第54話
「そいつはまたご愁傷様で……って、え? 俺ら、帰れねぇの?」
きょとんとした顔で太朗。そこへリンが同じ様に「えっ?」と続ける。
「いえ、ですから。テイローさんは最近ここへ来られたんですよね?」
「おう。つっても、もうひと月近く前だけど」
「ディンゴが封鎖を開始したのは、"3ヶ月も前"の話ですよ?」
リンは伺うような顔でそう発すると、手にしていたバッグから一枚のチップを取り出す。太朗は差し出されたそれを受け取ると、額に軽く押し当てる。
「アライアンスニュース。ホワイトディンゴがEAP……あぁ、これエコノミーアンドピースの略なのね……に対し圧力を強め、境界ビーコンの停止。艦隊による封鎖を実行。おおう、いわゆる経済制裁ってやつか?」
チップからBISHOPへと流れ込んで来た、少し前のニュースの原稿。太朗は「なんだか大変な事になってるなぁ」と他人事のような感想を持つ。
「ザイードルートを通れば帝国へ行けなくもないですが、かなりの大回りになってしまいます。最近はワインドの活動も活発ですし、あまりに時間がかかる上に、なにより危険です」
リンは応接室に備えられたモニタへ手をかざし、ぱちんとひとつ指を鳴らす。このエリアの星図と思われる地図が表示され、明らかにふざけているとしか言い様の無い曲がりくねった帝国へのルートが複雑な曲線で描かれる。
「ジャンプの出来ないエリアも多いので、帝国まで片道約2ヵ月半の道のりです。これではまともな商売になりません。通過エリアでの関税支払いや経費を考えると、交易品のどれもが非常に割高になってしまいます」
「まぁ、価格競争には100%負けるわなぁ……わんちゃんに金を払って通してもらうってのは?」
「打診は何度もしています。が、なしのつぶてですね。ディンゴの要求はアライアンスの解体ですが、それも飲めません。アライアンスが無くなれば、彼は真っ先にここへ攻め込んで来るでしょうから」
目を伏せ、力ない様子でリン。太朗は彼の言葉から、アライアンスが境界へ艦隊を派遣していた理由をなんとなく察する。
「制裁で折れるならそれで良し。ダメでも力を削げるってやつか……あいつ馬鹿っぽいけど、そういう所狡猾そうだもんな」
太朗は頭の後ろで手を組み、のけぞるようにしてディンゴを想像する。短い会話しか交わしていないが、彼が直情的な性格であるのは太朗にも良くわかっていた。しかし彼の艦隊運用が優れたものであり、恐らく勢力の管理にも力を発揮しているだろう事も同時に理解していた。ただの馬鹿に人は集まらない。
「えぇ、そうですね。彼はたった数十年という短い期間で、組織を非常に大きく成長させました。近隣の荒くれ者を一手に引き受ける事で、気付いた時には一大勢力です。厄介者を引き取ってくれるわけですから、EAPアライアンスも含め、周囲の誰も反対しなかったんです。むしろ応援さえしてたみたいですね」
リンはそう発すると、「恥ずかしい話ですが」と後に続ける。太朗はその当時の様子を想像しながら、それも仕方ない事かもなと同情をする。ディンゴはあんな性格の為、為政者は彼を簡単に操れるものと踏んだのではないだろうかと。ただの想像でしかないが、気持ちはわからないでも無い。治安というものは、大抵の事柄より優先される。
「まぁ、大体の状況はわかったわ。あなた達が何を望んでるのかも。帝国への新しい交易ルートね?」
横に座っているマールが、星図を見ながら口を挟む。リンがそれに無言で頷き、同じ様に星図へ視線を向ける。
「このままでは彼の思う壺ですから、なんとか帝国との繋がりを作らなくてはなりません。帝国は外に大きな勢力が出来るのを歓迎しないでしょうし、我々からすれば死活問題です」
神妙な声色のリン。マールが太朗へと顔を向け、「どうする?」とでも言いたげな視線を向けてくる。
「うーん、俺もディンゴは好きじゃないし、出来れば協力してあげたい所だなぁ。でも、今回の航路記録はあんまり役に立たないぜ。なんだかんだで、ディンゴの勢力圏を思いっきり通過してきたからな」
「まあ、そうよね。必要なのは彼の影響を受けないルートでしょうから……ねぇ小梅。例の地図からいくつか候補を割り出せない?」
マールの問いかけに、今までじっと黙りこくっていた小梅が「少々お待ちを」と続ける。
「はい、ディンゴの正確な勢力圏が不明ではありますが、恐らく問題無いだろうルートはありそうですよ、ミス・マール。博士の観測データと組み合わせれば、より正確なルートの算出も出来るでしょう」
小梅の声に「本当ですか!?」と声を上げるリン。小梅はそんな彼に微笑を送ると、太朗の傍へと顔を寄せてくる。
「ミスター・テイロー。小梅は現状を、良い商機と愚考します」
囁くような声。太朗はそれへ「おうさ」と短く返すと、ライジングサンコープ代表取締役としての笑顔をその顔に作り出す。
