第268話
「ほぅ……それはそれは」
帝国造反への誘いかけが小梅によって行われたというディンゴの言葉に対する、まさにその張本人の反応。彼女は表情の伺えないその義体の顔を頷かせると、すっくと立ちあがり、ゆっくりと両腕を開いた。
「とうとう来てしまった、というわけですね。その時が」
小梅は開いた両の腕を高く持ち上げると、天井を支えるかのように仰いだ。その場にいる全員の視線が集まる。
「待ちくたびれましたよ。ふふ、もう長い事、この時のための準備をしてきたと言っても過言ではありませんね」
何か困惑する周囲をよそに、感慨深くそう発する。彼女はしばしそのままの姿勢で固まると、ふいに両手を左右に勢い良く開いた。
「この!!」
右手をぎゅうと握り、己が胸にどんとあてる。
「小梅が!!」
左手を前へ突き出し、どこへともなく人差し指をぴんと伸ばす。彼女はそれをゆっくりと、円を描くように天へと向けた。
「帝国の頂点として、世を治める。まさにその時が…………」
一転し、うっとりとした声。わざわざ操作したのだろうか、会議室の照明が落とされ、小梅の姿だけがスポットライトによって照らされた。
「なるほどな。つまり、あれか。どこのどいつだかは知らねえけど、お前に嘘の情報を送りつけてるやつがいるってことか。映像だか声だかわからんけど、ご丁寧にそれらしいもん付きで」
太朗がディンゴへ向けて言った。それに「俺だけじゃねぇぜ」とディンゴ。
「主要な企業からちんけな商売人まで、似たような報告が上がってきてる。恐らくこいつは、帝国の方が騒がしくなってる事と無関係じゃあねぇ。お前らにも憶えがあるんじゃねぇのか」
ディンゴが探るような視線を向けてくる。太朗は「うーん」と腕を組むと、マールの方へと視線を送った。彼女はそれを受けると、「どうなのかしらね」と首を傾げた。
「正直に言って、可能性のひとつとして対処してたってのは事実だわ。ちょっと色々あって、ニューラルネットを全面的に信用するわけにはいかなくなったのよ。もしかしたらそういった妨害もあるかもって。でも――」
少し困ったような表情で視線を返してくるマール。太朗はそれを受け、こくりと頷いた。
「まさか銀河規模でやってきてるかもっつーのは、完全に想定外だわ。お前の言う通りだとすると、洒落になんねぇぐらいやべぇな…………思い違いっていう線はどの程度なん?」
あまり楽しくない未来を想像し、一縷の望みを探す太朗。しかしディンゴの表情にそういったものは見つけられなかった。無言でただ鼻を鳴らしたディンゴに、太朗は「まじかぁ」とため息をついた。
「おめぇの勘は当たるから嫌なんだよなぁ。エンツィオの時はそれに助けられた事もあったけどさぁ…………しまったな。あの人の担当場所、完全にミスってたか」
ライジングサン最高の諜報要員であるファントムには現在、領域内における防諜活動をメインに活動してもらっており、帝国中枢の方は手薄となってしまっている。
「しょうがないわよ。カツシカなんかは人口が一気に3倍よ? 今まで通りじゃとても手に負えないわ」
マールが実にめんどくさそうな顔で言う。それに太朗は唸り声で応えた。
先の戦いにおける勝利はギガンテック社の存在もあって影響は大きく、人口増は莫大な利益と共に多くの混乱ももたらしている。問題は様々でどれも面倒なものだが、最もやっかいなひとつが群がる諜報員への対処だった。
なにせ、銀河中のスパイが集まってきてしまっているのだ。
もちろん情報担当アランを筆頭に最大限の対処をしてはいるが、いかんせん数が多く、さばき切れていない。そして相手も決して無能ではなく、それどころかあのファントムをして「部下に欲しい」と言わしめる程に優秀な相手すらもいるのだ。
