第272話
あけましておめでとうございます。
「いえ、至って通常通りです。ロスやノイズはほとんど見受けられませんが…………」
ビッグエッグに常駐する研究員の中でも特にネットワークに関する知識のある職員が、通信設備を前にいくらか当惑した様子でそう言った。彼はローカルで使用できるBISHOPで通信内容を素早く画像化すると、この通りですと肩をすくめた。
「あー、うん。あれ? 確かに普通そうやね」
様々な数値やグラフにはご丁寧にも異常値かそうでないかが判別しやすく添付されており、ざっと見た限り問題はなさそうだった。太朗は念のためにとローカル、星域、ニューラルのそれぞれをチェックしてみたが、確かにそれらしい問題は見当たらない。視線をちらりと後ろへ向けると、中空をぼんやりと見つめるエッタの姿が目に入った。
「うーん。申し訳ないけど、あらゆる可能性考慮してもっかいしっかり調べてもらう事ってできる? 気づいたのはこの娘なんだけど、ちょっと特殊でさ。信頼できるのよ」
エッタの事。すなわちソナーマンの事については、同じ社員においてもあまり積極的には公開していない。一日における一定量の睡眠が必要だという彼女の弱点が漏洩するのは、可能な限り避けたかった。
「申し訳ないなどと。あなたは社長なんですから、命令して下されば良いのです。さっそく取り掛かります。対策チームを構築しますか?」
「あぁ、その辺はアランに一任…………って、あいつ今いねぇんだっけか。あーいや、そこまで大袈裟にする必要があっかは今んとこ不明だから、とりあえずスクリーニングしてくれれば」
「了解しました。では少し深いレベルでの情報を――――」
「違うわ、テイロー。そっちじゃないの」
職員の言葉にかぶせるように、ぼそりとエッタがつぶやいた。太朗と職員、そして太朗の腰に下げられた小梅の視線が彼女に向かう。
「いつも使ってるのは、こっち。そうじゃなくて、こっちの方よ」
身振り手振りを用いて、中空をあおぐようにするエッタ。太朗は戸惑う職員をよそに、「例のアレか?」と疑問を口にした。近頃慢性的に起きている、情報の錯乱。
「わからない。でも、違うわ。変なの。こういう色のはほとんど見た事がないの。でも、そこらじゅうで、いっぱいよ」
漠然としたエッタの答え。そこはかとない不気味さを感じ、表情をこわばらせる太朗。彼はケーブル先でゆらゆらと揺れている小梅へ顔を向けると、「どう思うよ」と尋ねた。
「申し訳ありません、ミスター・テイロー。現時点では不明としか。しかしミス・エッタの能力を思うに、とても無視できる事案ではないと考えられます。ミスター・アランに招集をかけてはいかがでしょうか?」
ネットワーク関連については随一の知識、能力を持つ情報部長ことアラン。彼には目下の所最大の問題となりうる情報錯乱についての調査を命じており、ここしばらくはデルタ星系の支部へと詰めっきりだった。太朗は両問題を天秤にかけると、しばし悩み、そして「しゃあない」と決断をした。
「情報錯乱の方はどこの企業も調べてるだろうし、ぶっちゃけヤバそうであればディーンさんのツテから報告があんだろ…………いや、ある、といいな…………まぁとにかく、アランには戻ってきてもらってエッタと二人三脚してもらおう」
近頃全く連絡のとれない将軍の事を考え、いくらか言い淀みつつそう発する太朗。それを受けた小梅は「承知しました。では――」とランプを明滅させるが、しかし突然ピタリと黙りこくってしまった。
「…………ん? いや、あぁ、うん。お願いね? 優先便に乗せれば明日には連絡いくだろうから、2、3日後には帰ってくる計算か?」
ネットワーク断絶により、いくつかの地域では情報を物理的に運ぶ必要がある。それを鑑み、太朗は指折りそうぼやいた。
「いえ、否定です、ミスター・テイロー。そんなにはかからないでしょう。8時間後には全銀河童貞連合のトップ会合が開催可能となる計算となりますね」
朗々とランプの明滅。「は?」とそちらを見る太朗に、彼女はさらに続けた。
「ミスター・アランとの直接連絡がつきました。現在アルファ星系からの長距離ジャンプ体勢との事ですので、かなり前に向こうを発っていたようです。連絡はこれきりとありましたので、極めて秘匿性の高い移動と思われます。急ぎましょう、ミスター・テイロー。指定された座標と時間を考えると、あまり時間はないようです」
ワイヤーの先でくるくると回転する小梅。太朗は彼女から情報を受け取ると、顔色を変え、すぐさまエッタを脇に抱え、そして走り出した。
