲まれた、リンの搭乗する巡洋艦バルクホルンの平たい船体が目に入る。頭でっかちで縦に長いその船体は、まるでタツノオトシゴの様だと太朗には思えた。
「巡洋艦バルクホルン。小梅の台詞じゃねぇけど、まじ強そうな名前だよな……でもその名前と形で高速船ってのが納得いかねぇ」
「"あはは、良く言われます。名付けたのは父なので、文句があればぜひそちらへ"」
「いやあ、遠慮しとくよ。誰かの親御さんに会うのは、結婚の申し込みをする時だけだって決めてんだ。それよりそっちの船とのリンクをもらっていいかな?」
「"あぁ、はい。了解です。不慣れですいません"」
太朗は顔を赤らめるリンに「気にしなさんな」と笑顔を送ると、マールや小梅と割り出した航路予定図を眺める。そこには複雑に描かれた直線の集まりではあるが、間違いなく帝国へと通じる一本の道が描き出されていた。
「まぁ、こんだけ複雑だと普通は通りたくねえよな」
ぼそりと呟く太朗。それに「それはそうでしょうね」と無表情な小梅。
「ニューラルネット切断による分断が無ければ、スターゲイトを使用したもっと良いルートがいくらでもあります。現に我々でさえ、ディンゴの封鎖が無ければ見向きもしませんでしたしね」
小梅の説明に「まぁねぇ」と同意する太朗。彼はようやくバルクホルンから送られてきたリンク関数を受け取ると、さっそくそれを実行する。
「あ、事前にもう飛ぶぞって言っとくべきだったな……ま、いっか。気付くだろ。リンクのフィードバック行くし」
――"ドライブリンク 10隻 リンク完了"――
――"リンク:姿勢制御 実行"――
プラムの。すなわち太朗やマール、そして小梅の弾き出した座標が各船へと送られ、ジャンプ先へ向けて全ての船が同時に船体を転回させ始める。ライジングサンの3隻と、リトルトーキョーの7隻。いち早く旋回を終えたリトルトーキョーのフリゲート6隻が前へ出て、自然と艦種のサイズ順に並ぶ形となる。フリゲート、駆逐艦、巡洋艦。
――"目標 SG-kt1221 スターゲイト"――
――"オーバードライブ 実行"――
引き延ばされる空間。震える船体。
「……うおお、珍しい事になっとるぞ!!」
オーバードライブの最中、太朗がモニターへ顔を寄せて叫ぶ。何事かと顔を向けてくるマールへ「外、見てみ」と太朗。
「外って何が……うわ、ほんとだ。なにこれ、こんな事あるの?」
モニターを見つめたまま、驚きの表情を作るマール。そこに映っているのは、プラムⅡのやや後方へ位置する巡洋艦バルクホルンの姿。まるで並走しているかのように、超光速空間に隣り合わせている。
「確かに珍しい現象ですね。タイミングが全くの同時になった場合、理論上は起こりえる現象です。許容誤差は、確か25万分の1秒だったかと記憶しています」
小梅の説明に、感嘆の息を吐くふたり。
「へぇ~。ドライブ理論なんてまともに勉強した事もないけど、こんな事もあるのね。同じ速度だから、バルクホルンに積まれてるドライブ装置もプラムと同じ物なのかしら?」
「えぇ、そうなるでしょうね、ミス・マール。ですが酷使の度合いが違うようです。船の距離は徐々に離れていっていますね」
「お、ほんとだ。ちょっとずつ遠くなってってるな……まぁ、考えてみりゃ当たり前か。こっちは新品同然だもんな」
プラムⅡは激しい戦闘こそ経験したものの、建造されてからまだ数ヶ月しか経っていない。船の寿命は一般的に30年前後は持つものとされており、プラムⅡはまだ新造艦と呼ぶに相応しい時間しか運用されていない。
「そいや俺も頭痒くなるんで勉強してねえけど、ワープってのは空間を引き延ばしてるんだよな?」
徐々に小さくなっていくバルクホルンから目を離し、小梅の方へ顔を向ける太朗。小梅がそれに「えぇ」と続ける。
「大まかに言えば、そうです。正確に伝えるにはドライブ粒子の振る舞いから説明する必要がありますが、それは割愛しましょう。ミスター・テイロー、量子力学についての知識はおありですか?」
首をかしげて問う小梅。それに「あると思う?」と太朗。小梅はわざとらしい溜息をひとつ付くと、「では」と続ける。
「簡単にいきましょう。量子というのは、それが観測されるまであらゆる可能性が同時に存在するとされています。どこにいるかも、どのような状態にあるかも、全てが同時に存在しています。一般の生活における常識と矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、事実なのでそういう物だと思って下さい」
小梅の説明に「なんのこっちゃ?」と無垢な視線を向ける太朗。小梅はおよそ機械らしからぬ溜息を再びつくと、マールの方へと向き直る。