もちろん諜報員の送り元はギガンテック社を相手にするつもりでいるわけで、生半可なスタッフを用意するはずもない。
アルファ方面宙域は、気付けば大企業同士で行われる諜報合戦の主戦場とされてしまっていたのだ。
「一番痛いのは新入社員の選定が滞ってる事だしなぁ。スパイじゃないか確かめないといけないし…………ファントムさんみたいなの、あと5人くらいいねぇかな?」
願望がついつい口を出る。それに「ひとりいるだけでも御の字よ」とマール。彼女は「それよりテイロー、ちょっと気になったんだけど」と口元を手で覆い、顔を寄せてきた。
「これって、私達がきっかけになったって事? エデンを見つけたから、それに対抗してって事なのかしら」
ひそひそとした声。同じように「どうだろうな」と太朗。
「銀河中に同じような施設があるだろうって言ってたし、違うんじゃね? 仕返しっていう概念がそもそもあっかもわかんねぇ相手だし、あってもやるなら俺らにじゃね?」
「まぁ、そうよね…………でもそんな偶然あるのかしら。良くわからないわね」
マールは顔を離すと腕を組み、難し気な表情を浮かべた。太朗は同感だと深く頷くと、「そんで」とディンゴの方へと向き直った。
「確実な情報を、ってことで瓦版か。まぁ、納得の説明だわ。帝国の方がどうなってっかはこっちでも調べてみる。そこんとこ、お互い情報を共有してかない?」
片眉を上げ、どうよと提案する。それにディンゴは少し考えると、やがて「悪くねぇな」と頷いた。
「諜報関係については、正直まだお前の所は日が浅ぇからな。あまり期待はできねぇ。だが、そいつと、例の将軍は別だ」
ディンゴが入り口の方へ向け、意味ありげな視線を向けた。それを受けたファントムは軽く肩をすくめたが、何も発しなかった。
「つっても、さっき言った通り内部の引き締めの方に注力する必要があっから、やれる事には限度はあんぞ。ディーンさんも俺ら以上に忙しいだろうし」
その地位からすれば、きっと暇など作ろうと思えばいくらでも作れるだろう。しかし彼の性格を考えると惰眠を貪っているとはとても思えず、太朗はその作業量を想像し、げんなりとした顔でそう答えた。
「だろうな…………だがまぁ、こっちも似たようなもんだ。戦後の好景気でどいつもこいつも浮かれてやがるからな。今向こうで問題が起きるのは望むところじゃねぇ。まだ現物に変えられてねぇ金もわんさかあるしな」
「はぁ。現物ね……え? お前インフレ対策してんの? 嘘だろ? そこまで徹底すんのか?」
「ふん。備えるに越したことはねぇからな。ネットワーク上のクレジットにいつまで価値が残るのか、こんな状況じゃあ怪しいもんだぜ」
「まじかぁ。うち現金主義だぞ。やべぇな…………つーか、フットワーク軽くてうらやましいわ。そゆとこ独裁の長所だよなぁ」
「おめぇ…………ミンシュシュギとやらを訴えてる組織の代表が言っていい台詞か?」
「あ、や、すまん。口が滑ったわ。忘れて」
どうせ通じはしないだろうが、片手で拝む仕草を見せる太朗。それにディンゴは胡散臭げな視線を向けてきたが、しかしやがて小さく自然な笑みを浮かべ、「馬鹿なやろうだ」と軽口を叩いてきた。
その後も一同は当初の予定よりもずっと良い雰囲気のまま話し合いが続き、そして一定の成果を得るに至った。両社はEAPアライアンスのリンにも同様の情報共有をもちかける事で合意し、アルファ方面宙域の安定を当面の最優先事項とすることを、改めて互いに確認し合った。
やがて予定時間の到来と共にディンゴが去ると、RSの面々は雑談交じりに各々の意見を交換しつつ、ひとりふたりと退出していく。最後に残った太朗は扉付近で立ち止まると、「ところで小梅」と振り返った。
「俺はお前を尊敬するぜ。なかなか、あぁはやれねぇ」
