第5話
僕と彼女と実弾兵器は、なるべく会話文を多めにするよう、
意識しております。そのうち徐々に地の文も増えていくかも?
「おはようございますミスター・テイロー。オーバーライドは完了しました。お体の調子はいかがですか?」
改造された冷蔵装置の。すなわち太郎の前でゆらゆらと揺れている小梅。太郎は「最悪だね」と吐き捨てるように言うと、倦怠感の酷い体を冷たい鉄の床へと投げ出す。
「あぁ、冷たくて気持ちいい……ちなみによ。このプログラミング方法を考えたやつはアホだろ。人間の脳なんてあやふやなもん、なかなかねえぞ?」
頭の中に確かに存在する新しい情報。そのプログラミング技法の知識を思い浮かべながら太郎が発する。
「小梅には良くわかりませんミスター・テイロー。脳内でプログラミングするのは極々一般的な方法と思われますが?」
太郎に対し、無機質な女性の声でそう返す小梅。太郎は小梅に表情が無い事をもどかしく感じながらも、会話を続ける。
「そりゃあまた。キーボード使ってぱちぱちやるのは絶滅危惧種か?」
「否定ですミスター・テイロー。実用面で言えば危惧では無く、絶滅しています。キーボードというインターフェイス自体がもはや一般的ではありません。一部の偏執的な方が趣味として使用している程度でしょう」
小梅の答えに「まあ、こんなのがありゃぁな」と脳内のプログラムスペースをぼうっと思い浮かべる太郎。彼の目には格子状に展開された無数の関数群が三次元的に展開されており、それらを自由に複製。接続。派生させる事が出来た。操作は非常に直感的なもので、積木のおもちゃを組み立てている感覚に近い。ひとつひとつの関数群の中身は非常に複雑で彼にはほとんど理解が出来なかったが、それを利用する分には全く問題が無かった。
「リモコンを操作してテレビを見るのに、テレビ本体の知識は必要ないっつー事か」
関数群の中身に対する感想をそう要約する太郎。それに小梅が「そうです」と続ける。
「関数群の中身は各専門家によって作られたテンプレート(雛形)です。貴方が望むように改良する事が出来ますし、安全面を考慮してそのまま使用する事も出来ます。人の命に直接関わるような出力をする際など、全面的に頼るには貴方が言うように人間の脳はあやふやすぎますからね」
小梅の言葉に「なるほどなぁ」と様々な関数群を観察していく太郎。
「しかし馴染みが無いのに良く知ってるってのは気持ち悪い感覚だな……うへ、これ出力は脳波読み取りか。やっぱ未来だなぁ」
太郎は驚きと感心をもって呟く。彼はこの部屋にある唯一の扉へと向かい、その前に立つ。扉は先日調べた時と同様、ドアノブやセンサーの類は一切見られない。しかし太郎の脳内にははっきりと"扉関数"が追加表示されていた。
「そういう事か……えっと、扉関数とマスタールート接続。テンプレート展開……あれ、ロックがかかってるな。暗号キーは……あ、これか。そういや俺が所有者なんだっけ。暗号関数と施錠関数を接続。アンロックを実行っと」
今まで全くの無音だった室内に、ガチリという金属の作動音が響く。
「うぉぉ……開いた。すげぇ!!」
「ミスター・テイロー。口に出さずとも命令は実行できます。というか、ひとりでぶつぶつと馬鹿みたいですよ」
「相変わらず口汚いね君は! 放っといて! ちょっと感動してたんだから……そうだ、これ新しいテンプレとして保存しとこう。毎回これやるの面倒だよな」
太郎はそう言うと、先ほど行った一連の動作を新たな関数群として脳内へと保存する。これで次回以降は何も考えずにこれを実行するだけだと満足すると、彼は小梅に質問をする。
「そういやさ、こういうシステムになってるのって扉だけの話じゃないよね? そうなると、この時代の人は誰でも使えるってわけ? この脳内プログラミング」
小梅はその場でゆらゆらと揺れながら、ランプを明滅させる。
「肯定ですミスター・テイロー。よほど辺境の地であれば別ですが、基本的に帝国領で生まれた者は生後すぐにオーバーライドを施されます。もちろん生活に必要な最低限のものとなりますが」
太郎は再び「未来だねぇ」と感慨深く呟くと、続ける。
「しっかしいい時代だな。これあれば勉強とかいらないじゃん。必要な知識をぽんぽんオーバーライドしてきゃいいんだろ? くそっ、生まれた時代を間違えたか。あ、そうだ。一般常識とか船についての情報も入れられないかな? どれくらい広いのかわからんけど、地図とかあると凄い便利」
「…………」
「かわいいあの娘のスキャンデータ、みたいなのもあるのかな。ぅぉぉ、夢が膨らむ……小梅さん?」
「……はい、ミスター・テイロー。関数群のように一時記憶としてではなく、恒久的にそういった情報を記憶するのであれば、従来通りご自分の目と耳で勉強される事を強く勧めます」
「……というと?」
「ミスター・テイロー。先程の話を思い出して下さい。私は、ここで生まれた人間は"生後すぐに"オーバーライドを施されると申し上げました。ヒトが自発的な行動の必要性に駆られるのは生後しばらく経ってからです。それまでは大抵の場合、両親かそれに替わる何かが全てを代行するものでしょう」