「いやぁ、実は偶然。本当に偶然なんだけど、たまたまこのあたりの非常に精度の高い情報マップを手にしてまして。ちょいと無茶な場所からのジャンプも可能だったりするんですよ」
にやにやと、含みを持たせた顔の太朗。リンはそれへ期待のこもった眼差しを向けると、その歳若い顔に似合わぬにやりとした笑みを作る。彼も商売人であるという事だろう。
「我らEAPアライアンスは、TRBユニオンと平和的な交渉をする用意があり、必要であればあらゆる支援を約束します。この発言は、議事録としてレコーダーに残しておきましょう」
カツシカステーションの一室。リンから無料であてがわれた豪華な作りのそこで、顔を付き合わせるようにしてテーブルを囲むふたりとひとつ。小梅はボディのメンテナンスを行っている最中で、随分と久しぶりに球体の姿となっている。
「うーん、これだとディンゴのステーションから近すぎる気がするわね。別の出口を算出できない?」
「おっけ。ちょっと待ってね……おし、出来たぜ。こっちのスターゲイトから飛べるっぽい。ここ迂回してこっちから通れるな」
「ミスター・テイロー。そのG224とされるエリアですが、ドライブ粒子がかなり希薄となっているようです。安全性を考えるのであれば、迂回するべきではないでしょうか?」
3人が囲むテーブルには、次々とその形を変えていく星路図を映し出すディスプレイの姿。彼らはああでもないこうでもないと相談しながら、実現可能な交易ルートを算出していく。
「ん、なんとかなりそうね。良かったわ……にしても、随分大事になったものね」
新しい航路の算出に一応の目処が立った頃、マールが床へ寝そべるようにして大きく伸びをする。部屋に入った当初は散々に文句を言っていた彼女だったが、この"裸足で生活する"という行為に、早くも慣れて来たようだった。
「畳こそねぇけど、これ絶対日本人の影響だよなぁ……」
太朗がそんなマールを見ながら呟く。清潔な絨毯の敷かれた床は広々としており、テーブルや何かといった調度品は足を短く揃えてある。床で生活をする前提とした品々は、太朗にとっては馴染み深いものばかりだった。
「ニホン人ってのは、あんたの故郷の人だっけ? リンの言ってた英雄タイガーってのは、もしかするとニホン人だったのかもしれないわね」
マールはそう呟くと、太朗の後ろにある棚へと目を向ける。そこには黄金色のパイロットスーツを着た男の小さな銅像が立っており、手には経済を表す財布を。頭には自制を表すとされる帽子を被っている。ベラのように袖を通さずジャケットを羽織っており、腹部には縦ストライプのボディーアーマーを装着している。リンが言うには帝国創立期にこのあたりを開拓した英雄であり、カツシカ星系周辺では神の様に崇められている存在との事だった。
「……いや、これどう考えてもフーテンのあの人だろ……そいや空港にも馬鹿でかい銅像が立ってたな」
ぼそりと呟くように太朗。リンから話を聞いた際、太朗は「フーテンの!?」と叫んだものだが、その際に受けた周りからの非難めいた視線といったら無かった。彼らからすれば、信じる神を馬鹿にされたようなものだったのだろう。
「人類単一惑星発生説が正しいとすればでありますが、このあたりがミスター・テイローの故郷の者によって切り開かれたという可能性も十分に有り得ると推測します。名前や文化に、いくらかの残滓が無いとも限りませんね」
球体の小梅が、柔らかい絨毯の上をころころと転がる。太朗は「そうかもな」と足元へ転がってきたそれを優しく撫でる。
「記録が残ってないんじゃ、単なる歴史のロマン止まりだけどな……そいや向こうの準備はどうだって?」
マールの方へ顔を向ける太朗。ここがどれだけ安全かは知らないが、万が一に備えてベラとアランをプラムへと残してきている。マールは太朗へ顔だけを向け、「問題ないわ」と寝そべったままで答える。
「資材の積み込みは終わってるし、船の修繕も8割方は終了したそうよ。こっちじゃ直せない部品も多いから、そういうのは全部予備と交換ね。明日にも出航できるはずだわ」
マールの返答に、了解の声を返す太朗。少し眠たげなマールの声に、今日はここらで切り上げるかと彼は考える。航路はある程度絞り込まれており、後は実際に現地へ行ってみるしか無いだろう。
「んじゃ出発は明後日としますか。各自それまでは自由時間って事で。アランやベラさんにもそう伝えといて」
太朗は小梅へ向けてそう言うと、彼女の「了解」の声を聞きながら自らもその場へと横になる。木の質感を真似た壁紙の張られた天井が目に入り、その模様をぼんやりと見つめる。
「アルファ・カツシカ交易ラインか……確かに大事になってきたな」
太朗はぶつぶつと呟くと、じんわりと込み上げてきた眠気に身を任せる事にした。