「量子のそういった特性は、粒子。すなわちミクロの世界での振舞いであり、我々が直接触れ合っているマクロの世界では、おおよそ起こりえません。これはシュレディンガーの猫という例え話で良く知られていますね」
「えぇ、知ってるわ。量子が特定の位置で毒を発生させるスイッチを押す機械があったとして、観測者のいない箱の中にネコと装置を閉じ込めたらって奴でしょ? 全ての可能性が存在するのであれば、ネコは生きてるけど死んでる状態っていう意味のわからないものになるのかって」
「猫を粗末にするなぁ!!」
会話に参加できず、とりあえず叫ぶ太朗。「いや、主題はそこじゃないし」と取り合わないマール。
「さすがです、ミス・マール。おっしゃるように、マクロの世界で量子の振る舞いは無視される程度しか影響を及ぼしません。しかし例外があります」
言葉を止めた小梅に「ドライブ粒子ね?」とマール。小梅は満足気に頷くと、「その通りです」と続ける。
「オーバードライブの開発実験から見つかったのでそう呼ばれていますが、正式には空間粒子。または可能性量子とされています。ある物質がその場所へ存在する可能性を決定付けるとされている粒子ですね。オーバードライブはこれを利用しています」
小梅が手をあおぐと、大型スクリーンの右端に太朗の姿が表示される。
「通常、ミスター・テイローがこの場所に存在するという可能性を動かす事は出来ません。数学的に言えば100%では無いかもしれませんが、現実問題として確実です。ドライブ粒子を利用しても、それは動きません」
言葉を区切ると、もういちど手をあおぐ小梅。すると今度は画面の左端に、半透明の太朗が映し出される。
「ですが、ある場所の存在可能性をあげた上で、ある場所の存在可能性を下げた場合は別です。ドライブ粒子は事象の整合性を保つため、これらを空間ごと物理的に移動させる事で矛盾を解決しようとします」
画面右にいた太朗の姿が横へ引き延ばされ、半透明の太朗の上へと移動し、重なる。
「これがワープですね。粒子の特性上、移動先に大きな質量が存在する場合はワープそのものが起こりません。既に別の物が存在する可能性で満たされているわけですから、そこへミスター・テイローが存在する可能性を加えるのは不可能です。逆も同様で、地上やステーションでワープが行えない理由でもありますね。宇宙空間並みの真空を作り出せるなら別ですが」
小梅はそう締めると、ゆっくりとお辞儀をする。太朗はなんとなくしか理解が出来なかったが、マールはそうでは無かったらしい。ぱちぱちと拍手を送っている。
「ありがとう、小梅。興味が出たから、今度ドライブ理論についても勉強してみるわ。ちなみにだけど、ディ・ホワール統一論についての解釈って――」
何かマールの琴線に触れるものがあったのか、別の理論についての説明を求めるマール。太朗はアカデミックな会話に興味が無いわけではなかったが、さすがについて行けないと早々に諦める事にする。数千年――少なく見積もってだが――のブランクがあるわけで、誰も責める資格は無いだろうと。
――"オーバードライブ 終了"――
マールと小梅の科学談義を子守唄にうとうとし始めた頃、BISHOPからの報告にはっと目を覚ます太朗。彼は眠気を覚ます為に頬をぺちぺちと叩くと、モニタに外部の様子を映し出す。
「…………おおう、なんじゃこりゃ」
外の様子を見て、思わず固まる太朗。
モニタに映し出されたのは、破壊され、今もなお火を吹き上げているスターゲイトの姿。平たく長いそれは三つに分割され、大きくひしゃげている。あたりには大量のデブリが舞い、元が宇宙船だったと思わしき残骸も見受けられる。
「酷い……こんな事って……」
手で口を覆い、モニタを見つめるマール。太朗はただ事では無いと体を起こし、バルクホルンに対する通信を送る。
「な、なぁリン。これ、どうなってんだ? 普通じゃねぇぞ?」
しばらくして、モニタに映し出される慌てた様子のリン。彼はその近くを歩き回る部下達と何やら話し合うと、画面の方へと向き直る。
「"テイローさん……大変な事になりました"」
優しいよく通る声が、それとわかる悲壮感へと変わっている。太朗はごくりと生唾を飲むと、リンの続きを待つ。
「"先ほど、ホワイトディンゴが正式にEAPアライアンスに対する宣戦を布告しました。残念ですが、戦争になりそうです"」
たまにはSFらしい科学的な説明をと入れてみましたが、
これってどうなんでしょう。思った以上に字面を使うし、
作風として必要なのかどうか悩ましい所です。
たぶん、"たまぁ~に"入れる程度ですので、
良くわからん!!という人や、メンドイ!!って人は、
テイローのようにノホホンと読み飛ばしてあげて下さい。