「よぉ大将、急かしちまって悪かったな。ローマからだとギリギリだったんじゃないか?」
船と船とを繋ぐチューブ状のタラップから現れたアランが、明るい調子で片手を上げつつ発した。太朗は戦艦プラム側で「おうよ」と同じように手を上げて応えると、「で、そちらさんは?」と奥の人影についてを尋ねた。頭から足先までがすっぽりと地味なフード付きのローブに覆われており、やや覗く顎先からせいぜい男性だろうという程度しかわからなかった。
「いや、こいつについてはここじゃあまずい。さっさとブリッジへ頼むぜ。みんな揃ってるのか?」
アランの質問。それに「いいや」と首を振る太朗。3人は適応エリアと呼ばれる狭い通路でしゃがみ込むと、徐々に強くなる重力に体を慣らした。
「ライザはお姫様んトコだし、ベラさんは火消しでわっちゃわっちゃしててそれどころじゃねぇよ。どこの企業も殺気立ってて、威嚇でもしなきゃ何やらかすかわかんねぇしな」
「なるほど。そうすっと嬢ちゃんと小梅に、それにファントムか。まぁ十分だな。ちなみに中央も同じような感じだぜ。どこもかしこも大混乱だ。致命的って程じゃあないが、笑えない程度にはそうだな」
「つまり変化なしって事か。まぁ、そうだろな」
近況を交えつつ、通路を進むふたり。背後には客人が黙ったままついてきており、時折興味深そうに周囲を見渡していた。彼らは高速移動レーンに設けられた移動車に乗り込むと、限られた人間のみに許可される艦橋への直通ルートを選択した。
「あぁ、そうそう。ちなみにエッタもいるぜ。ちょっと相談したい事があっから、後で頼むよ」
不快な強い加速に顔をゆがませつつ、太朗。それに同じような表情のアランが「おう、了解したぜ」と答えると、ふいに加速がとまり、ベクトルの反転した加速、すなわち減速に備えるためにシートが180度回転する。
「ちびっ子に俺って事は、ネットワーク関係か。それなら力になれるかもな…………そういや、随分久しぶりだってのに出迎えが大将だけってのはどういう了見なんだ。照れてんのか?」
「あー、うん。まぁ、そうだな。そう思っといた方がいいっしょ」
「おいおい、優しくしてくれよ大将。事実ってのはちょくちょく人を傷つけやがるんだからよ」
車を降り、艦橋エリアへ通じる最終隔壁の前に立つ3名。すぐに網膜判定や脳波判定が行われ、隔壁が問題なく開かれた。太朗はいつもの調子で何も気にする事なく足を踏み出すが、ふと今起こった事実に驚愕し、「はぁ!?」と声を張り上げた。
「おっと、大将。それについては中に入ってからだ。さっきも言ったが、ここじゃあまずいんだ」
すぐにアランが口元に人差し指をあて、苦い顔でそう言った。太朗は自分の口を手で押さえると、黙ってコクコクと頷いた。プラムの隔壁はゲストが通るのであれば事前にそう設定しておく必要があり、そうでないと誰が傍にいようと決して開く事がないよう設計されている。そうであるがゆえに、太朗はようやくローブ姿の男の正体が理解できた。
「あんまびっくりさせんなよなぁ。人並には長生きしてぇと思ってんだからよぉ」
隔壁が完全に閉じ切ったのを確認すると、太朗はアランへそうぼやいた。アランはそれに小さく笑うと、「俺の意思じゃあねぇさ」と答えながら、艦橋へのスライドドアを抜けていった。
「久しぶりね、アラン。急な呼び出しって事は、そういう事なのよね?」
艦橋のシートでくつろいだ格好のマールが開口一番そう言った。そばには携帯端末を手にした義体姿の小梅が立ち、それを覗き込むようにしているエッタの姿があった。ファントムの姿は見えず、しかし太朗はおおよそ予想がついていたので、ローブ姿の男の方へと振り返った。
「あぁ、大丈夫っす。良く知ってる人なんで」
太朗がそう発すると、既に男の背後に回り込んでいたファントムが少しだけ頷き、そして銃から手を離した。ローブ姿の男はそれに「ふん」と鼻を鳴らすと、しかし振り返りもせずにずかずかと艦橋内を進み、そして太朗のシート、すなわち艦長席へと腰を下ろした。
「悪くないが、いささか優美さに欠けるな。あぁ、許可を取ってからの方が良かったかね? 艦長殿」
ローブ姿の男が、いたずらっぽくそう言った。太朗は「いやいや」と首を振ると、「構やしませんよ」と手近な予備シートへと収まった。彼は「で」と前置きをすると、さらに続けた。
「ここに来たって事は、質問攻めにされる覚悟があるって事っすよね。こっちは何がどうなってるのかさっぱりなんで、ちょいとイライラしてたりします。納得するまで帰しませんぜ? ディーンさん」
一生テレワークしたい