「……あー、なんとなくわかったけど、続けてくれ」
「はい、ミスター・テイロー。以上の事を踏まえると、自発的な行動が必要となった時にオーバーライドを行うのが自然な流れとなります。しかし実際はそうでは無く、生後すぐとなります。理由はひとつです」
「……なるほど。これはあくまでオーバーライド(上書き)だからか。頭ん中空っぽの赤ん坊が一番都合がいいってわけだな?」
「肯定ですミスター・テイロー。貴方は本当に頭が良い。ですから、そうやって私の事を持ち上げるのをやめて下さい」
「ふぅん。君と地面との間で交わされるキスが恋人同士のように優しいものになるのか、それともお互いの前歯を折る程激しいものになるのかは、この後の君の返答次第だと思うんだ」
「はい、なんでしょうミスター・テイロー。私に可能な事であれば――」
「答えろ!! 俺は何を上書きされたんだ! 何を失った!!」
小梅を持ち上げたまま叫ぶ太郎。彼は現状で唯一の希望と言える小梅をどこかに叩き付けるつもりなど毛頭なかったが、怒り。そして何より自分を失うのではという恐怖がその手を大きく震わせた。
「……申し訳ありませんミスター・テイロー。言語野のように特定の場所、機能をオーバーライドするのとは違い、一般記憶のオーバーライドで何が上書きされるのかは推測不能です」
予想通りの答え。太郎はしばらくの間目を閉じると、大きく息を吐き出す。
「はぁ……このやりとりは昨日もやったな……駄目だな。なんか感情の起伏が激しい。なんとなくわかってた事ではあるはずなんだけど……くそっ、でもやっぱいい気分じゃねえよ」
太郎は失われた何かを確認しようと様々な思い出を思い浮かべてみるが、やがてそれが無駄な努力だと思い、中止した。思い出や何かを含めれば記憶というのは膨大な量が存在し、しかもそこから上書きされて消えた記憶を探すというのは、どう考えても現実的では無さそうだと思えた。
「忘れたい記憶だけ上書きしててくれりゃあいいんだけどなぁ……あ、だめだ。中学の時で"右腕が疼く!!"とかやったのしっかりばっちり覚えてるわ。テヘ」
太郎はあえて明るく振る舞うと、この件は終わりだとばかりに外へ出る。恐らくではあるが小梅に悪気があったわけでは無いだろうし、話をどう発展させても八つ当たりしてしまいそうで怖かったからだ。
「はてさて、そいじゃまぁ。ちゃちゃっと宇宙船を動かしちゃいましょうか。んで小梅。まずは何をやったらいいんかな?」
手にした球体へ向かって発する太郎。小梅は太郎の手の上でランプをチカチカと明滅させる。
「はい、ミスター・テイロー。まずは居住区の電源をオーバードライブシステムへと繋ぐ必要があります。ですが、焦って作業を行う必要はないでしょう。恐らく時間がかかりますし、焦る事と急ぐ事とは違うと小梅は愚考します」
「へいへい、りょーかい。お前は俺のかーちゃんか。ちなみに船のリフォームにはどれくらいの施工期間を予定してらっしゃいますかね? びふぉー、そしてあふたー的な」
「はい、ミスター・テイロー。工期はおよそ5年を想定しております」
「…………はい?」
「ですから5年ですミスター・テイロー。現実逃避はあまり良い手段とは思えませんよ。残されたシステムだけでオーバードライブが行えるよう操船プログラミングを改良するのに、BISHOP初心者ではおそらくそれ位が必要になるかと思います」
「びしょっぷ?」
「そうですミスター・テイロー。Brain's Impulse Sequence of High Output Programming。略してビショップ。あなたにオーバーライドされたシステムです」
「ほぅ……なんだかかっこいい響きだな。攻撃魔法も回復魔法も使えるけど、やたら成長が遅い的な?」
「ミスター・テイロー。申し訳ありませんが、何の事だかわかりません。もちろん鑑定に失敗して怯えたりはしませんし、初期レベルのまま酒場に放置されたりもしません」
「お前を作ったやつは絶対どこかおかしいぞ……しかし5年か。やるしかねえんだろうけど、多分精神的に持たねえぞ俺。自慢じゃないが孤独だと三日で死ぬ自信がある。つか毎日あの栄養剤だけとか死ぬしか無いだろそれ」
「孤独とは随分な言い様ですねミスター・テイロー。私がいるではありませんか」
「えぇぇ……」
「……ミスター・テイロー。私には乗員が利用する為の食糧や各種娯楽についての知識があります。いらないのでしたらそう言っていただければ――」
「小梅様、5年間よろしくお願い致します」
廊下の中央に小梅を降ろすと、素早く土下座をする太郎。三つ指を添え、彼自身会心の土下座だと無駄に達成感を得る。
「しかし5年か…………やっぱ気が遠くなるな」
顔を上げ、遠くを見やる太郎。
「大丈夫ですよミスター・テイロー。冷凍装置のバッテリー容量から、貴方が少なくとも50年は宇宙を漂流していた事が推測できます。今更5年が増えた所で、どうという事もないでしょう。ロスタイムです」
得意気に明滅を繰り返す小梅。
太郎はそんな彼女に対し、溜息をつく事しか出来なかった。
メタ発言は、一切入れません。