戦友に見せるような、勇ましい笑みと共にサムズアップを掲げる。
それを受けた小梅は、柔らかく腰を折ると、無駄に優雅な礼をした。
「マクシミリアン、マクシミリアンはいるか」
幼い少女の声。
広大な銀河帝国においてただ一人がそこへ座る事の許された、質素で、しかし優雅なあつらえの椅子には、黄金の髪を美しく編み込み、サファイアのごとく濃く青い瞳をした少女が、存在はしているものの使用された事のない背もたれと平行するように背筋を伸ばし、そこに腰かけている。
ラムダ星系産の薄青く発光する植物を編んだドレスが呼吸と共にゆっくりと色合いを変え、まるで凪いだ海のように穏やかな波紋を漂わせている。手にした王笏は純レイザーメタルの持つ鈍い銀色をきらめかせ、先端についた巨大な水色の宝石が、その中に埋め込まれた親指ほどの大きさの電子素子を黒く浮かび上がらせている。
「マクシミリアン、いないのか」
広いホールに不釣り合いな小さな声が、周囲の自然の中へと消えていく。
本来は石で出来ているはずの壁は全て植物のツタと葉で覆われ、床は歩く必要のある場所を除けば、全て水が張られている。覗き込めば水生の植物がゆらりゆらりと揺れ、時折何かの生き物がちらりと姿を見せる。水面に顔を出した花々が自然の香水を部屋へと漂わせ、天井から床へと伸びる鬱蒼とした木々の中へと消えていく。
「陛下、マクシミリアンはここに」
黒のローブをまとった男が、ふと池の上中空へと現れる。フード付きのローブは全身を覆い首から上だけを覗かせているが、もし覗き込む事ができれば、その下にある制服の襟元に輝く帝国軍最高位の記章を認めることができるだろう。
「皆の様子はどうだ。混乱しておろう」
少女は現れたホログラフへは目を向けず、ただ真っすぐを見たまま発した。男は言葉を受けると、恭しくこうべをたれ、そして口を開いた。
「ご安心を。近衛がうまくまとめておりますゆえ、陛下がお気に病むような事は何もございますまい」
「そうか。そうであれば良い。しかしあれらも人の子。ひとつ意思の元にとはいかぬであろう。誰が受け持っておるのだ。お主か?」
「陛下、どこからそのような事を……些事にございます。我々にお任せくだされ」
「で、あるか。まぁよい。では、コーネリアスはどうなっておる。余はいつまでここでこうしていれば良いのだ」
初めて視線が動き、ローブの男に向けられる。男は見られているのを感じ取ったのか、小さく身じろぎをした。
「陛下、それも些事にございます。そう遠くないうちに宮殿へと戻られましょう。もうしばしお待ちを」
少し震えた声で、男が答える。少女は「ふむ」と鼻を鳴らすと、視線を元の中空へと戻した。
「それも、些事か。お主にかかれば余が断頭台に登るまでの全てが些事となろうな」
「陛下! 我々は陛下の――」
「もう良い。下がれ。あぁ、そうだ。タジクを呼べ。暇つぶしにはなろう」
「陛下、あのような者を相手にしてはいけませぬ。あれは卑しい出自でございます」
「二度言わせる気か。マクシミリアン。呼べと言ったのだ」
「…………はっ。かしこまりました」
床に蹲るような最敬礼と共に、ホログラフがゆっくりと姿を消す。少女はその場に誰もいない中、しかしいたとしても誰にも気づかれないだろう小さなため息を吐くと、視線を動かし、手にした王笏の宝石を眺め見た。ゆっくりと左右に振ると、中にある二桁ナンバーの素子が黒くきらめいた。
「軽いな」
少女はそう発すると、目を閉じてただじっとする事にした。
やりたい事はなかったし、なによりやれる事など何もなかった。
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今後、次話投稿されない可能性が極めて高いです。予めご了承下さい。




